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宿屋が立ち並ぶ通りはグレンと砂の国の姫君が食事する店の更に奥の通りにある。
グレンと分かれ宿屋の通りに向かうと水路が見えた。
大きな橋がかかっていて渡るとそこは城下町とは別世界。娼婦小屋に、博打場、ならず者や行き場を失ったもの達が住む長屋がある。
スギナが向かったのは橋を渡りすぐ目の前に現れる巨大な洋館。
少し変わった作りで正面に三つ扉がついていた。中央の大きな扉の上には双頭のカラスの飾りがついている。左が鳩の頭になっているのはこの館の主人が双子の兄妹だからだ。
扉を三度叩けば扉の反対側からノックが二回返ってくる。それに一度叩いて返事を返すと、扉に付けられた覗き窓が開く。顔を出したのは窓の位置と覗き込んだ顔の大きさからもわかるほどの大男でぎろりとした大きな目でこちらを睨んだ。
「こんにちはジャック、伝書鳩を借りたいんだ。それからカラスに伝言を」
用件を伝えると覗き窓はピシャリと閉められた。すぐに左側の扉が開く。
相変わらずここの門番は無愛想だとため息をつきながら開けられた扉を潜り抜けた。
口が利けない分表情を変えるぐらいしたらどうかとも思うが彼の口元は思いの外雄弁で通り抜けた先での彼はその図体には似合わぬ程のにこやかな笑みをスギナに向けた。
建物内で外套のフードを頭から外し、優雅なクラシックでも流れていそうな一見すれば貴族の館と相違ないホールに足を入れると階段から白いドレスを来た藤色の髪の女性がヒールの音を鳴らしながら下りてくる。
「レディ、ただいま戻りましたよ」
「無事で何よりよ。危険な仕事だと聞いて心配していたの、あら」
鳩の小屋の女主人であるレディは歩み寄るとスギナの頬にある痣を見るなり手を添えた。
「まあ、痛い?手当てしましょうか」
「平気ですよ。それより助かりました。紫陽花宮の情報はかなり正確でしたよ、おかげで王女と会えましたし庭で死なずに済みました。」
「私は王女の庭が紫陽花の庭だと伝えただけ。そこがどんな場所なのかすぐに理解したのはあなたでしょう。」
情報は何よりも有益だ。金や権力、信仰心、人を動かす物は多くあるが何より情報がなければ人を動かすことは出来ない。
スギナにそれを教えてくれたのはここに住む二人の影響であった。
改めて礼を言えば それは良かった と先を歩くレディに促され水浴びをしに浴室へと向かった。
長い廊下を歩き、部屋を横切る度熱のこもった男女の声が聞こえる。
ここは『ドーヴ』(鳩の小屋)男娼の館だ。
建物は完全に半分に区切られ左が『ドーヴ』
右が『カラスの巣』娼婦の館になっている。
双子の兄妹の兄が娼婦の、妹が男娼の館の主をしている。
「クロウは今どちらですか?」
「町に出て行ったから直に戻るわ」
「そうですか、実はお願いがありまして」
早速本題に入ろうとして、振り向いたレディに指先を口に添えられ止められる。
「まずはお風呂、その後は手当てと食事しながら聞くわ。」
言われてみて思ったが、外套は新しくなっていたものの中の服は泥だらけだ。ブーツも刃を抜かれているから新調しなければならない。商売上ある程度の身なりには気を使っていたが今の姿はこの場には相応しくない。
何せここは他国の王族も通うほどの高級娼館なのだから。
館の主の部屋に通され浴室を借りる。
ここの部屋だけは艶かしい声も聞こえることはなく極々普通の浴槽に湯気と雫が落ちる音だけが響いていた。
もう十年になる。
思わず思い出すのは王都に来たばかりの頃で、スギナが住む場所は館の裏のごみ溜めだった。生きているのか死んでいるのかわからない、そんな自分を拾ったのは一人の男だった。
「よう、生きてたか名無し」
