片思いの曲がり角

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お目当ての漫画を読破すると、砂羽との約束の時間が近づいてきた。 時計の針が進むのがやけに早く感じ、俺の心臓もそれに従ってどんどん加速していく。 約束の午前1時になり、俺はのそのそとネカフェを出て…… 本日2度目のサボカフェへと向かった。 ドアの前に立つと、そこには準備中となっている。 サボさんの計らいに感謝しながら中に入ると、俺がいつも座っているお気に入りの窓際の席に砂羽の姿を発見した。 俺が近づくと、蕩けそうな柔らかい表情で手を振る姿に、俺の表情もぐらりと崩れる。 しかし、サボさんのわざとらしい咳払いのお陰で気持ちを立て直し、顔を引き締めてから砂羽の正面に腰をおろした。 「お疲れさま。なんか、不思議なとこだね?」 少し声を潜めて苦笑いを浮かべる砂羽の気持ちが分かり、寂しくなった。 やはりここは少し異質で、ノンケからしてみたら決して居心地がいい場所ではない。 俺の生きるフィールドとは違うと言われているようで若干心にヒビが入るが、そんなことで狼狽えていては話が進まない。 「無理しなくていいって、変なとこだし。」 「この辺、よく来るの?」 「俺が一番落ち着く場所。」 「……そっか。」 砂羽も曖昧な笑みを浮かべながら、窓の外を見下ろしている。 今日でこの綺麗な横顔も見納めかと、その表情をひとつも撮り残さないよう心のシャッターを切っていると…… おもむろに砂羽がこちらを見つめた。 「ヒナ、あのさ……。」 「ん?」 「大学卒業したら、俺と一緒に暮らす気ある?」 「え?何、急に……?」 俺が視線を彷徨わせて狼狽えていると、テーブルの上においていた右手を優しく両手で包まれた。 砂羽も何やら緊張しているせいか、いつもよりも体温が高い。 その温もりと一緒に緊張が伝染してきて、先ほどよりも心臓が激しく動いている。 終わりにしようって言いに来たのに、ぐらぐらと心が揺れそうなほどの甘い飴をそっと差し出されて…… 砂羽の茶味がかった綺麗な瞳を、俺はじっと見つめ返した。 「それと、日向の両親に話す気ある?」 「何を?」 「日向が、その……男が好きだってこととか、俺とのこととか。」 「……。」 砂羽の言葉に言葉を失うと、先ほどよりも強く手を握られた。 「……陽菜季ちゃんに、言われたんだ。」 「何を?」 言おうかどうか少し迷ったのか、しばらく俯いたままの砂羽をじっと見つめていると…… ようやく心を決めたようで、まっすぐに俺を見つめる。 「陽菜季ちゃんと付き合ったら、ヒナのこと親には黙っておくって……。」 砂羽が言いづらそうに告げた言葉に、昨日の陽菜季の言葉を思い出した。 「私、どんどん嫌な人間になってくね……。こんな風になりたかったわけじゃないのに。」 あの言葉の意味が分からなかったけれど、こういうことなのかと思うと…… 心がとても窮屈で苦しい。 そんなことを言わせたのは間違いなくこの俺で、親友というつかず離れずの曖昧なポジションをとったせいで…… 陽菜季にそんなことまで言わせてしまった。 ちゃんと女子でありながら、恋敵が兄である俺なんて…… そんなの哀しすぎる。 いろいろと気持ちが溜まってたのかなと思うと、陽菜季の泣き顔を思い出した。 俺のせいであんなに泣かせてしまったのだから、その分いっぱい幸せになってもらいたい。 俺の代わりに、幸せいっぱいの笑顔を見てみたい。 思春期を迎えてからほとんど口も聞かなかったし、ムカつくことはあっても可愛いと思うことはなかった。 それはきっと、自分と容姿が似ているせいで…… 自分のことが大嫌いな俺が、陽菜季を好きになれるわけがないのだから。 でも、泣いてる陽菜季を見て、自分が泣いているようで哀しかった。 それに、幸せになってほしいと、本当に心からそう思えたんだ。 10年以上にも及ぶ長い長い片思いだったけれど、その気持ちを抑えようと思えるくらい…… 強く強くそう思った。 「今すぐには無理だけど、就職したら……。」 「親に話す気はないから。」 「え?」 砂羽の言葉を遮って、はっきりとそう口にすると…… 驚いたような表情で俺を見つめている。 「うちの親は普通の人たちなんだ。普通に世話好きの母親で、無口だけど普通に優しい親父だから、あの人たちを困らせたくはない。」 その中に、もちろん陽菜季の存在もあって…… その小さくて幸せな結合体を壊す気は、俺には最初からなかった。 隠すことが正解なのかは分からないけれど、俺にとってあの居心地のいい空間は特別だった。 全てをさらけ出すことで、何かが崩れてしまう…… そんな気がする。 勘付かれることがこの先あったとしても、それは俺がはっきりと言葉にしなければバレることは絶対にない問題。 