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新宿駅に辿り着いても、人はまばらだった。
赤ら顔の会社員や夜を生きる人たちとすれ違い、シャッターが下ろされた静かな通りを1人で逆方向に進んでいく。
しばらくするとサボカフェの看板が目に飛び込んできたが、カーテンで閉め切られているため、中の様子を伺い知ることは出来ない。
――もし、店に泊まり込んでいたとしても……流石にこの時間じゃ寝てるよな?
そう思いながら見上げていると、後頭部に軽い衝撃を受けた。
「んなとこにいたら通行人の邪魔だ。」
「え……サボさん?」
振り返ると、なぜかサボさんがコンビニ袋をぶら下げて立っていた。
「幽霊でも見たような面だな?」
そう言って口端をにっとあげると、大きな手で頭をかきまぜられる。
ぐしゃぐしゃになった髪を整えながら、サボさんを見上げた。
「なんで、こんな時間に?」
「じじいだから目が覚めた。寄ってくだろ?」
そう言って目で促され、サボさんの後ろに続いて店内に入る。
こんな時間にわざわざ店に来る用事もないのだから、俺が行き場に困ってここに来るだろうと見越したのだろうか……?
そんなことが頭に浮かび、艶のないぼさぼさの後頭部に礼を述べる。
「ありがと。」
「何が?」
「なんでもなーい。」
サボさんの横を通り過ぎて先に店に入ると、そこは真っ暗で静まり返っている。
サボさんと一緒に全てのカーテンを引くと、眩しいくらいの光が窓から射し込んできた。
カウンターの上に乗せられていた椅子を下ろして席につくと、サボさんは煙草を銜えたまま何やら作り始めている。
それをじっと覗いていると、サボさんが顔を上げた。
「朝飯、食うだろ?」
「あー、うん。」
正直おにぎりを食べたせいで腹は空いていなかったけれど、好意に甘えて頷くと……
目を細めて微笑まれる。
珈琲の香りがたちこめる店内で、いつもの音楽が流れだす。
ベーコンと卵が焼ける音が食欲を誘い、パンの焼ける香ばしい匂いが合わさると……
先ほど食べたばかりだというのに、俺の腹は元気よく音を鳴らす。
白い皿にベーコンエッグとトマトサラダ、そして焼きたてのパンが並べられる。
朝ごはんとしてはありきたりだったけれど、こういう場所で食べる朝飯は格別に思えた。
「あれ、3人分?」
カウンターに皿を運びながら尋ねると、サボさんは何でもないように告げる。
「ああ。透も来るから。」
「こんな早くに?」
最初は何やらぎくしゃくしていた2人だったけれど、最近はやたらと仲がいい。
それでも、営業時間前に2人で毎日仲良く朝飯を食ってるのはどうも不自然に思えた。
冴木さんの顔が頭に浮かび、3人の関係がますますよく分からなくなる。
「ただの餌付けだ。」
俺がよからぬ想像をしていたのがバレたのか、サボさんは軽く笑いながらカウンターに腰を掛ける。
「ネコじゃあるまいし……。」
サボさんを横目にそうぼやいていると、タイミングよく透さんが顔を出した。
いつも着ているような服ではなく、サボさんにでも借りたのか少しだぼついた皺の残るシャツを羽織っている。
その姿に思わずサボさんを見つめると、俺の視線は綺麗に無視してトマトを口に放りこむ。
「あれ、ひゅう?」
「おはようございます。」
「おはよー……っていうか、どしたの?」
「透さんこそ、早いですね。」
いろいろと聞きたいことはあるけれど、サボさんが答えてくれるわけがない。
そう思って透さんに尋ねると、なんでもないようにあっけらかんと答える。
「ああ、サボさんに起こされて。」
「え?」
サボさんに顔を向けると、涼しい顔で珈琲を啜っている。
「実は今、サボさんとこに居候させてもらってるんだ。」
サボさんの隣に腰をかけた透さんの言葉に思わず2人を見比べても、サボさんは気にした様子もなく平然としている。
俺が遊びに行きたいって言っても断固拒否していたあのサボさんが、出会ったばかりの人を家に泊めているなんて信じられない。
――ってことは、そういうことなのか……?
