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金曜日の夜 <裕利の話>②
山際と別れ、会計が済んだことを伝えに席へ戻ると、まだ黒崎は飲んでいた。
酔っ払っている様子はなかったが、何だかむやみとご機嫌だった。
「ああ、楽しかった! でも、もう少し飲みたいなあ? ねえ、あと一軒、二人だけでどこか寄ってかない? もっと話したいなあ」
「もう遅いから、俺はこれで帰るよ。今日はありがとうな、わざわざお祝いに来てくれて」
山際の言葉を丸ごと信じるわけじゃないけれど、黒崎が俺を好ましく思ってくれていて、再会を喜んでいたのは確かなようだ。だったら、なおさら曖昧な態度はとれない。
黒崎は、俺の言葉に少しだけ残念そうな顔をしたけど、しつこく誘ったりはしなかった。
でも、自分の荷物をまとめながら、意外なことを言いだした。
「わたしの方こそ、ありがとう。実はね、明日、ヨーロッパへ出発するの。向こうで、もう少し勉強をしたいことがあってね……。五年ぐらいは、日本へは戻らないつもりよ。今日はあなたに会えて、本当に良かったわ。名刺もらえる? 向こうに着いたら連絡するわね」
事務所の名刺ぐらいならいいかなと思って、黒崎に渡すことにしたんだけど、それを受け取ろうと立ち上がった黒崎が、ふらっとよろけて俺にもたれかかってきたんだ。
そして、ぐっと顎を伸ばして俺の耳元に顔を寄せると、耳に噛み付くようにしながら、何か不思議な言葉を囁いた。
それにはさすがに俺も驚いて、黒崎を押し返した。何か言われるかと思ったけれど、彼女はにっこり笑うと、さっさと名刺をバッグにしまって店の出口へ向かってしまった。
外で待っていた山際が、タクシーに案内して黒崎は帰っていった――。
その後、山際と俺は駅まで歩いて電車に乗った。
それだけだ――。それで全部――。
マンションへ戻って、シャワーを浴びて、沙耶にメッセージを送って、十二時前にはベッドに横になった――。
耳のあたりが、うずうず痛むような感じがしたけど、目を閉じたらすぐに眠りについた。
普通に土曜日の朝を迎えるはずだった、普通にね――。
それなのに、朝目覚めてみたら――。
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