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瓶の中身は希少価値のある”妖精の翼”と呼ばれる花の種だ。薔薇の花を魔法によって改良したこれは、時刻によって花びらの色が変わり、王都では幻の花と謂われ種一つで金貨100枚の価値がある。
その花を開発し、全ての権利を独占しているのはロスティーニ家なのだ。
ほんの十年前まではロスティーニ家は貴族とは名ばかりの落ちぶれた家門だった。しかしこの花のお陰で没落を免れることができた。加えて国王陛下から初めて魔法植物師の称号を与えられ、今では名門貴族と肩を並べる財を築いている。
そんな起死回生をはかることができた宝の種なのに──
「いらん。花の種など興味ない」
しかめっ面で、二度も拒否されてしまった。
唯一無二の切り札を失ってしまったテルミィは、小瓶を手にしたまま固まってしまう。
しかし少し考えればわかることだった。サムリア領は王都に次ぐ財力を保持している。王都の何倍も大きな領地を持っているここは、他国と隣接している。国を守る要の存在で鉄壁の守りを誇り、過去の一度も他国の侵入を許していない。加えて広大な領地には、潤沢な資源もある。財政はどこの領地より余裕があるのだろう。
──こんなことなら軍事に強い植物の種を用意しておけばよかった。
ルドルクに備えあれば憂いなしの考えがあるなら、もっと自分を高く評価してくれたに違いない。
しかし今更悔いても、もう遅い。冬の終わりに衝動的に家を飛び出してしまってから、早2ヶ月。無我夢中でここまでやってきたのだ。ゆっくり考える時間なんてなかった。
「だいたいこれはお前の兄が独自研究したものだろう。勝手に持ち出してはいけない。これは見なかったことにしてやる」
狼狽えるテルミィに、ルドルクはすぐにしまえと言わんばかりに片手を振る。事情を知らない彼の物言いにテルミィの表情が険しくなった。
「ち、違います!こ、これを作ったのは……わ、私です。それに、魔法植物研究の第一人者ナスタチウムは……兄ではありません」
ナスタチウム──金色の花を咲かせるこの花の花言葉は『愛国心』。新種の魔法植物という大きな功績を上げたロスティーニ家に国王陛下が勲章の代わりに与えてくださった称号である。
ただ全ての魔法植物を開発したのはテルミィだったが、称号を受け取ったのは兄だった。テルミィは生まれた時から裏方で生きることが義務付けられていた。拒めばパンの一欠片すら与えて貰えない環境だった。
この事実を知ったら、ルドルクはどう思うだろうか。
「わ、私は……ずっと兄の影として、魔法植物の研究を続けてきたんです」
「はっ、お前が?」
「……はい」
「ガキのくせに、そんなことできるわけが──」
「で、できますっ。あと、私はガキじゃありません。18になりました!いつでも嫁げる年齢です」
「嘘だろ!?こんなチビなのにかっ」
食いつくところが間違っている。それにチビで何が悪い。
身長が低いことは仕方が無い。だってそういう暮らしをしていたから。でも面と向かってチビと言われたら良い気持ちにはならない。
「背が低いのは……関係ないと、思います。けれど……種を疑うのは当然ですよね……」
グッと小瓶を両手で包み込んだテルミィは、自嘲しながら呟いた。視線をルドルクを真っ直ぐに向けたまま。
見たままの感想にテルミィが腹を立てたのがわかったのだろう。ここでルドルクは場を取り繕うように小さく咳払いをして口を開いた。
「まぁ、アレだ。チビと言ったのは失言だった。謝る。すまなかった。だがな、18だろうが、15だろうが、まだ幼いお前が開発したと言われても、俺は納得できない。……おい、そう睨むな。お前の話が嘘だとは思っていない。だがな、込み入った話は家族間の問題だろう。言いたいことがあるなら、俺にそんな主張をしないでちゃんと家族に言え。お前の気持ちはお前にしかわからない。言葉は気持ちを伝える為にあるんだぞ」
ごもっともなことを言われ、この人はきっと幸せな人生を歩んできたのだとテルミィは軽く失望した。
きっとルドルクを取り囲む全ての人は、彼を理不尽に怒ったことなんて一度もないだろう。蔑ろにするようなこともなかったのだろう。
いやきっと20年以上生きていれば、それなりに理不尽な目にあったことはあるはずだ。しかしそんな出来事があっても、心が歪まないほどの愛を両親から与えられてきたのだろう。そして誰もが皆平等に、家族から無償の愛をもらえると信じて疑っていない。
育ちの良さから正論を迷いなく口にできる彼に向ける感情は、怒りよりも嫉妬に似た気持ちの方が強かった。
「あの……恐れながら、家族をちょっと困らせたい程度で、このような辺境の地に……単身乗り込んでくると、お思いですか?」
「確かに、そうだな」
「それとですね、この種は……えっと……確かに”天使の翼”ではあります。で、でも、正確には天使の翼を品種改良した花で、まだ世に出ていないもの……です」
「それもお前が作ったと?」
「は、はい。ここへ来る道すがら、つ、作りました」
嘘なら殺すと言わんばかりに前のめりになったルドルクに、テルミィは目を逸らすことなく頷いた。
「それをどう信じろっていうんだ……くそっ」
後頭部をガシガシと掻きながらルドルクは、考えるのを放棄したのか背もたれに体を預けた。
長い沈黙が続く。何も質問されず、語ることも許されない空気に、テルミィは彼との結婚はもう駄目だと結論付ける。
ならもう、予定変更だ。
「あの、話は急に変わるといいますか……とっても図々しいお願いを、ニクル卿にしたいと、その……思ってるんですが……なんかこの流れでも聞いてもらえたりしますか?」
「内容によるが、とりあえず聞こう。言え」
「あ、ありがとうございます。では……」
コホンと咳払いをして、テルミィは第二プランを口にした。
「こちらの領地で結婚適齢期を迎えた殿方は、いらっしゃいませんか?も、もしくは婚期を逃して焦っている殿方とか……えっと、つまり……どなたか私と結婚してくださる方は……い、いませんよね?はいっ、失礼しました!」
言葉を紡ぐ毎にルドルクの眼光が鋭さを増し、テルミィは無理矢理会話を終わらせた。間違いなく彼は怒っている。
沈黙が再び落ちる。強い視線を受けて、息をするのも苦痛だ。けれど鋭い眼光は自分を捉えて離さない。一言も発しない彼の長い前髪が、さらりと額に流れた。
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