振り向けばあの時より少々老けたが顔つきは前よりたくましくなった男が立っていた。
「今はスギナと呼ばれていますよ。ゴミ捨て場の帝王殿」
紫水晶のような長い艶髪を垂らした一見騎士にも見える がたいのよい男は目の前まで歩み寄るとまじまじとスギナの左肩を見つめた。
自分と同じ印の火傷に呆れた顔をしながら新しい名の呼ぶ。
「スギナか。まぁ、いいんじゃねえの。
それで、首尾はどうだ?」
「順調ですよ。お目通り叶ってまだ命もこの通り、まさか誰かに先を越されていたとは露にも思いませんでしたが」
「へえ。」
この男、クロウは興味があるのか無いのかよくわからない返事をする。スギナがやることに一切口を出すことも聞き出すこともしない男だ。焼き印を入れた時もレディはもちろん、あのジャックまで怒りに顔を赤らめたがクロウはまるで子供の悪戯を楽しむように頷きを返すだけだ。
「それでもまだ手はありますからね。その事でお二人にお願いしたいことがあるのですが」
「わかってんよ。用がなければお前が寄りつくわけもねえしな。」
それに関してはスギナは少々心が痛む。買われた身の上とはいえ、ここまで身を置かせてくれた家だ。なんだかんだ駒使い程度に仕事をしていたが衣食住に困ることもなく彼の妹のレディも舌無し大男も親切だった。それに、クロウはスギナを傷つけるようなこともしなかった。この華の国で、スギナがケモノだとわかっていて人と同じ扱いをする数少ない人間の一人だった。それは自分達も同じ人間として扱われなかった過去によるものだろう。
「すみません、どうにもここは人が多すぎるので寝床には落ち着かないんですよ。」
「構わねえよ。それよりお前、前より濃くなったな。なに食った」
クロウが言っているのはスギナの痣の事だった。生まれつきに持つ縄状の黒い痣はマナを吸い込むことでより濃く体を蔦のように伸びる。
歳と共にそれは致し方ないものではあるのだが、魔力を食らえばそれは植物のように早く成長するのだ。まるで首を締め上げるために這い上がる茨のように身体中に這い広がる。
「ちょっと毒気の強いものを」
スギナがニヤリと笑うとクロウは兄のように頭に手を置いた。スギナの艶光りする黒いくせっ毛をがしかしと、まるで野良犬を安心させるように撫でると改めてスギナの顔を見つめて呟いた。
「いつか、お前が本当の笑顔を取り戻せるといいんだが」
「何か言いましたか?クロウ」
よく聞こえずにスギナが聞き返すとクロウは乱暴に手を離し、 何も と肩越しに手を振り浴室を後にした。
レディが用意してくれた新しいスーツにブーツ、変装用の栗毛のかつらを着けて部屋を出る。昼食にミートパイを食べ二人にそれぞれ頼みごとを済ませると屋敷を出た。
あとは食事をしているだろうグレン達に合流するだけ、と思っていたのだが先程の食事の際にクロウが面白いものを見たと教えてくれた。
馬車に乗せられる騎士。
馬車の従者は町で買ったたくさんの品物と酔っているのかぐったりとした騎士を乗せ、騎士の隣には見覚えの無い令嬢がご満悦な顔で座っていたとか。
「まさか婚約者の弟を手土産にしようとか、本当にあの姫は面白い人だ」
というか、グレンという人間はつくづくお人好しなのだと思い知った。
感情的ですぐに冷静さを欠く上に、忠誠心だけはあり、人の話を鵜呑みにする。ヒーローに憧れを抱く子どものような人間だ。
スギナの身の上を話を聞いて同情し、自分の魔力を奪ったことさえ許してしまいそうになるような単細胞。それとも美人には弱いとかそういった人種の部類なのかもしれない。
思わず声に出して笑いそうになりながらスギナは小走りで町へと戻っていった。
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