約束

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約束

『――笠屋敷白玖のもとへ、お前を嫁に出すことになった』 『――これがお前の、最初で最後の親孝行だと思え』 『――しっかりと使命を果たしてくるのだぞ』  座敷牢で向かい合った父は、橘花にそう言った。  笠屋敷家がどういう家なのか、その家の花嫁がどういうものなのか、すべて説明した上で、そう命令した。  悲しくはなかった。むしろ、このまま死んでいくものとばかり思っていた橘花は、嬉しかった。  このままこの牢の中で無意味に死を待つより、贄の花嫁として死ねば立派に生きたと賞賛されると思ったのだ。  家族から最後まで厄介な娘であったと思われずに済むし、なによりじぶんが生まれてきたことに意味があったと思える。  それならば、あまんじてこの運命を受け入れよう。そう、思ったのだが。  橘花は、夫となるひとの顔をまじまじと見つめた。  白玖は端整な顔をしていた。涼し気で、どこか浮世離れした儚さをまとっている。  ――このひとは今、なんと言った? 『橘花』  名前を呼ばれたことに、まず驚いた。けれど、橘花の驚きはそれだけではなく、 『お前のことは、俺がぜったいに死なせない』  なにを今さら……。  ――私を、贄の花嫁として迎え入れたくせに……。 「……どういうおつもりですか」  首をかしげる橘花に、白玖は澄んだ声で言う。 「言葉どおりの意味だ」  白玖の眼差しに、橘花はわずかに狼狽える。 「……ですが、私が死なねば、笠屋敷家は滅びるのでは?」  それに、歴代の贄の花嫁はみな、蛇神に魂を喰われ死んでいる。例外はない。 「それは……」  言葉に詰まる白玖を見て、橘花は本音を呟く。 「旦那さまは、残酷なかたでいらっしゃるのですね」  文句を言われるとは思わなかったのか、白玖は押し黙った。  笠屋敷の繁栄は、花嫁の死と引き換えである。  橘花が贄の花嫁であることは、変えようのない事実だ。助かる方法は、橘花がこの婚姻を受けた時点でもはやないのだ。  いたずらに期待をさせて、反応を見て楽しむ気でもいたのだろうか。趣味が悪い、と橘花は非難の眼差しを向ける。 「すまない」 「旦那さまが謝る意味が分かりません」  白玖は、なにやら考え込み始めた。  少し焦る。言い過ぎたかもしれない。  贄の花嫁の分際で、立場をわきまえない発言をしてしまった。  実家に突き返されたらどうしよう。もしそうなれば……。  撤回しなければ、と思って口を開きかけたとき、白玖の指先が、視界にちらついた。  直後、じゅっと肌が焦げる音と匂いがした。 「っ!」  驚きのあまり、橘花は目を見張った。  白玖は、橘花の髪に触れていた。肌ではないとはいえ、橘花の髪にも毒はある。死ぬほどではないだろうが、無事では済まない。  白玖の苦悶の表情に、ハッと我に返る。 「なっ……なにをするのです!」  着物の袖で、ばっと白玖の手を振り払った。  橘花に触れた白玖の手は、真っ赤にただれてしまっていた。 「……すまない。どうしても、橘花に触れたかった」  今度こそ、橘花は白玖を強く睨む。 「私を夫殺しにさせるおつもりですか」  贄では飽き足らず、罪人としようとするなんて。 「……すまない」  怒りを滲ませる橘花とは裏腹に、白玖は寂しげな瞳で橘花を見つめた。  なぜそんな顔をするのか。  なぜ毒にじぶんから触れようなどと思ったのか。こうなることは分かっていただろうに。  ――わけが分からない。 「……とにかく、八日後、必ずこうして顔を合わせて話そう。それまでは俺を恨んでもらってかまわない。だが、お前が八日目を迎えられたときは、俺を夫として受け入れてほしい」  白玖は真剣な眼差しでそう言うと、くるりと背を向けて歩き出す。 「婚儀はそれまで延期とする。了承してくれるか」 「…………」  ぽかんとする橘花を、白玖がじっと見つめる。 「今すぐしたいか?」 「あ、いえ。そういうわけでは……」  というか、贄の花嫁に儀式などいらないだろうと思うのだが。そんな話は父からもされていないし。  橘花はじっと白玖を見上げた。  白玖はいったい、どういうつもりなのだろう。 「そうか。では、俺は仕事に戻る。日が昇る前に、また顔を見に来る」 「は……?」  またとは?  思っていた対応とずいぶん違うことに、橘花は戸惑いを隠せない。  橘花は呆然と、白玖の後ろ姿を見つめた。
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