ミスターエレガント

1/1
前へ
/7ページ
次へ

ミスターエレガント

 西園寺さん。私たち営業企画部の部長だ。確かにあの人なら知っているかも知れない。物腰や佇まい、仕草、その全てが優雅でエレガントなのだ。  4年程、一緒に働いているがあの人の口から汚い言葉が出た事は一度として無い。誰かを注意する事があっても、傷つけない言葉が慎重に選ばれていた。そんな彼の口にだったら、クロワッサンの破片も我先にと入りそうな気さえする。    そんな西園寺さんは自分語りをする人では無い。何かの拍子に、必要に駆られて、それでも言葉少なく語った。それは晩秋に落ち葉が散る様によく似ていた。  だから西園寺さんの過去については、その殆どが周囲からの噂話だ。その多くが彼の洒落たエピソードと苦労を伝えていた。あんなに苦労し、さらに不遇なのにどうしてあんなに優しくエレガントなのだ、と。  現在の我が社の取引先の大半は西園寺さんが開拓したと言われている。しかし、西園寺さんは出世はしなかった。これは本人が出世を望まなかったからとも、大きな手柄をあげられなかったからとも言われている。  他社との契約となれば、可能な限り良い条件で契約したくなる。今の経営のトップは他社からより多くの利益を引き出し、その功績を認められてその地位に就いた。企業として間違っていない。利益こそが紛れもない正義なのだから。しかし、目先に囚われた契約は、長続きする事は無く破綻していった。  しかし、西園寺さんは違った。勝てる契約でも譲歩した。利益の一部を相手や地域に還元した。誰にも負けない代わりに勝つ事もしない。白黒はつけない。そんな西園寺さんは『ミスターエレガント』と呼ばれている。この呼び方には幾分の揶揄が含まれている気がした。  私が営業企画部に配属になってしばらくの事だ。島田先輩の口添えもあったのだろう。私は島田先輩をリーダーとするプロジェクトに参加する事になった。  プロジェクト自体は中規模ではあったが、私にとっては初めての大仕事だった。  島田先輩をはじめとする先輩たちと意見を出し合い、戦わせるのは大変ではあったが、自分自身が磨かれていく気がした。そんな充実した日々の集大成の企画書を部長であり、責任者の西園寺さんに提出した。  西園寺さんは企画書を手放しで褒めてくれた。私自身、こんな賞賛を浴びたのは初めての体験だった。この企画書に関しては未だに私の誇りだ。しかし。 「何……これ……」と島田先輩が声をわななかせた。手にしている契約書は小刻みに震えていた。  彼女が見ているのは企画書を元に取引先と交渉した結果の契約書だ。私も今、同じものを見せられている。  取引先との交渉は島田先輩と西園寺さんが行なっていた。交渉は順調に進んでいる、ほぼ企画書通りになりそうだと、島田先輩は声を弾ませて、私たちプロジェクトメンバーに話してくれていた。  しかし、契約の最後の最後で西園寺さんが独断で覆したのだ。我が社にもたらされる利益は減り、旨みの大半は取引先が受け取るような契約になっていた。 「私はお互いに不満の無いようにやりたいのだよ」と西園寺さんは言い、申し訳なさそうな表情を浮かべてた。「そうで無ければ、長続きはしない。そして新しい可能性のドアは開いてはくれないのだ」などと言っていた。  島田先輩は引き下がらなかった。斬りつけるような言葉で西園寺さんを責めた。西園寺さんはそんな島田さんの言葉を一切の反論も言い訳もせずに受け止めていた。  そんな様子を観ていると私の中に一粒の黒が生まれた。  その後、西園寺さんのやりかたは正しかった事が証明された。プロジェクトは滞りなく終わり、双方に見込み以上の利益をもたらした。今もその取引先とは継続して付き合いがあり、我が社の強みの一部にもなっているそうだ。  さらに噂ではその取引先は経営的な苦境に立たされていた。旨みのある大口の取引がなければ、つまり我が社との契約が無ければ倒産していたのだ、と。こんなものは確証の無い憶測に過ぎないけれど。  プロジェクトが終わる頃、島田先輩に契約書の件を聞いてみた。 「う〜ん。まあ、納得はしていないよね。でもさ、今は丸く収まってるじゃん?受け入れて進むしかないかな」と島田さんは笑っていた。幾分の諦めを含んだ、それでいて吹っ切れたような良い笑みだった。  そんな笑みを見てもなお、私の中の一粒の黒は消えなかった。  西園寺さんは尊敬すべき上司であるのは間違いない。彼の仕事に関する姿勢や周囲との接し方、見習う事べき事は多かった。いつしか私は憧れに近い感情を西園寺さんに抱くようになっていった。  しかし、私の中の一粒の黒は無くなる事は無かった。  白い憧れの中に一粒の黒。この一粒が私の中で西園寺さんの存在をより大きくしていた。    
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加