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父のつたない書き散らし
うちの娘はこだわりが異様に強く、なかなか育てにくい子でした。
きっかけは2歳のころ。
それまでは覚束ないながらも順調に子育てしていたのですが、娘が急に癇癪をおこして反発するようになりました。
当時は、ついにイヤイヤ期が来たかと、夫婦そろって腹をくくったものです。
その期間はというと、これまでにない、全く予期しなかった体験をすることになりました。
ドアの開け閉め、電気のオンオフ、トイレの水を流す
これらを親がやると、大泣きして抗議するのです。
「私がやりたかった」と叫んで。
それ以降は、ささいな行動でも娘の様子をうかがう必要にせまられました。
眠る時や、出かける時の消灯も気を遣います。
自分がトイレで用を足しても、水を流すことをためらいます。
いちいち娘に声掛けをして、やりたいかの意思確認をとりました。
それがもし1回2回娘にやらせてみる、という程度ならなんてこと無いのですが、トイレの件は数ヶ月、電気にいたっては年単位で続きました。
また、一番になりたい、というこだわりも強烈です。
何にしても一番でなければ大泣きして、周囲がどんな風になだめて、あるいは気持ちに寄り添ってみても、一向に納得しません。
気が済むまで延々と泣き続けるのです。
その気質は年月がすぎ、幼稚園生になっても、こだわりは強烈なまま。
一番になれないと泣いては周囲を困惑させ、あるいは、よく分からないポイントで癇癪をおこしては、幼稚園の先生さえも困らせました。
それでも当時は自分も妻も、こんなものだろうと考えていました。
4歳なんて、まだまだ分別もつかない年頃、小学生にでもなれば落ち着くだろうと。
そんなある日、幼稚園の先生からはこう告げられました。
一度医者にみせた方が良いと。
正直なところ、大げさだなと思いましたし、妻も似たような意見でした。
そう思いはしても、言われた通り医師にかかってみたところ、結果は「発達障害」でした。
くわしい病名は割愛するのですが、能力や感覚が一部で優れていたり、あるいは劣っていたりして、一般の子よりも差分が大きすぎるそうです。
そこに娘特有の生きづらさや、困難があるのだと診断されました。
それを知った日、教育方法を変えました。
医師をはじめとした様々な人からアドバイスをちょうだいし、なるべく娘を安心させてやるよう、接し方を見直しました。
文字にすると簡単なのですが、これが意外と難しく、特に叱る時は大変でした。
強い言葉や口調は厳禁で(そもそも初めからやってはいませんが)、やわらかな言い方や、どんなに言葉を選んでも、ダメな時はダメ。
娘は、必要以上に気を落としてしまうように見えました。
親としては、危ないことは危ない、悪いことは悪いと教えなければならず、そこにジレンマを感じることもしばしば。
月日は流れても、こだわりは強いままで、娘はクラスでも浮いた存在になりつつありました。
女の子というのは、この年齢からグループなり秩序なりができて、変わり者は弾かれてしまうそうです。
ご多分に漏れず、弾かれる側でした。
あらゆる手段を用いて、人との接し方や好かれ方を教えても、ほとんど響かず、正直お手上げでした。
あとは運を天に任せしかないと、夫婦ともに割り切ることに。
そんな娘ですが、さらに「夜驚症」にも似た症状が出るようになりました。
具体的に言うと、夜中に泣きわめきながら、散々に暴れ倒すのです。
壁を力の限りに蹴り、床をバンバン叩いて、独り言を呟きながら、ひたすら暴れ続ける。
声をかけても反応はないので、静める事はできません。
そして本人にはその記憶がないので、諭す事も不可能。
そんな時に親に出来る事は、ただひたすら怪我のないように見守るだけですが、10分ほどの時間が永遠のように感じられた事を覚えています。
今は症状を和らげる薬を処方されたので、落ち着いていますが、当時はずいぶんと打ちのめされたものです。
なぜこうも辛い局面が続くのか。
子育てとは、こんなにも大変なものなのか、と。
想像をはるかに上回る苦労に、愕然とさせられました。
親といえど生身の人間、このままでは保たないと思い、工夫するようになりました。
夫婦のどちらかが娘の相手をする間、もう片方は休むという手段です。
週末は家族そろって出かけたり、食事は全員で、としているのですが、それ以外の部分です。
たとえばスキマ時間の遊び相手、お風呂、ちょっとした散歩等など、そういった短い時間で、クロールの息継ぎのように、心身を休める。
いつしか、そんなシフトが自然と組まれるようになりました。
家族仲は良いと思います。
娘のことを、生まれた日から変わらず愛していた自覚もあります。
しかし、心のどこかで半歩引いた部分があった事は、否めません。
自分の子供といえど人間関係です。
