226人が本棚に入れています
本棚に追加
第10話 雪くんがいるから
お母さんの言う通り、本当に矛盾している。そう思ったらおかしくて、つい口を出してしまった。
まぁ、このままだとお父さんが出て来て、雪くんが不利になりそうだった、というのもあるけれど。
「早智……」
ホッとした顔で私を見る雪くん。その口で「恋人」と言ったことを思い出して、表情が緩んだ。
すると、何がそんなにおかしかったのか、雪くんは笑顔を向けてきた。
「お母さんは私の言葉を聞いてくれたことってあった?」
「いつも聞いているでしょう」
「態度の話をしているんじゃないの。本当の意味で聞いたことがあったのか、私は尋ねているんだよ」
言葉遊びはやめて、というと、さらにお決まりの文句が飛んできてウンザリした。
お母さんは決まって「それは貴女のためを想って言っているの」とか「私やお父さんの言う通りにすれば、何も心配はいらないんだから」とか。
根拠のない言葉を並び立てる。
「そこに“早智”は本当にいるの?」
「え?」
「ずっと聞いてみたかったの。でも、怖くて聞けなかった。だって“早智”がいないことくらい、姉さんたちので知っていたから」
だから姉さんたちが言っていた。「早くこの家を出なさい。早智が壊れてしまう前に」と。
ようやく私はその言葉の意味を知った。
私は末っ子だから、お母さんたちの被害は薄かったけれど、姉さんたちは違う。特に一番上の姉は。
幼い頃からどこに出かけるのも、門限も厳しく。
遊びに出かける時は毎回、両親の説得から始まるから、いつしか出かけなくなり、幼い私の世話ばかりするようになった。
そして、婿養子として家に入る者も、姉さんが決めたわけではない。両親が決めた相手だった。
せめてもの救いは結婚後、別棟に建てた家に住んでいることだろうか。
二番目の姉さんが嫁いでいった時は、やっぱり寂しそうだったけれど、「自由になって」とエールを送っていた。
私にも、「早智もね。早くこの家から出られるといいね」と言えるほどの優しい姉さん。
だから私は戦うよ。だって一人じゃないから。雪くんがいてくれるから、大丈夫。
「お母さんたちの中では、自分たちの言うことを聞く子が可愛いんでしょう? いい子なんでしょう? 私は悪い子なんだから、放っておいて」
「そんなわけないでしょう、早智」
「だったら、一度でもいいから私の意見を通してよ」
「……リバーブラッシュへの就職は許したでしょう」
「最終的に、周りの説得に応じただけじゃない」
その周りの中に、私はいた? いたなら、そんな手間はなかったはずだよ。
私の言葉に、お母さんは何か言いたそうな顔をしていた。けれど雪くんの顔を見て、目を閉じる。
「お父さんには私が言っておくわ」
「っ!」
「でもね、早智。私たちの力が及ばないところに行ってしまったら、助けてあげることはできないのよ。何があっても」
「そのために僕は今の地位を得ました。今度は僕が早智を守るために」
雪くんは靴を脱いで、私の方へと近づく。しかし、お母さんの目は鋭いままだった。
「それでも貴方は養子よ。実子じゃない。その意味は分かるわよね」
「はい。でも策はあります」
「勝算もなく早智を欲しているわけではない、ということ?」
「勿論です」
二人は一体、何を言っているのか。何を心配しているのか。この時の私は分かっていなかった。
一週間後、私が会社に戻る、その時まで……。
***
けれど考えてみれば、すぐに分かることだった。
入社したての女性社員が、すぐに副社長付きの秘書に、だなんて、攻撃される格好の餌食であることを。
それが嫌だったからあの時、私は雪くんを拒絶したのだ。けれど、私自身の問題が発生してしまったため、すっかり頭から抜け落ちていた。
とはいえ、雪くんになかったことにしてくれ、とは言えない。だって、これは私が望んだことの代償なのだから。
「高野辺さん、いつになったら出来上がるの? こっちは貴女待ちなんだけど」
「すみません」
「それから、これミスしているからやり直して」
「はい。分かりました」
「これだから、嫌なのよね~」
コネで入ったわけではないけれど、総務課にいるのは同じようなものだから、小楯さんたちお姉さま方の当たりが強かった。
仕事内容から服装、ちょっとしたものでも難癖をつけてくる。
けれど私は、弱音を言える立場ではなかった。ずっと私はこういう風にならないように守られてきたのだ。
高野辺家の息のかかった会社に入る、ということはそういうことである。表立って私を攻撃することはできないようになっていた。
しかし、リバーブラッシュは違う。いくら雪くんが副社長でも、今の社長は千春さまだ。
たとえ私が雪くんの恋人だと知っていても、彼女たちは強気で出られるのだ。こんな強引な手を使った雪くんを千春さまが見過ごすはずはない、と。
最初のコメントを投稿しよう!