6.砂の国の姫

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大きく見開く深紅の目に映る宝石はとても偽物とは思えない光を放っていた。 「...ほ、本物なの?」 「あなたにはどう写りますか。王家のコインと一緒に収められたこの首飾り、多額の掛け金が動けば信じられるのではないでしょうか」 思わずライラが手を伸ばそうとして、宙に止まる。 「...つまり、これを私に落札してほしいということ?」 崩れない笑顔が肯定するように笑みを含む。首飾りを丁寧にトランクに戻したスギナはライラに簡単な指示を出した。 「明日の深夜、閉館後の劇場で開かれる競売でこちらを買い取ってください。お金はグレン殿が支払います。」 もはや言葉にもなっていない声を隣で張り上げたグレンを無視し、スギナとライラは話を続ける。 「値をつり上げるだけではなく落札なの?」 「そうです。どれだけ高値になっても構いません。必ず落札してください」 「それは、いいけど…」 本気で落札するなら国の予算並みにとてつもない額になると思うけど。と付け足そうとしたがライラが横目で見つめる先でグレンがだらだらと汗をかき始めたので口に出すのはやめた。 「大丈夫です。お金はこのグレン殿がちゃんと支払いますので、逃げないようこのまま連れていってください」 「.....。いいわ、他にご要望は?」 「協力頂けた後 報酬もお支払いしますよ。 そのあとはご自由に」 なんだか腑に落ちないことが多いけどライラ頷きこちらの要望を伝えることにした。 「報酬はいらないわ。強いていうならあなたが欲しい」 「グレン殿は好きにして構いませんが私は物ではありません」 俺も物じゃねえ! と今にも叫び出しそうなグレンを掌を向けて制止するとスギナはさらりとかわしつつライラに話の続きを促した。 「赤き月に、我らの巡り合わせに、星の導きに感謝を。この挨拶を知っているというのならあなたはルーンの民よね」 「正確には流れる雲と書いて『流雲(リュウウン)の民』と呼ばれますが、放浪民族のことです。華の国では『黒縄』と呼ばれますが」 「知ってるわ。だからルーン達は華の国では姿を隠すって、あなたは群れから離れて暮らしているの?」 「そうです。私は外れ者ですので彼らの居場所は知りません。」 スギナの言葉にライラは珍しく影を落とした。 「...そう。」 「何かあったのですか」 自国の事情を他国で、それも騎士を前に話すのは憚られたのだろう。それ以上ライラが話すことはなかった。 沈黙を貫くグレンを残してスギナは一人荷物を持つと馬車を降りた。 ライラが泊まる王家御用達のホテルまでの道すがらグレンは不機嫌そうに馬車に揺られていた。聞きたいことは何一つ聞けず、自分の不甲斐なさにうちひしがれていた時だ。ライラが口を開く。 「置いていかれちゃったわね」 「これは俺の失態だ。自分の身ぐらい自分で守れる。もとより仲間でもないんだ、俺があいつの立場なら同じように置いていく」 「そうなの?」 「...」 「それなら、なぜ彼はあなたに大事な物を預けていたのかしら。」 「ただの荷物持ちだろ。むしろ捕らわれる姿を見て腹の中では笑っていただろうさ」 「そうかしら。」 「それか期待外れと呆れたかもな。 今の俺は確かに役立たずだろう。」 グレンは思わず拳を握りながら思っていた。 自分で言っていて虚しく感じるところもあるが、それが事実なのだからしょうがない。 騎士であるにも関わらず剣もなければ加護もない。名ばかりの騎士に何の意味があるのか。 そんな彼を憐れに思ったのかライラはグラスにワインを注ぐ。 「ねえ、あなた馬は乗れるのよね」 そう言い手渡すグラスをグレンは頷きながら受け取る。揺れる液体を恐る恐る鼻に近づけ匂いを確かめてから一口含んだ。 流石に毒はないだろうが、一度眠らされた経験上グレンは疑わずにはいられない。 「さっきのことは謝るわ、ごめんなさい。 それで?剣も振れるのでしょう」 「手元に剣がない。」 素直にライラが謝罪するとグレンは気にしなくていいと頭を振る。