45人が本棚に入れています
本棚に追加
俺が再び目を開けると、時刻は既に昼を過ぎていた。
ランチタイムの忙しい時間に席を占領して寝入ってしまったらしく、目を擦りながら慌てて身体を起こす。
すると、目の前に立っていたサボさんにカップを差し出された。
「え?」
「座ってろ。」
「でも……。」
入り口付近には席を待つ客が3人並んでいて、時計とにらめっこをしている姿が目に入る。
流石にこのまま優雅に珈琲を味わう気にはなれないが、サボさんは気にした様子もなく同じ言葉を繰り返す。
「座ってろ。」
「だって、お客さん待ってるじゃん。」
「俺はファーストフード店やってるわけじゃねえんだ。珈琲の味が分かる人間は贔屓する。せっかく淹れてやったのに、これ捨てさせる気か?」
その言葉に渋々席に座りなおし、カップを掴む。
「……いただきます。」
花やフルーツを思わせる芳醇な香り。
柔らかく甘みを伴う爽やかな酸味と密度のある質感、キレの良い後味……。
やはり、サボさんの淹れる珈琲は格別だった。
いい豆を使ってるのは分かるが、それでも俺にはこんな風に淹れることが出来ない。
元々珈琲が特別好きなわけでもなく、どちらかと言えば苦手だった。
――それは単純に、苦いから……。
お子ちゃま舌だとよく笑われるが、砂糖やミルクが入ってないものは飲める気がしない。
でも、サボさんの淹れた珈琲は、なぜかブラックでも美味い。
口に残る苦みが少なくすっきりとしていて、最初に飲んだ時には本当に珈琲なのか疑ったほど。
初めてサボカフェに来た時に、砂糖やミルクをたんまり入れようとしたらサボさんに思い切り怒鳴られて
それ以来、サボカフェではそのまま味わうことにしている。
初対面の人に怒鳴られるなんてかなりビビったが、あまりの剣幕に押されてそのまま飲んでみると……
意外なほどに美味かった。
それから他の店でも試しにブラックで飲んではみたが、俺の舌では受け付けない。
豆が違うのかと思ったが、ストレートの豆で淹れてもらっても結果は同じ。
こんなところで小さな店を営んでいるのが勿体なく思えるほど、サボさんのバリスタ技術は格別に思えた。
最初は怖い人だと思っていたけれど……
いつの間にか、怒鳴られようが殴られようが気にならなくなるほど親しくなった。
ぽつりぽつりと愚痴を溢しても、大げさに反応されるわけではないから話しやすい。
壁と会話しているようで、張り合いがないと言ったらそれまでだけど……
ただ聞いてほしいだけの時、サボさんの存在はとても有難い。
それに、今日みたいに誰かに見守ってほしい時、とても頼りになる。
サボさんに淹れてもらった特製の珈琲をじっくりと味わいながら、ふと窓の外を見上げると……
雲が速いスピードで通り過ぎていく。
随分風が強いのか、通行人の髪を激しく揺らしていた。
あと12時間以上待たなくてはいけないと思うとげんなりするが、10年以上の募る思いを吹っ切るための時間と考えると……
それはあまりにも短すぎる。
砂羽への気持ちが完全に消えたわけではもちろんなくて、むしろこのまま愛人を一生続けたいという邪な思いもある。
だけど、陽菜季の泣いている姿を思い出すと……やはり心が痛くなる。
砂羽のことを好きだと泣いていた顔を思い出し、今まで俺の曖昧な態度のせいで我慢させてしまったのかと思うと……
いつも自分のことばかりだったなと反省した。
流石に夜までここで時間を潰すのは難しいかと時計を見つめていると、サボさんに1枚のチケットを差し出された。
「何、コレ?」
「映画のチケット。この前貰ったから暇なら行ってくれば?」
「行かないの?」
「休みねえよ。」
その言葉に深く頷きながら、店内を見渡す。
透さんがよく出没するようになってから、この店も大分混雑するようになった。
立地はまずまずなんだけれど、珈琲も文句なしに美味いはずなんだけど……
いかんせん、接客が悪い。
