ファーストインプレッション

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ファーストインプレッション

 二年半ぶりに戻ってきた本拠地は、記憶の中と変わらない匂いがした。俺、九重晴斗は観客席を見上げ、大きく息を吸い込む。独特の薬っぽい匂いが肺を満たした。 「はー……エアーサロンパス」 「え、イタリアは違うの?」 「いや、向こうもしますけど、気分というか」  俺のすぐ近くでシューズのヒモを結んでいた七海さんが何それ、と苦笑した。七海颯太。日本代表の正セッターとして、若くから活躍している天才だ。Vリーグでチームメイトとして共に戦うのは二年半ぶりだったが、七海さんも俺もナショナルチームに選ばれていたため、懐かしさは感じなかった。でも、気心知れた先輩がいるのは心強い。 「どう? 久々の日本は」 「あー……米がうまいっす」 「あはは、それは分かる。俺もポーランドにいた時は、毎日日本食が恋しかったなぁ」  七海さんは遠い目をしてしみじみと言った。彼もローマオリンピック後に海外へ渡った一人だ。自分のことに精一杯だったから詳しいことは分からないが、たしか日本人セッターとしては初めての海外挑戦だったとウワサで聞いた。 「一昨年、でしたっけ?」 「うん。ワンシーズンだけだったけど、いい経験になったよ。ハルだってそうでしょ?」 「っすね。やっぱりイタリアリーグはすごかったです。レベルが高いし、プレーのスピードが速い」 「そのすごいリーグで、ベストリベロ賞取っちゃうんだもんね」 「褒めても何も出ませんよ」  照れくささを誤魔化すように頬をかき、足首をぐるぐると回した。ベストリベロ賞とは、シーズンで最も活躍したレシーブ専門のポジションである「リベロ」の選手に贈られる栄光だ。まさか自分が受賞するなんて思ってもみなかったが、努力が認められた気がして嬉しかった。 「ま、ハルも戻ってきてくれたし、今シーズンも楽しみだ。改めて今日からよろしくね。世界ナンバーワンリベロさん」 「こちらこそよろしくお願いします。優勝しましょうね」  選手が一人、また一人と体育館へやってくる。日本バレーボール界のトップリーグであるVリーグの中でも、強豪に位置づけられるブラックキャッツ東京。新監督が就任したのは先に挨拶をしたおかげで知っていたが、選手の顔ぶれはイタリアに渡る前とあまり変わっていないと聞いた。まあ、それでも新参者にはかわりないか。何事も、ファーストインプレッションが大切だ。  誰かが入ってくるたびに背すじを伸ばし、誰よりも大きな声で挨拶をする。名前を呼んで、忘れてなんかいないってことをきちんとアピールして、手応えがあったら懐まで一直線。コミュ強とか陽キャとか色々言われがちな俺だが、一応色々考えてはいるし異国の地でも上手くやってきたって自負がある。今回だって、きっと大丈夫。  このチームで優勝して、全日本に招集されて、国際大会でメダルを手にする。世界一のリベロになるために、全力でチームメイトの背中を守る。それが攻撃手段を持たないリベロの誇りで、俺の目指す道だ。  全体が集まっての挨拶が終われば、今日から加入の俺はこのまま帰っていいことになっている。でも、せっかくなので練習していきたかった。引越しの片付けは、まだ全然終わっていないけど。  サーブ練習が始まり、許可を得てからコートに入った。飛んできたボールの勢いを殺しつつ、セッターが最もトスをあげやすい位置へレシーブする。感覚は上々。一週間体育館を使っての練習が出来ていなかったが、これならすぐに取り戻せそうだ。  淡々と返球し続ける姿を、機械みたいだと誰かが表現した。純粋な褒め言葉なのか、それとも皮肉かは分からないが、俺はいつもポジティブなほうを選んでいる。だって、そっちのほうが楽しいから。  球筋は一定に。機械じみていてもいい。それが勝利につながるならば。バレーボール選手としては小さな俺がこの世界で対等に戦うための、誰にも負けない武器。
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