頭の中にあるのは自己嫌悪それだけだった。 「でも振れるのでしょう?ねえ、前から思っていたのだけれど騎士は剣がなければ戦えないの?」 「...いや、俺は」 砂の国に騎士はいない。他国の兵士は馬には乗らず、扱う武器も様々だ。その疑問も他国出身ならではかもしれないが加えて口ごもる理由がグレンにはあった。 加護を失った。 なんて口にすることも出来ないグレンにライラはじれったいとばかりに歩み寄ると手を振り上げた。 「じゃあこれはどう防ぐの」 振り下ろされたライラの右手をグレンは易々と宙で掴む。すぐさま背中の影に隠していたワイン瓶を横顔めがけライラは叩きつけた。 その瓶も難なく受け止め、次に膝蹴りでも来るかと思っていたグレンだったが血気盛んな姫君は特に何かするわけでもなく、瓶から手を離して隣に腰かけた。 「馬がなくても剣がなくても人は戦えるのよ?魔力がなくても人は生きていけるし、国はここだけじゃない。君の世界は案外狭いのね」 そう言われると確かに自分の視野は狭いと感じる。正直騎士としての強さを求めてばかりいたグレンは外交問題やら他国の情勢には疎くライラが何番目の姫かも知らなかった。 兄のアルバートなら彼女が誰かも、国の内情も瞬時に理解しうまく立ち回れたことだろう。そういうものが得意であったから姫の側近なんて務まるのだろうが。 「...そういえば、ルーンの民というのは」 聞きなれない言葉。黒縄は他国ではどう思われているのかグレンは聞いてみたくなった。 ライラはその答えとして一つの伝承をグレンに聞かせる。 「砂の国の民なら誰でも知ってる 『赤き月と星の子』という話があるの。」 昔故郷を追われた月が出産を控えていたが白い砂の海に産み落とすことは出来ない。腹は日に日に大きくなり月は苦しみ始めた。このままでは子供も月も死んでしまう。そこに流れてきた黒い雲は自らの身をちぎり母と子の産衣にした。 真っ赤な雲の血に染まった月は無事にたくさんの星を生み、流れる雲の道しるべとなった。 月と星の子は町を作りそれが国となった今も白い海で雲の帰りを待っている。 「この、月が生んだ星の末裔が私たち砂の国の民で流れてきた雲がルーンの民。私たちが今の国を作ることが出来たのはルーンの民のお陰だから感謝を忘れるなという先祖から伝承話よ。子供向けのおとぎ話だけど実はちゃんとした実話らしいわ」 「それであの挨拶になるわけか。」 ライラとスギナが交わした言葉に絶対的な友好な証であり、信頼と尊敬の念が含まれているようだ。 「では砂の国で暮らしていたら黒縄は差別されないのか」 「奴隷制は我が国にもあるけど、ルーンは奴隷にはならない。それどころか住み着いたりしないわ。彼らは冬に来て春には去る、流れる旅を人生としているの。」 ライラはそんな生き方に憧れを抱いていたのかもしれない。一つの土地に根を張るのではなく、風と共に砂の海を渡る大鷲のような彼らはとても自由に見えた。 「だからそこから離れた者がなぜ華の国(ここ)にいるのか理解できない。それに、」 「それに?」 「....いえ、何でもないの」 ライラはスギナと出会えたことを幸運に思いつつも残念に思っていた。その理由を伝えることが出来ない歯がゆさに口を閉ざす。その代わりにとグレンに聞く。 「雲ってどんなものだと思う?」 「雲か。確か靄の塊のような感じだと聞いた、霊山デトラの周りに浮かぶ白い綿のような…」 グレンが故郷の岩の国から見た聖域ははるか上空に浮かぶ白い卵のようだった。 卵形の白雲から白線を引きながら流れ出る滝が山肌を撫で世界中に広がる。 その光景を脳裏に思い起こしながら先程の話の矛盾というか疑念をグレンは口にした。 「なぜ流れる雲なのだ。雲は霊山の麓にしか無いのに」 「ルーンの民は自分達の掟に縛られている民だから、その生き方も死に方も他の民族には理解できないわ」 それこそ、けして掴めない雲みたいに。 と、ライラは笑った。
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