7. 罠

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目の前で人が食われる。 その光景に歓喜する人間がいるとは正直信じられなかった。これは何かの間違いだと思い込みたかったが耳を貫く歓声は非情にも青年の目を舞台の惨劇に釘付けにした。 グレンは騎士になって五年、人々を守るためにと強くあろうと日々鍛練をしてきた。 王都の弱き民を守るためにと剣を振るってきたはずだった。それなのに、と目の前の光景に驚愕する。 「これは、何だ」 思わず呟いたその言葉を隣に座る仮面の姫はまっすぐに前を見ながら握り締めたグレンの拳に触れた。 「どちらが魔獣かわからなくなるわよね」 競売会場である舞台ホールの観客は皆、仮面をつけている。観客席に埋まる真っ白な仮面は身元がわからないようにとの配慮だというがそれは違うだろう。普段隠した欲望に残虐性を表に出すための仮面だ。 「誰にだって、そういうものはあるわ。あなただって戦争になれば人を殺すでしょう。傷つけられないよう手を切り落とし、立ち上がれないよう足を切る。それでも生きようとする人の胸を貫く。問題はそれに喜びを感じるか、恐怖を覚えるか」 喜びは快楽であり媚薬。 恐怖は生きるための本能。 そう諭すライラは見慣れた光景に嫌気がさすように呟いた。 「人は、自分が思うより獣なのよね」 ライラの言葉にグレンはスギナの言葉を思い出す。初めて会った時に墓場で奴を捕らえ損ねた時、冷静さを欠いて穴に落ちた時に言われた言葉。 (「本当ですよ。力任せに相手を思い通りにしようとするなんて人間のすることではありません。そんなの、ただの獣のすることだ」) それから宝石商の老婆に酷なことをすると咎められたスギナ(あいつ)に着けた首輪のこと。力で捩じ伏せるのが強さであり、正義であるとグレンは過信していた。 「確かに、俺は獣だな」 ふと、グレンが立ち上がったのでライラは慌てて手を引いた。 「ちょっと、なにする気」 「(あれ)をぶっ壊す」 「ちょ、ちょっと待ってなに考えてるの! ダメよ!早く座って!」 力づくで座らそうにもグレンは動かずライラは耳元に手を添えて説得する。 「今問題を起こせば競売は中止になる。そうしたらあの首飾りは?落札しろって言ってたのはあの人よ!」 「悪いが俺は」 降りる。そうライラの手を振りほどき言いかけた時、歓声は殊更大きくなった。 振り向けば檻の中で黒い影は紳士の肩に噛みつき、そのまま押し倒した。 観客は総立ちになり歓声がホール内に反響する。その声が聞こえているのか、魔獣に覆い被された紳士の腕は助けを求めるように宙を仰ぎ、パタリと落ちた。 「...座って、もう終わったわ」 ライラの言葉にグレンは静かに腰を下ろした。 安堵したのかため息をつくライラの足元には鳥かごがある。カバーがついているが中で時折羽ばたく音がするので鳥がいるのだろう。 「これからが私達の役目でしょ。必ず落札するからそれまで耐えて頂戴」 拍手が沸き上がる中ライラの言葉に被さるように司会者の声が会場に響き渡る。 檻の中で黒い影に覆われていく人影を最後まで見ることなく舞台床は下げられた。 もはや会場の声という声が雑音にしか感じられなかったグレンは瞼を伏せ、ただ一刻も早くこの胸くそ悪い演劇が終わることを待った。 ***** 舞台下に降りた檻の中でビチャビチャと舌を鳴らす音が響く。 檻の中には黒い障気の靄しか見えず、中年の男は額の汗を拭くのも忘れてその光景に笑みを溢した。 「叫び声がなかったのは残念ですが、まぁいいでしょう。」 そう言うと檻に背を向け歩き出した。 これで首飾りの売り上げは全て自分の物。 高値で売り上げれば身一つで消えても一生遊んで暮らせるだろう。 明るい未来を想像しながら鼻歌を歌うとオーナーである男は舞台までの道を引き返した。  檻の周りに人の気配が無くなり、黒い靄はより激しく舌を鳴らした。 「...ぶっ、も、もういいでしょっやめ、やめてくださっい!」 靄の中から腕が突き出ると自分の顔へと手を伸ばす。その手に払われるように靄は消え、大きな黒豹の姿が現れた。 「分かりました、分かりましたから!一旦落ち着きましょう」 大きな舌で何度も顔を舐められながらスギナは体を起こした。顔見知りとの再会に感動したのか、それとも勢いよく飛びついた為に心配したのかシャドーキャットは変装の為の化粧が全て落ちるまでスギナの顔を舐め尽くした。シャドーキャットが犬でなくてよかったのはよだれまみれにならなかったことだろうか。  「あま噛みが下手なのが難点ですね」 ステッキで指示した肩を噛んだのは良かったが勢い余って牙が皮膚まで貫いた。 滲み出る血の匂いにシャドーキャットは申し訳なさそうに耳を伏せ頭を垂れる。しかしそれも致し方ない事。あれ程の障気を出していたのだからそれこそ正気ではいられなかったのだ、ひどく混乱していたを落ち着かせるにはスギナが血を流すしか方法が無かった。 「気にしないで下さい。さあ、ここを出ましょう」 スギナの言葉に黒豹の姿は床に溶けるように消えると檻の下をすり抜ける。 あのガマ頭のオーナーは思惑がうまくいったことで耄碌してしまっていた。檻が舞台から降りてきた時点で、鉄格子に刻まれていた魔方陣が消えていることに全く気付かなかったのだ。スギナがうまく攻撃を避けながら鉄格子に触れていたことに気付く者は観客の中でもおそらくいないだろう。 汚れたかつらに上着を脱ぎ捨てると鍵が開いた檻を抜け出す。黒い影はゴロゴロと喉を鳴らしながらスギナの影に溶け込んだ。 「さて、罠にかかるまでもう少しの辛抱です。せっかくなので身支度を済ませておきましょう」 足元の友に話かけながら扉を開け、来た道を戻ろうとしてふと足を止める。 視線の先には相変わらず活力の見えない人影が檻の中で身を寄せ合い座っていた。 その先の通路には見張りがいる。 スギナは子供達の顔を一つの一つ覚えるように見渡して檻の前を通りすぎた。 天井から観客の騒ぎ声が聞こえる。 競売は思いの外盛り上がっているようで随分と騒がしい。 「おい!このガキ共を運べ、全員だ」 突然聞こえたオーナーの声に見張りの男達はキョロキョロと周りを見渡している。 「馬車に乗せてサカブネまで運ぶんだ、早くしろ!」 怒鳴り声を響かせれば男達はいそいそと準備を始めた。 「後は頼みますよ」 今会場で出番を待っているであろう二人に、ぽつりと呟き慌ただしく動く見張りの合間を縫ってスギナは劇場を後にした。
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