片思いの曲がり角

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受付を済ませ、エレベーターで冴木の病室へと向かう。 病院独特の消毒液の匂いを嗅ぎながら、どこか寂しさすら感じる白い壁に囲まれた廊下を歩いていると…… 息が詰まるような閉塞感を覚える。 祖父が倒れた時に頻繁に通ったわけではないが、子供の頃にも感じた独特な空気を今はより鮮明に感じ取る。 窓の向こうに広がる空はどこまでも広々として自由なのに、この建物の中にいるとそのことすら忘れそうになった。 祖父の愛情のベクトルは常に透に向いていたから、祖父が倒れたと聞いてもどこか他人事だった。 そんな俺ですらこんなに気持ちが塞ぎ込んでしまうのは、あの人と会話をしたせいだろうか? 指示された病室番号を確認して、軽く扉を叩くと…… 中から掠れた男の声が聞こえた。 この前会ったばかりだから、そんなに日は経っていない。 だが、病室という異質な空間のせいか、入院服を身に纏っているせいか、サボカフェで出会った時よりも数段弱って見えた。 一瞬、祖父の姿と重なったが、瞬きを重ねるうちにその残像も消えていく。 「相葉くん、よく来てくれたね。」 冴木は少し息苦しそうに微笑みながら、身体を起こそうとベッドの柵に手を伸ばす。 その手の甲には点滴が繋がれていて、痛々しい姿に見ていられず、それを遮ってベッドに寝かせた。 「寝てていいので、これ。」 来る途中の花屋で買った小ぶりの花束を見せると、冴木は嬉しそうに愛好を崩す。 「わざわざすまない。あそこに花瓶があるんだが……。」 「水、いれてきます。」 冴木の視線を追って花瓶を手にし、花を生ける。 無機質な部屋に生きた花があるだけで、部屋の中が華やいだ。 見舞客は俺の他にいないのか、小さな冷蔵庫は空っぽだった。 飲めるかどうかも分からなかったが、とりあえずお茶やジュースなどを詰め込んで扉を閉める。 「せっかく来てもらったのに、気を遣わせて悪いね。」 「いえ、別に。」 申し訳なさそうに眉を下げる冴木の横で、簡易椅子を取り出して腰を掛ける。 「……具合、どうですか?」 「見ての通りと言った具合かな……?」 そう苦笑いを浮かべながらも、冴木は覚悟が出来ているのか…… 特に気を悪くしたようにも見えない。 「そう、ですか。」 「あの後、透とは会ったのか?」 「会いたくて会ったわけじゃないですけど……たまたま。」 俺がそう言うと、先ほどまで穏やかだった瞳がきらりと輝く。 「透、元気にしてた?」 「まあ……昔とあまり変わらないと思います。」 出て行ってから10年程時間が経っているのにも関わらず、透はあまり変化がなかった。 流石に昔よりも髪に艶はなくなっていたし、仕事が忙しいのか鍛えていたはずの身体は大分薄くなっていたが…… それでも、記憶に残る透のまま。 ムカつくくらい、綺麗だった。 「そうか。」 安心した様子で目を閉じる冴木は、昔の透とのことでも思い出しているのだろうか? とても穏やかなその横顔が、逆に怖い。 そういえば、祖父も死ぬ間際に同じ顔をしていたのを思い出したから……。 だから、立ち入るつもりもなかったのに、思わずぽろりと言葉がこぼれた。 「透には、言わないつもりなんですか?」 「巻き込みたくはないんだ。」 「俺は巻き込んでおいて……ですか?」 「君には悪いと思ってる。」 「……そうは見えませんけど。」 初対面の俺には話したくせに、10年も付き合いがある透には何も言わないというのは…… どうもおかしい。 「迷惑は掛けたくなかったから。」 「で、俺ですか?」 「君は年齢の割にしっかりしてそうだし。」 「俺より、あいつのほうがなんでも上でしたけど……。」 まるで愚痴のようにぽろりと本音がこぼれてしまい、慌てて口を噤む。 こんなこと、言うつもりもなかったのに……。 「透はとても優秀だからね。でも、だからと言って君が卑屈になる必要はない。君はとてもいい男だよ。」 照れることもなくまっすぐ俺を見つめながらそんな言葉を浴びせられても、どう返していいのか分からずに返答に困っていると…… 冴木は柔らかい笑みを浮かべながら、話を続ける。 