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砂羽とセックスしたあの日から、既に1週間と3日経っている。
腕を掴まれた痛みは既に引き、浅黒く変色していた痣は随分薄くなってしまった。
腕を擦りながら、砂羽の痕跡が消えてしまうのが寂しくなる。
キスマークでもないのに、砂羽につけられたというだけで優しい甘さが心に響き、どうしようもなく恋しくなる。
会いたい。
――砂羽、今はなにしてんだろ?
近所に住んでいるというだけで、生活パターンはまったく異なる。
砂羽の家の前をわざと何度も通りすぎても、砂羽とばったり鉢合わせ……なんてことは1度もない。
バイト帰りに砂羽がいるであろう明かりがついた部屋を仰ぎ見て、なんとも言えない寂しさを感じていた。
一体砂羽は何をしているんだろうと疑問に思いながらも、そんなことを聞くのも躊躇われる。
砂羽にとって俺はただのヤリ友であり、恋人でもないのにしつこく探りを入れて、鬱陶しく思われるのも怖い。
したくなったら連絡してという言葉が何度も頭に浮かんだが、まだ連絡する勇気はない。
あんなのはただの冗談だと軽く流され、冷たい声で線引きされて傷つきたくない。
「意気地なし。」
ベッドにごろんと仰向けのまま天井に向かってそう呟くと、その声が俺に向かってまっすぐ降ってきた。
給料日を過ぎてもいつものように新宿に遊びに行く気にもなれず、バイト先と家を往復する毎日はひどく窮屈で、スマホ片手にごろごろと暇を持て余す時間が格段に増えた。
特に今日みたいにバイトもない日は、1日中家でだらだらと過ごしている。
窓からの陽射しは相変わらず強烈で、雲という傘がない空は青々としていて美しい。
砂羽の澄んだ瞳を思い出して、うずうずする後孔にパンツの上から指を這わせる。
しかし、自分の指なんかでは満足できるわけもなく、過去最長の禁欲期間が今日も更新されている。
「アイスでも食おう。」
大きめの独り言を残し、気分転換にリビングに向かうと、母親がキッチンに立っていた。
「かーさん、アイスー。」
俺がそう言うと、母親が無言でソーダアイスを手渡してくれた。
それを受け取り銜えると、しゅわしゅわとした心地よい甘みが喉を通り過ぎていく。
その姿を静かに見守っていた母親は軽くため息をつきながら、いつもの小言をぶつけてきた。
「毎日ごろごろばっかしてないで、若者らしく海とか山とか旅行とか行ったら?布団も干せないじゃない。」
いつものようにぷりぷり文句をもらしながらも、俺がソファに寝そべってテレビをつけると、何も言わずとも麦茶がでてくる。
いくつになってもなんだかんだと甘やかす母親のおかげで、俺が一人暮らしできる日はかなり遠い。
飯の炊き方はもちろん、洗濯や掃除なんてしたことがなく、気がつけばクローゼットに皺のないシャツが並んでいる。
そんな実家の居心地のよさを覚えてしまうと、自分で家事を全てこなしている相葉の生活は気ままに見えて、意外と大変なのではと想像してしまう。
――俺だったら、絶対無理。
忙しなく動き回る母親の姿を目で追いながら、自分の一人暮らしを想像して苦笑いを浮かべる。
「だって、外暑いんだもん。」
ぱたぱたと手で仰いでいると、布団を取り込んでいた母親が俺に扇風機の風があたるよう調整してくれた。
背中に目でもついているのではないかと母親の背を睨んでいると、額に汗の粒を浮かべた母親が思い出したように言葉を繋げた。
「砂羽くんなんて、毎日のようにバスケの練習しているみたいよ?」
「しゃわが?」
アイスを銜えたままそう聞き返すと、母親にまたため息をつかれた。
「日向も砂羽くん見習って、その薄い身体を少しはましにしたら?女の子に笑われるよ。」
「かーさんはその太くなった腹なんとかしないとな?父さんに逃げられるよ。」
母親の小言に俺がそう返すと、俺とよく似た母親の目じりがいつもよりも吊り上がる。
「夕飯は、日向の大好きなピーマンの肉詰めにします。」
そう宣言してキッチンに向かうと、宣言通りピーマンを野菜室から大量に取り出した。
「うげ。ハンバーグにしてよ。苦いの嫌い。」
「もう子供じゃないんだから、好き嫌い言わない!」
そうぴしゃりと言うと、いつもよりも大きな音をたてて玉ねぎを刻み始める。
よほど腹の肉を気にしているのか、無言の背中に圧を感じた。
「ってゆーか、それどこ?」
「え?」
「砂羽の練習してるとこ。」
俺がそう聞くと、驚いた表情の母親が振り返る。
「区の体育館みたいだけど……え?行くの?暑いわよ?」
「今どっか行けって言ったばっかじゃん……。」
俺がそうもらして立ち上がると、慌てた様子でキッチンから飛び出してきた。
「ほら、帽子被っていきなさい!」
父親のだっさいキャップを俺に否応なく被せると、再びキッチンに引っ込んでいく。
「やだよ。暑いしだせえ……。」
帽子を脱いで母親に返すと、その代わりによく冷えたペットボトルを押し付けられた。
「子供なんだから親の言うこと聞きなさい。ほら、飲みもの!熱中症になるよ!」
――さっき子供じゃないって言ったくせに……。
そう思いながらもうっかり口にしたら、ピーマンだらけの食卓になりそうで口を閉ざした。
冷え冷えのペットボトル2本を大人しく受け取り、疑問に思いながら母親を見上げる。
「2本も?重いんだけど……。」
「どうせ自転車で行くんだから、大した荷物じゃないでしょ?1本は砂羽くんの。ほら、タオルも。」
母親に反抗するのは得策ではなく、そのタオルも大人しく受け取って玄関の扉に手をかけた。
同性の友達にタオルと飲み物の差し入れなんて普通はしないだろうと思いながらも、会えるきっかけになればなんでもいいというのが正直なところ。
「じゃ、いってきまーす。」
「車と変質者には気を付けるのよ!」
子供の頃から変わらない言葉を背中に浴びながら、厳しい陽射しに目を細めた。
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