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チーム練習が終わる少し前にあがらせてもらった俺は、記憶をたどりながら駅前をさまよっていた。景観など二の次のきらびやかなネオン。テナント募集中の雑居ビルと飲み屋が並ぶどこか危うい雰囲気が、日本へ帰ってきたことをより強く実感させる。
「店の名前、けっこー変わってんなぁ……」
約束の時間までまだ余裕があったが、まず無事にたどり着けるかが心配だ。イタリアンで有名なレストランだというが、オープンしてから一年しか経っていないらしく、俺は場所を知らない。
というか、イタリアから帰ってきた奴にイタリアンって。と思わなくもなかったが、せっかくのお誘いを無下にはできなかった。
スマホと建ち並ぶビルを交互に見ながら、ようやく見つけたレストランに入店する。にこやかに迎えてくれた店員に恩師の苗字である宇賀神の名を告げると、奥の個室に案内された。
扉をそっと開ける。席に着いていた白髪のおじさんが、パッと顔を上げた。
「宇賀神先生、お久しぶりです。すみません、遅くなりました」
「ああ、よくきたね。まだ五分前だから気にしなくていいよ。ほら座った座った」
うながされるまま着席し、ブラッドオレンジジュースで乾杯した。先生は肝臓の数値がよくないらしく、酒は控えているそうだ。
「アラカルトでいいかな。コースだとどれがいいか分からなくて」
「先生、メニューの名前でどんな料理か分かるんすか」
「いや、分からん。でもハルが分かるだろう。イタリアにいたんだから」
「もしかして、イタリアンの店にした理由って……」
最初から俺に選ばせる気だったのか。俺の視線に含まれた言葉を読み取ったのだろう。先生はパチッとお茶目なウインクをキメた。
「そういうこと」
高齢者に両足を突っ込んだ白髪のおじさんのウインクは正直キツいが、親父ギャグを含め高校時代に嫌というほど受けてきたので慣れている。
とりあえずトマトとモッツァレラサラダと生ハムの盛り合わせ、ブルスケッタにペンネアラビアータ、それからピッツァマルゲリータを注文した。全体的に赤いな。まあいいか。
「そこそこ頼んだね。食べ切れる?」
「現役なんで。任せてください」
「うんうん、頼もしいねぇ」
得意気に胸を張ってみせれば、先生は嬉しそうにあごひげをなぞった。俺にとってはいつまでも「先生」だし、先生にとってもずっと「教え子」であることに変わりない。今回日本から戻ってきたのだって、先生からの連絡があったからだ。
「ハル、イタリアはどうだった?」
「楽しかったっすよ。最初は自分のプレーが全然通用しなくて。あ、このブルスケッタ美味い。先生も食べてみてください」
「ああ、ありがとう。お前が海外に挑戦するって言った時は心配で仕方なくてなぁ。心臓が止まるかと思った」
「先生、割りと笑えない年齢なんでやめてください」
「ふふ、このズバッと言ってくる感じ、久々だ」
笑いながらブルスケッタをかじった先生が、これ硬いねぇとのんびりつぶやく。そりゃあフランスパンだからな。
「テキトーに取り分けていっすか?」
「うん。先生は少なめでいいから、ハルがたくさん食べなさい」
「……先生。支払い、俺持ちますけど」
「いいや。こういう時くらい、年寄りにカッコつけさせてくれ」
「俺もそこそこ稼いでますよ?」
「知ってる。ミズノのCMもみたよ、バレーはピカイチなのに演技は棒……」
「思ってても言わないでくれます!?」
歳を重ねて全体的に小さくなった気はするものの、掴みどころのなさは昔からちっとも変わっていなかった。
軽口ばかりたたくが、受け持った生徒のことをよく見ている。バレーボール選手としては身長が低く、どうしても下に見られがちだった俺を、初めて認めてくれた大人。この恩は、一緒忘れないと思う。
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