変な客

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   ◇   ◇   ◇  小太りの男が初めて現れたのは、アルバイトを初めてすぐの事だった。夕方の帰宅ラッシュに重なり、慌ただしくレジの行列をさばきながらプチパニックに陥った私は、ついうっかり、 「レジ袋は温めますか?」  などと口走ったのだ。その相手こそ、小太りの男だった。  一応補足しておくと、「レジ袋はご利用になりますか」と「お弁当は温めますか」が混ざってしまったのだ。 「お弁当は温めて。袋はいいです」 「し、失礼しましたぁ!」  顔を真っ赤にしてお弁当を温める私を、小太りの男は上目遣いで、ニヤニヤしながら見ていた。  以来、小太りの男は毎日のように、夕方六時頃になると店にやってくるようになった。  これまでにも顔や胸元のあたりをジロジロ見て来る客はいた。ナンパみたいに名前や連絡先を聞かれたり、連絡先を書いた紙を渡されたりする事もあった。その時も嫌悪感は感じたものの、そうして具体的に行動に表してくれるならまだマシに思える。こっちもはっきりと「NO!」と突き返す事ができるから。  それに対してあの小太りの男は、ただただジロジロと私を盗み見るだけだ。こちらが気づいて目が合うと、さっと目を逸らす。時にはニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている事もある。私が気づいていると認識しているはずなのに、それでもやめようとしない。だから止めようもない。  アルバイトを初めて三ヵ月の間に、色んなお客さんに接してきたけれど、あの小太りの男は断トツで薄気味悪かった。  あくる日も小太りの男はやってきて、三十分弱店内を徘徊した後、チキン一つを買って帰って行った。 「ありがとうございましたー」  店を出て行く背中を見届けた途端、どっと肩の力が抜けた。あえて「またお越しくださいませ」と言うのはやめておいた。  小太りの男をやり過ごし、帰宅時のピークを乗り越えれば退勤まではあっという間だ。  私の勤務時間は夜八時まで。夜勤の人が出勤してくるのを待ち、入れ替えで退勤となる。 「お先に失礼します」 「お疲れ様ー。気を付けて帰るんだよー」  相変わらずバッグヤードでパソコンとにらめっこしている店長に挨拶して、裏口から店を出る。  そこで――私は思わず立ちすくんだ。  店の角に、あの小太りの男が立っていた。 「や、やぁ……今あがり?」  まるで私を待ち構えていたかのように、小太りの男は気安く声を掛けてきた。 「じ、実は話があるんだけど、ちょ、ちょっとだけ時間、いいかな」  驚きのあまり、声も出なかった。完全にパニックで、頭の中が真っ白になった。 「こ、困りますっ!」  半ば悲鳴に近い声で拒絶し、一目散に駆け出した。  なんで? どうしてまだいるの? 二時間も前に出て行ったはずなのに。  もしかして、仕事が終わるのを待ってた?  待って……何をしようとしてたの?  全身を駆け巡る悪寒を振り払うように、無我夢中で夜の町を駆けた。途中、勇気を振り絞って後ろを振り返り、小太りの男がついて来ていないのを確認して、ようやくその場に立ち止まった。  力が抜けて崩れそうになる膝を、かろうじて手を突いて支えた。息を吸っても吸っても苦しくて、全身が火のように熱かった。過呼吸を起こしかけているのが自分でわかって、ゆっくり何度も深呼吸を繰り返した。  まさかあんな行動に出るなんて。  仕事中に声を掛けられる事はあっても、勤務時間外を狙われたのは初めてだった。仕事を終えたプライベートな時間に、平気で声を掛けられた事がショックでならなかった。あんな人がいるなんて、信じられなかった。  とにかく一刻も早く家に帰ろう。こんなところで立ち止まってたら、アイツが追ってくるかもしれない。  気を取り直して再び歩き出した――直後の事だ。  ト……ト……ト……トタ……。    他の誰かの足音が混じったような気がして、青ざめた。振り向いてみても、いつもと同じで人影はどこにもない。  けど――再び込み上げる恐怖から逃げるように、私は全速力で走り出した。  やっぱり、あいつなんだ!  あの小太りの男が、ずっと私をつけ回してるんだ!
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