「透は頭もいいし、見た目も美しい。俺みたいな男が、いつまでも囲っていられるような人材ではないんだよ。」 「で、捨てたんですか?」 病人に、しかも死が間近に迫っている人に対する言葉ではなかったが、それでも冴木の言葉は釈然としない。 「透には……もっと、相応しい人がいる。」 「別に、俺には関係ないですけど……。」 2人のことをどうこうするつもりもないはずなのに、妙に腹に言葉が溜まる。 透も家を捨てた身だし、俺には関係がない。 それにこの人も、俺にとっては無関係でしかないのに…… なぜか気になる。 それは、いつか好きな人と離れる時を、俺も頭の端っこで考えているからかもしれない。 「君は、好きな人がいないのか?」 「え?」 唐突に質問をぶつけられて、頭が綺麗にシフトできずに瞬きを繰り返していると…… 「ああ、いるんだね。」 「……。」 あっさりと、冴木にもバレてしまった。 サボテンさんといい、この男といい、話す空気が独特で…… 無意識な隙が出来てしまうのが悔しい。 「それで、どういう人?」 穏やかな笑みを浮かべながらそう問いかけられ、ため息を吐き出しながら頭の中に大堀の顔を浮かべた。 どういう人かと聞かれても、返答に困る。 泣き虫で馬鹿で長年片思いをしていた奴を振るようなお人よし……。 何を言っても惚気て聞こえる気がして、言葉を探す。 「なんていうか……鈍い奴?」 「そうか。それは君も苦労しそうだね。」 「ま、それなりに……。」 アレを落とすまでかなりの労力を必要としそうだとげんなりしていると、俺の顔を見た冴木に笑われた。 その笑顔を視線で咎めると、口を覆いながら謝られた。 「あまりにも幸せそうだったから、微笑ましいなって思ってしまって。」 「微笑ましい」が、「羨ましい」に聞こえた。 自分にはもうその時間がないから……だろうか? その笑顔が徐々に寂しそうな微笑みに変わると、なんだか罪悪感を覚える。 「それで、君に会ってほしい人がいて。」 「俺に?」 意味が分からずに冴木を見ると、おっとりとした笑みを崩さずに言葉を続ける。 「透の代役をやってほしいんだ。」 「……身代わりですか?」 嫌だという気持ちが言葉より先に表情に現れてしまったようで、冴木は申し訳なさそうに眉を下げる。 「うちの親が俺の恋人に会いたいとしつこくてね。」 「で、俺をここまで呼んだわけですか?」 俺が冴木を見つめると、困ったように目を泳がせながら息をつく。 「手荒なことをしてしまったら、殴り返してもらって構わないから。」 「んな暴力的な奴と会わなくちゃいけないんすか?」 流石に、そこまでは面倒見切れない。 そう思って断りを入れようと口を開くと、冴木に手を握られた。 「頼む。君にしか頼めないんだ。俺も久しぶりに会うけれど、あの人はきっと変わってないと思うから。」 「……。」 「父親は俺とよく似た弱い人間だから、君のことを見たら手出しはしないと思うんだけど……。」 必死に頭を下げる姿に、どう返していいのか気持ちが揺らぐ。 あの日サボカフェで切り出されていれば、あっさりと断ることが出来たのに…… 今、この空間でこの姿で懇願されてしまえば、なかなか断るのが難しい。 「……あなたは、弱い人ではないと思います。」 これから近い将来必ず訪れる死を、1人で乗り切ろうとする人が弱いわけがない。 それだけ言うと、冴木はぎゅっと力強く手を握ってきた。 「君は、やっぱり透の言っていた通りだね。」 意味が分からずに眉間に皺を寄せると、褒め言葉だよとあっさり返された。 「お願いできないだろうか?」 弱々しい目でじっと見つめられ、柄にはないと思いながらも軽く頷く。 「……引き受けます。」 「そうか。じゃあ、来週の日曜日にまた来てくれ。」 「分かりました。」 なんでこんな面倒くさそうなことを引き受けてしまったのか、自分でもよく分からないが…… 大堀の影響だろうか? 「ああ、そうだ。君の幸運を祈っているよ。」 「幸運?」 「意中の彼と結ばれるといいね。」 その言葉に苦笑いを返し、さっさと病室を後にした。
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