何が地雷で、何が起爆剤かもわからない相手と接するのは、少なからず緊張を強いられます。
楽しく笑いながら接する間も、どこか、ヒヤヒヤとさせられました。
そのようにして、どうにか暮らしているうち、襲ってきたのが物価高の嵐です。
ささやかな楽しみも、ちいさな贅沢も厳しくなり、節約を強いられました。
この時ばかりは私も危機感を覚え、時間の許す限り知恵を求めました。
今の給料じゃ足りない、もっとお金を稼ぐことはできないか。
どうにかして、豊かで健やかな暮らしをおくれないか。
それを実現するために、ひたすら探しました。
政治や経済の見通し、世界情勢、哲学、脳科学、スピリチュアル、とにかく気になったものを片っ端から学ぼうとしたのです。
そうなると、娘を相手する時間が、徐々に辛くなってきます。
いつしか私は、一種の中毒になっており、学んでいない時間が不安でたまらなくなりました。
成果がでていなくても、とにかく1文字でも何か欲しい、そんな欲求にかられたのです。
しかし、そんな父親であっても、娘は不満を口にしませんでした。
いつもと変わらぬ笑顔で、たまに泣いたりして、私と接してくれました。
娘の真心への感謝と、自分の不甲斐なさと、将来への不安で、心はゴチャゴチャになっていたと記憶しています。
そこまでして得た学びは、何も結実しないままに、月日だけが流れていきます。
ある日、私は仕事がうまくいかず、打ちのめされて帰宅しました。
ありていに言うと「ボロ負け」したのですが、心のダメージは深刻でした。
日付をまたぐ直前の帰宅だったので、気分転換する間もなく床につきました。
やはりというか、寝付けません。
そして寝入ったかと思えば、記憶がフラッシュバックし、数十分で目が覚めてしまいます。
仕事辞めたい、よその会社に転職したい、いつまでこんな仕事をしなくちゃならんのか。
そんな言葉が脳裏をよぎるのは珍しくありませんが、この時は強烈でした。
ひどく疲れているのに頭は覚醒してしまい、深く眠ることができません。
短く寝ては起きることの繰り返し。
何度か浅い眠りを繰り返すうち、またもや目覚めたのですが、今度はまったく別の理由でした。
夢に現れた娘が、笑顔を浮かべながら言うのです。
「パパ、あそぼ!」
そこでの目覚めで、心の在りようは大きく変わりました。
胸の中から暗雲が遠のき、心が軽くなったのです。
それと同時に、自分の愚かさを痛感させられました。
なにが金だ、豊かな暮らしだ。
一番大切な宝物は、そばにあったじゃないか。
ちょっと変わった所はあっても、素直で元気な娘じゃないかと。
自分は認識を誤っていました。
生きる上でお金は大切ですし、心身を健康に保つためには、ある程度の豊かさが求められます。
それでも金はでていっても入ってきます。
豊かさも、心のありようでどうとでもなり、実現する選択肢は多くあります。
その一方で、娘はこの世に1人、かけがえのない存在です。
そんな娘と過ごす日々も、やはりかけがえのないもので、やり直しもききません。
今は、今しか無いのです。
それに気づいた瞬間、娘との間に横たわる壁は崩れ落ちました。
すると、そっと寝床から抜け出し、寝室で眠る娘をながめました。
脳裏に取り留めもない言葉を浮かべながら。
今日はいい天気だね
最近暑くなってきたよ
学校はどう?
給食はおいしい?
友達とどんな話してる?
マインクラフト好きだよね
その動画はどんなところが面白い?
今度の休みはどこへ行こうか
今日も元気だね、ありがとう
産まれてきてくれて、ありがとう
話しかけたい気持ちをこらえて、寝顔を眺めるだけ眺めると、すぐに寝床へ戻りました。
その日の朝は、いつもより口数が多くなる自分がいました。
娘はというと、べつに驚くでもなく、いつもどおりのリアクション。
傍目からすれば、たいした変化は起きていないでしょう。
しかし、自分の中では大きな大きな一歩を、人生に刻みつけた瞬間だったのです。
娘が生まれて7年目、パパはようやく、本当のパパになれた気がしています。
さて、これから残り何年、娘は父親と仲良くしてくれるでしょうか。
今後は娘も友達付き合いが増え、思春期には親と疎遠になり、大人になれば巣立っていく。
その日を笑顔で迎えられるように、今この瞬間を大切に生きていこう。
かけがえのない娘を、かけがえのない妻と並んで見守りながら。
以上が、不出来な父親が書き散らしでも残しておきたかった、愛娘へのメッセージです。
ここまでつたない文をお読みいただき、ありがとうございます。子育てに苦労はつきもので、中にはノイローゼにまで追い詰められる家庭もあると思います。
それでも何かキッカケひとつで好転する事もあるので、あまり思い詰めず、道が開ける日を待つのも手かと思います。
どうやら、心の在りようで世界は変わるらしいので。
ご精読ありがとうございました。
ー終ー
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