カフェに来るのは居心地がいいからで、常連客はたくさんいるが……
新規客の割合は極めて少なく、リピート率も悪い。
無表情で目つきの悪いサボさんを見上げながら、忙しそうにカウンターを行き来する背中を見つめる。
「……いい加減、誰か雇えば?」
「俺と仲良くやってけるような奴、いると思うか?」
友達なんて冴木さんくらいしかいなさそうだし……
と思ったところで、透さんの顔がポンと浮かぶ。
「あ!透さんとかは?」
「はあ?」
「だって、仲いいじゃん。」
嫌味をこめてそう言うと、サボさんは軽く微笑みながらわしわしと髪の毛を掻き混ぜた。
「まだ拗ねてんのか?」
「拗ねてないし……。」
「あいつはいつまでもこんなとこで燻ってるような、そんな小さい男じゃねえよ。」
そう言って少し寂しそうに微笑むサボさんに、思い切って冴木さんのことを切り出してみることにした。
「冴木さんと、あれから会えてないんだけど……なんか知ってる?」
「ああ、入院したらしい。」
「え?どこに?」
平然とした顔でそんなことを言うサボさんに身を乗り出して尋ねると、苦笑いを浮かべられた。
「……お前、行く気か?」
「だって、少し話したいし……。」
透さんとのことも気になるし、冴木さんの症状も気がかりだ。
長くはないと自分で言うくらいなのだから、経過がよくないことは察しが付くが……
だからこそ、会っておかないと後悔しそうな気がする。
「でも、近々は無理だな。」
「なんで?」
「今はごたついてて、お前が行って巻き込まれたら厄介だから……また今度な。」
「ごたごた?」
意味が分からず聞き返すと、サボさんは煙草を銜えながら、いつもの言葉を繰り返す。
「お前は知らなくていい。」
「なんか、いつも俺だけ除け者じゃね?」
「お子ちゃまだからなぁ。」
「……ひでぇ。」
1人だけ蚊帳の外で除け者にされるとそれはやはり寂しいし、無力感に陥る。
どうせ俺が出来ることなんてたかが知れているとは思うが、それでも少しくらい話してくれてもいい気がするのに……。
「お前は、誰かに守られてるほうが似合ってる。」
「そんなひ弱でもないんだけど……?」
「司にも守ってもらってんだろ?」
「は?相葉に?」
意味が分からず首を傾げたが、にやりと微笑まれただけで答えてくれることはない。
透さんから相葉の話を聞いただけではなく、サボさん自身なにか接点でもあるのだろうか……?
「お前を傷つけたら、あいつに殺される。」
「何、それ?俺、あいつに散々虐められてるんだけど……。」
「司に会って、直接聞け。」
「だって質問しても、はぐらかされるし……。」
「気になるのか?」
「え?」
少しくらい情報をくれてもいいだろうと口を尖らせると、サボさんはなにやら締まりのない顔で俺を見下ろしている。
「……なんでニヤニヤしてんの?」
「いや、別に。」
「ニヤニヤしてんじゃん!」
「うっせえ!店で騒ぐな!!騒ぐならさっさと出てけ!!!」
「さっきはゆっくりしてろって言ってたくせにー……。」
ぶーぶー言っていると、ランチの注文が入ったらしく、俺と話をしている余裕なんてなくなってしまった。
仕方なく珈琲をちびちびと飲んでから、サボさんから貰ったチケットを持って映画館に向かう。
チケットを見てみると、女子に好まれそうな甘い甘い恋愛映画のようで
胃もたれしたら嫌だな……と思いながら、1人映画館に潜り込む。
いつも見ているDVDとは比べ物にならないスケールだからか、周りから聞こえてくるすすり泣く声に引きずられたせいか
それとも、俺の今の状況に近いものがあるせいか……
見終わった後には主人公の恋敵に感情移入しまくりで、周りの女子が引くくらい号泣しながら映画館を後にする。
漫画が原作だということが分かり、そのままネカフェに直行し……
砂羽との約束の時間を迎えるまで、お目当ての少女漫画を読むことに没頭した。
最初のコメントを投稿しよう!