青い蜜柑

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江戸、深川。下総の国、下屋敷。 二月のある日、真っ白く積もった雪の上に。 音もたてず、真っ赤な椿が一凛も残ることなく。 すべて。 「ねえ、あれ?」 「どうしたの?」 ―― 落ちた。 バシッという音ともに目をやるとすぐそばの部屋の障子が開き、飛び出してきた少年は、頬を真っ赤にし、抑えながら涙声で怒鳴りました。 「この家は変です、私は出て行きます!」 「大河、待ちなさい!」 走り去る人。 「坊っちゃん?」 やめておきなさいよ。 どうして? 彼の兄が結婚するらしいのだが、それから屋敷の者たちが暇をもらったりして出て行っているという、私も最近来たんだけど、あの子の言う通りみたいよ。 何が変なの? 「彼以外みんなよ」 そして四月。 ガシャーンとものすごい音に、立ち上がった。 ざわめく廊下に出た。部屋には、俺とこの屋敷で働く人二人。 「何が起きた?」 震えながら、旦那様が、旦那様がと言っている女中、そして奥の方で悲鳴が聞こえた。 俺は走り、たった部屋二つ隣の障子を開けた、そこには。 「す、すす、む……」 「父さん!」 その傍らには髪を乱し倒れる姉の姿。 「ねえ、ちゃん?」 俺の後ろで慌てる様子、人達のどなり声。 そこで聞いた父さんの最後の声は、無念の一言だった。 四月だというのに、大安のこの日、前日に降り積もった雪が江戸の町を白く染めた。 真っ白い雪の球を、頭目掛け投げつけた。 当たった少年が笑いながら振り返る。 「やったなー」 あははは! この―!と言って、新雪を雪玉にして投げつけた。 パシッ! 「あっ!」 雪玉を払いのけられた。 そこには、怖いほどの顔でにらみつける新之助の兄が真っ白い息を吐きながら、息せき切って立ちはだかった。 「新之助、帰るぞ!」 「進殿、すみませぬ」 「早くしろ!」 「兄貴・・・・・・・?」 「進殿?」 「大河、明日な?」 「あ。おう」 「明日などない!」と怒鳴りつけ、首根っこをつかみそこから歩き出した。 「兄貴、どうしたの?」 「早く来い!」 後ろを何度も振り返りながら小さく手を振る新之助であった。 何があったのかわからないまま家路へとついた大河。 門が開き、大勢の人が中から出てきた。 「坊っちゃん」 声をかけてきたのは下働きのタイジ。 何かあったのか聞くと、俺はそこから動けなくなった。 父が?人を切っただと? 「開けーい!道を開けよ!」 戸板を運んでくる男衆。その上には、コモがかけられていたが、真っ白な雪の上には転々と赤い雫が道を作っていた。 「坊っちゃん!」 俺は走り出し、そのコモに手をかけた。 すっと出てきた手がそれを止めた。 「なぜだ!」 俺は怒りのようなものがこみ上げてきて、低い声でただした。 「坊っちゃんが見ていいものではありませぬ」 その男をにらみつけると、その後を追うようにもう一つ。 明らかに長い髪が戸板から落ちてきていた。 その髪には見覚えのある櫛かんざし。 「あかね殿?」 坊っちゃん! 俺はそれを開けた。 真っ白な雪のような肌、眠っているかのような顔だが、口から一筋、真っ赤なものが流れていた。 「な、何が、あった」 誰も答えない。 だがさっきの進の顔を思い出したら合点がいく。 「何があったのだ!答えろ!」 「そちらへ」 一人の男が後ろから走り寄ってきた。 お抱え武士、東野源五郎。 「みな、丁重に運んでくれ」 その声に動き出した列。 「何があった、今日は結納ではなかったのか?」 「……勇四郎(ゆうしろう)さまが」 「兄者がどうした?」 女を連れてきた、そして、あかね殿を……。 「あかね殿を?どうしたのだ!」 「腹にいる子は、自分の子ではないと、あかね様は、辱めを受け…自害」 「辱めだと!」 裸になって証明しろと。 はーあ? 「それをかばって、父の幸四郎様が」 「まさか!」 俺はそこから走りだしていた。 そして、俺がそこで見たものは。 「この家は狂っている」 血みどろの屋敷。 あちこちに倒れる人は……死んでいる? 奥へ行くにしたがいその壮絶さが浮き彫りに。 兄は知らない女を抱きしめ、デレデレとしている。 親父も母ではない女に寄りかかっている。 女たちは俺を見ると鼻で笑った。 「おぬし、どこぞの遊女か!出て行け!化け狐!」 キツネの面を付けた女たち。 そしてこのにおいに鼻をつまむ。 「何を言う、こんないい女はこの世界中にはおらないぞ!」 酔っぱらっているのか、ろれつの回らないものいい。 こんな日に。 「兄上しっかりしてくだされ、このにおい、誰か、香を捨ててくれ!」 ここ1か月あまり、この甘ったるいにおいに、胸が悪く、家にいるのがいやで、そとにでてばかりいた。 「こんなことになろうとは」 俺はこの場にいなかったのが悔しくてままならない。 「おお、息子よ、帰ってきたか」 俺は腰のものを引き抜いた。 「父に向かって刃を向けるとは?」 「あなたは私に出て行けといったではないですか、俺の前にいるのは父の面をかぶった偽物だ!」 「おーこわ」 兄上、なんと情けない姿。 「まったく、お前もあの女とお同じよのう」 それを聞いて目を大きく見開いた。 「あの女とは誰の事ですか?」 震えながら聞いた。 「さて」と、とぼけた返事。 「俺の子が腹にいるとかいう尻軽女さ」 「はあ?てめー!誰かおらぬか!源五郎!」 「はっ!」 「このにおい、人を堕落させる、すぐに!」 ブシュ―! 目を見開いた。 鮮血が飛び散った。 目の前で、崩れ落ちる人。 「ぼっち、ゃん、にげ、て」 どさりと横わたる人。 「邪魔なんだよ」 倒れた人の後ろにゆらりと立つ兄。 殺される。 そう思ったのは、兄の構えだ、何の罪もない人を、静かに一突き。 何たる所業。 武士道とはと、うんちくを並べていた、あのまじめな兄上は目の前にはいない。 血がだらだらと流れる刃物を力なく持ったまま、俺の方に来る。 まるで、幽霊のよう。 俺は、一目散に、母の部屋へ、だがそれも遅かった。 「はは・・・うえ?」 長い髪が畳の上に……。 その下には、血の海が広がっていた。 そして。 狂ったように笑う、父と兄。 ふらふらとふらつきながら剣をふるう兄の足元にはさっきの女が転がっているではないか! その後ろで火が上がった。 ゆらゆらと揺れ動く炎は陽炎のように揺れ、自分の足で立っているのかさえ分からないようなぐにゃりと曲がった部屋に自分のほほをたたいた。 俺は部屋を飛び出し、そして、戸を閉めた。 何かをわめく兄と笑う父の声。 「か、火事だ―逃げろ!か、火事、火事」 歯がカチカチとなり声が出ないくらい震えている、背中から今でも一突きされたら。 俺はしゃがみ込み丸くなった。 わきから飛び出してくる、下働きたち。坊ちゃんと声をかける者たちに、逃げろというのが精いっぱいで。 皆が出たというのを聞き、俺は這って飛び出し門を閉めたのだ。 「ははは、俺は何をしているんだ?」 「おお大河殿、無事におられるか、なにやら屋敷から煙が昇っておるようだが?」 隣、近所の屋敷の人が集まりだした。 俺は門の前で、大声で泣き叫んでいたのだった。
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