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町外れの寂れた墓地には人も寄り付かなくなって久しいらしく、墓石が削られ傾いたものから苔まみれで名前も読めないものが散在している。
夜更けにこんなところに寄り付く者などおらず、どかりと腰を下ろすと正面に見える名も知らぬ墓下の住人に一輪の花を手向けた。
「一晩世話になるよ、なぁにお構い無く。 騒がしくするつもりはないからおたくも眠っていてくれてよいよ」
さらさらと吹く風に小さな花弁が揺れる。
その風が心地よく、そのまま寝入ってしまおうかと思ったが風が止むのと同時にそれは諦めた。墓地の入り口から足音が聞こえた。
先程の兵士達とは違う、静かで力強い歩み。
一人か。外套で顔を隠しながらも視線を向けてみればそれは一人の青年だった。
衛兵のような簡易な防具も身につけず、ただ腰に剣を差しただけの身軽な姿。
月明かりでもはっきりと見える赤い髪に覇気の灯る真紅の目。
「おや、こんな時間に墓参りですか」
「とある方の命によりお前を連れていく」
数メートル先まで歩み寄っては立ち止まりぶっきらぼうに言い放つと剣鞘に手を添える。
本当に厄介なのは、こういう奴だ。
たった一人で来るということはそれなりの腕があり、尚且つやんごとなき御方の従者だということだ。
そういった方々とはお知り合いにならないのが無難であり、長生きのコツ。
「こんな時間に?明日にしてくれませんか」
「...」
賑かに返事をしてみるが相手は聞く耳を持つ気はないらしい。手をかけるだけではなく、早々に剣を引き抜いた。
「...いやはや、騒がしくしないと約束したばかりなのに。」
「大人しくしろ」
「静かにしてくださいよ。ここで騒ぐのは野暮ってもんです。お墓ですよ?」
「黙ってついて来るというなら怪我はしない」
怪我で済めばよいものだがこの男の素性からしてその後が面倒だろう。かといって逃げるのも骨が折れそうだ。
「騎士団長の弟君がわざわざこんなところまで来てくださるのですから、これは行かねば後々大変でしょうね」
「...」
反応が無いということはそれを隠す必要もないということか。
剣を抜いたものの刃は地面を差している。
脅しで抜いただけなのは明白だがお陰で素性が割れた。刀身が月の光に煌めく、ただの鉄ではなく特殊な鉱石を含んだその剣は黒く星屑のようにきらきらと小さな光を放っている。特殊な鉱石を含んだ剣、所謂魔剣を騎士の中で使うのは辺境クロノス鉱山を所有する一族だけ。その中で黒い魔剣に赤髪の騎士ときたらたった一人だ。
「『赤狼』グレン・ハワード様」
「俺を知っているというなら、大人しく来る気になったか」
確か歳は20だったか、眉間に皺を寄せ苛立ちを表情に出すくらいまだまだ子供だ。
『門番』の異名を持ち代々騎士団団長を務めるハワード家の四兄弟末弟。一族唯一の真紅の瞳に赤髪という容姿から私生児といわれるが剣の腕を買われハワード家の養子となったとか。
「お噂は予々」
「与太話はもういい。大人しく来るのか、来ないのか」
「行きません。」
「...は?」
「嫌ですよ。お引き取りください」
拝むように片手を顔の前に突き立て左右に振る。無理、断じてお断り のジェスチャーに気のせいか青筋が立っている気がする。
恐らく、いや確実にこいつは短気な性格だ。
「何度も言わせないで下さい。明日にしてくださいよ、もう眠いんです。」
ひゅんっ 突然風が鳴ったかと思えば目の前に切っ先を向けられている。瞬時に距離を詰めこちらの身動きを封じたのは彼の力量こそ。
「分かった、寝てていい。ついたら起こす」
「こう見えてわたくし繊細で、人がいると眠れないんですよね」
一瞬の沈黙の後、グレンの口角がひきつったかと思えば切っ先が動く。
人体の構造上、一度剣を突き立てれば否が応でも引かなければならない。
踏み込みの効かない草や苔の生えた地面なら尚の事。更に四方は墓石に囲まれていれば長い刀身を大きく振ることも出来ない。
グレンが自分を五体満足生きたまま連れていかなければならないのならそれは格段に難しくなる。
「これだから権力者というのは嫌いです」
一度肩まで振り上げられた刃が地面に叩きつけられたと同時に後方の墓石上に着地する。
ひらりとはためく外套が下がりきれぬ内にグレンは大きく踏み込んだ。
「断られたらすぐ力で押さえ込もうとする。自分の言い分しか頭に無いのでしょう。
断られると思わない?なぜ?いきなり人の寝処に現れて遣いの者だけ遣わせ名乗りもしない。礼儀も欠いている上に常識も無さそうだ、そんな人間の話を聞く暇はないのでお断りさせていただく。」
何度か振られた刃をかわしつつ、墓石の上を飛び回る。主人の悪口を言われ頭に血が上っているのか最後には墓石を酷く崩れさせた。
「どのみち話というのもろくなものでは無いでしょう。ただ命令をすることしか能がない我が儘お姫様のお相手は御免被るよ」
相手がチンピラや衛兵程度なら息が上がっていてもおかしくはない。けれどもグレンの息は乱れるどころか剣先の動きの俊敏さもこちらの動きを見る眼光の鋭さを増していく。
墓石の連なりから近くに植えられた樹木へと大きく跳ね太い幹に飛び移る。
「言葉に気をつけろ。今ここにいるのが命令じゃなかったらとっくに殺してる」
移った先に足先が着くと同時に、その声は頭上近くから聞こえた。顔を上げればあの真紅の瞳がすぐそこにあるだろう。
『風』属性魔法。踏み込みの際に足元で使い瞬時に遠くへ飛ぶのは常套手段だ。
これほど速やかに使用するのは初めて見た。
素直に感心しつつ、幹から足を滑らせる。
するりと沈んだ頭上を刀身が横切っていった。
木の根もとにふわりと着地するのに次いでグレンが勢いよく降りてくる。
こちらが避けられないと悟りグレンが剣の柄で脳天に叩きつけようと拳を下ろした、
瞬間。
「?!なっ」
地面が崩れる。
慌てて木の根を掴み飛び上がろうとするグレンの頭に足を乗せた。
「嫌だなぁ、荒っぽいのは苦手なんです。」
「抜かせ」
力任せに這い出ようともがく赤髪の青年をこれでもかと笑顔で押し返す。
「本当ですよ。力任せに相手を思い通りにしようとするなんて人間のすることではありません。そんなの、ただの獣のすることだ」
どんなに挑発しても、平静を装えるのは騎士として訓練の賜物だろう。けれどまだ若いこの騎士は自分でも気付かぬ程度に感情が表に出ている。こちらを睨む真紅の瞳には屈辱の為怒りの炎が灯った。
「言ったでしょう。こんなところで騒ぐのは野暮だと、この辺は昔の流行り病の名残で集合墓地があるのですよ。ちょっと掘るとすぐ大穴にぶち当たる。出るのは簡単ですので、それでは ーー」
「待てっ」
頭に乗った足を掴もうと伸びた手、それを交わし木根を掴んだ手を思い切り蹴飛ばせば泥の着いた赤髪が宙に浮く。
「ー― また」
落ちていく体を見送ること無く、木の根元に立て掛けてにあった板を倒す。
大人しく落ちていく際に言っていた暴言は聞かなかったことにしよう。
張り付けられた仮面のような笑顔は白ばみ始めた空を見上げて鼻歌を歌いながらその場を後にした。
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