「……まじすか?」
「何が?」
透さんは意味が分からないという顔で、上品な仕草でカップに口をつける。
「いや、無事かなって思って……。」
朝っぱらからこの話題はどうなのかと思い言葉を濁すと、透さんは爽やかに微笑みながら、俺が避けた話題をはっきりと口にする。
「ひゅうが心配しているのは、サボさんの貞操?それとも俺の?」
「いや、はは。どっちでもいいんすけど……。」
この2人がヤってる姿はどうも想像できないというか、サボさんの恋愛事情を探るのは少し微妙。
そんな俺の心情などまったく無視した透さんが、前のめりに尋ねてきた。
「ねえ、ひゅうはどっちがいいと思う?」
「何がっすか?」
「俺がウケやんのとサボさんがウケやんの。」
「んぐっ!」
咀嚼していたパンを無理やり飲み込んだせいで、思い切り咽た。
それを珈琲で流しこみながら、胸を叩く。
透さんとサボさんの顔を見つめたが、やはり想像できないというか想像したくないというか……。
俺が言葉に詰まっていると、サボさんがようやく口をはさむ。
「……つまんねえ話してねえで、さっさと食え。」
サボさんに促されて俺は無言で食べることに専念していると、透さんはトマトをフォークで刺して小さな口に放りこみ
美味しそうに咀嚼しながら、サボさんにちらりと流し目を送る。
「サボさんガード固いから、少しもヤらせてくれないんだよね。」
透さんがサボさんを色っぽい視線で見つめながらそう話しても、サボさんはその視線を綺麗に無視して静かに食事を続ける。
「透さん、その話はちょっと……。」
2人の雰囲気に耐えられずにやんわりと止めに入ると、透さんは意外そうに俺を見つめる。
「ええと……俺にとってサボさんは、親父みたいなもんなんで。」
「消化不良を起こしそうな話題は止めてくれ。」と苦笑いを浮かべてそう言うと、透さんはあっさりとその話題を引っこめた。
「あ、そういえば司とはどうなった?」
「え?」
「ほら、司の誕生日に……。」
透さんの言葉に、相葉との情事を一瞬のうちに思い出した。
その夜のことはもちろんのこと、全身ひどい筋肉痛でベッドから出られないことまで思い出して項垂れていると……
サボさんが不思議そうな目で俺を見下ろしている。
「……透さんのせいですからね?」
「え、俺?」
「俺がやる気満々で誘ったって思われたんすから……。」
そう言うと、サボさんが食後の一服を味わいながらニヤリと視線を送ってきた。
「おー……あのガキがついに手を出したのか?」
「ついにって、何?ってゆーか、サボさんに相葉の話したっけ?」
「まーまー。いいじゃねえか。」
サボさんは何やら満足そうに頷いて、透さんと視線を交わせている。
なんか1人だけ蚊帳の外っていう状況がいささか気になるものの、前のぎくしゃくしていた頃よりは大分話しやすい。
「そっかぁ……おめでとう!サボさん、赤飯ある?」
「んなもんねえよ。普通に酒で乾杯すりゃいいだろ?」
そう言って朝っぱらから未成年にビールを注ぐサボさんに呆れながらも、よく分からないまま3人でグラスを交わす。
2人で何やら嬉しそうに会話をするのを遠目に見つめながらも、透さんをむっつりと睨んだ。
「っていうか、すげえ大変だったんすよ?」
「え、なになに?司、下手くそだった?」
「……おい。」
サボさんが透さんを咎めても、透さんは聞く気満々の姿勢で微笑んでいる。
「いや、巧かったんですけど。朝までコースの全身筋肉痛で、2日も寝込みました。」
「……激しかったんだね。」
「腰痛いし、喉痛いし、身体重いし、超サイアク 。」
「おいおい。もう、その話はいいんじゃねえか?」
「え?」
意味が分からず透さんとサボさんを見つめたが、何やら照れた様子で乾いた笑みを浮かべている。
「透も俺も……複雑だ。」
「なんで?」
さっきまでノリノリで聞いていたくせに、急になんだと思いながら見ていると……
再び視線で会話する2人にげんなりする。
「なーんか、仲いいんですね?」
「え?」
「あ?」
2人そろって似たような言葉を口走りながら、同じ表情で俺を見つめている。
「この前まで険悪な雰囲気だったのに……。」
俺がそう拗ねると、透さんが声を出して笑いながら俺の隣に腰をかける。
「あはっははは。パパとられて妬いてるの?かーわいー!!」
俺の頬をムニムニと摘まむ透さんを見つめていると、サボさんまでへらへらしながら話にのってきた。
「ほら、ひゅう。新しいママに挨拶は?」
「新しいママが俺じゃ不満?」
にこにこと綺麗な笑みを浮かべるママと口端だけで微笑むパパを見つめてため息を返すと……
透さんが俺の頭に手を伸ばす。
「俺の大切も、ひゅうが奪ったでしょ?」
「大切、ですか?」
「だから、おあいこ。」
冴木さんの顔が頭に浮かんだが、意味が分からず透さんを見つめても、にこりと微笑まれて誤魔化される。
サボさんにちらりと視線を向けても、煙草を銜えて無視された。
「大事にしてあげてね?」
俺の頭を優しく撫でる指先にとりあえず頷くと、透さんは満足したように笑みを濃くする。
その少し寂しそうな透さんの笑顔を見つめていると、サボさんが透さんの肩をたたく。
なんだか2人の世界には入り込めず、冗談なのか本気なのかも分からない軽口が飛び交うのを、ただぼんやりと聞いていた。
開店するまで3人でぽつぽつと会話をしていると、徐々に瞼が重くなり……
2人のお陰で緊張が解けたせいか、開店を待たずに眠りに落ちてしまった。
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