いくら怪しい言動があったとしても、グレーはグレーで黒にはならない。 「そっか。」 砂羽は俺から手を離して、哀しそうに俺を見つめている。 好きな人の哀しそうな表情を見るのは辛かったけれど、ここではっきりしとかないとと思い、気を引き締め直した。 「就職したら家を出るつもりだけど、死ぬまで俺のことを言う気はない。これは、誰に何を言われても変える気はないから。」 「じゃあ、俺とは暮らせないってこと?」 俺のことをじっと見つめる強い瞳に吸い寄せられそうになってから、膝に手を置いて太ももをぎゅっと抓る。 「はは。何、言ってんの?俺たち最初からただのヤリ友だったじゃん。」 「俺はそんな風に思ったことない。」 はっきりと断言してくれる砂羽に嬉しさに思わず泣いてしまいそうだったけれど、それは今は我慢して…… 口角をあげて、笑顔を作る。 「砂羽は誰にでも優しいから、俺とも遊んでくれただけじゃん。」 「ヒナ?」 「で、さー……もういい加減飽きてきたし、そろそろ終わりにしない?」 俺が一気にそう言うと、さっきまで目尻を下げていた砂羽が急に立ちあがった。 「飽きたって、何?」 「そのままの意味だよ。同じ相手と何回もすれば、そりゃ飽きるだろ?」 「俺は、何回だってヒナとしたいよ?」 「勘弁してよ。砂羽とする前に他の男に何回抱かれてきたんだよ?ノンケとのぬるいセックスごっこで、俺が満足できるわけねーじゃん。」 そう言うと、砂羽がぽつりと言葉を漏らす。 「好きだって言ったくせに……。」 「セックス中の戯言なんて本気にすんなよ。あんな言葉くらい、誰にでも言える。」 もう黙って別れてくれと思うのに、砂羽はなかなか引こうとしない。 これ以上ひどいことを言いたくはないのに、傷つけたいわけでもないのに…… ぎゅっと目をつぶってそう言うと、砂羽に手を包み込まれて顔を上げる。 いつの間に傍にいたのか、そのまま無言でぎゅっと抱きしめられた。 砂羽の香りに包まれて、昨日抱かれたことを思い出す。 余裕なく俺のことを抱いてくれた砂羽に包まれているだけで、幸せだった。 本当に本当に大好きで…… 短い時間でも、夢のように幸せな時間だった。 ありがとう、砂羽。 「俺はヒナのこと好きだよ?ずっとずっと好きだったし、就職したら一緒に暮らすつもりだった。親にも折を見て話すつもりだし……。だから、飽きたとか言わないで。」 きつくきつく抱きしめられて、濡れた瞳で見つめられる。 今まで聞きたくても聞けなかった言葉を、こんな時に聞けるとは思わなかった。 もっと早く、知りたかった。 もっと早く、伝えればよかった。 ――でも、もう……遅いんだ。 砂羽の乾いた唇を自分から重ねて、尖らせた舌先で口蓋を刺激すると…… 驚いたように目を瞠りながらも、そのキスを受け入れてくれた。 長く深いキスを味わって唇を離すと、砂羽の下半身ははっきりと欲情の色を滲ませている。 これが、最後のキス。 「男とするのがそんなによかった?」 砂羽にそう問いかけながら、ズボンの上からやわやわと刺激してやると…… ぬるりとした感触がある。 「何、言ってんの?」 「新鮮だったから嵌っただけだろ。砂羽は、もともと女好きなんだから……。俺が陽菜季に似てたから、セックス出来たんじゃねえの?」 「……ふざけんなよ。」 「事実じゃん。」 俺の言葉に、砂羽の目が怒気でぎらつく。 そのまま砂羽が拳をつくって手を振り上げたところで、サボさんの暢気な声が聞こえてきた。 「はーい、ストップー。」 砂羽の手首をがっちりと掴み、俺と砂羽との間に入る。 「……サボさん。」 「うちの店で喧嘩はご法度。それにお前の馬鹿力で殴ったら、こいつ怪我すんだろーが……。二の腕の怪我、もう忘れたのか?」 砂羽がその言葉にはっとして手をおろすと、サボさんが大きなため息をつく。 「もう、帰んな。お前が来る店じゃねえよ。」 砂羽に向かって抑揚のない声でそう告げると、砂羽は無言のままサボカフェを後にする。 その背中が見えなくなってから、俺はへなへなと床に尻をつけてしまった。 「……店借りて、ごめん。」 「ガキの世話すんのが、パパの務めだろーが。」 「ありがと。」 俺が震える声でそう告げると、いつものようにがむしゃらに髪をかき乱され そのままふわりと抱きしめられた。 煙草の匂いと珈琲の香りが合わさった、サボさんの匂い。 その広い背中に手を伸ばすと、頭をぽんぽんと優しく撫でられる。 「よく、頑張った。偉かったな……日向。」 初めて聞いたサボさんの蕩けるような優しい声と言葉に、俺は涙が枯れるまでそのまま朝まで泣き腫らした。
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