第1話 予期せぬ人物との再会

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第1話 予期せぬ人物との再会

 桜の花が咲き終わり、オフィス街の並木通りを葉桜の緑が彩っている。その下を歩いているだけで、自然と新緑の香りが鼻を掠めた。  入社したての身としては、勝手に仲間意識を抱いてしまいそうになるほど、心地よい香りだった。  なんて気持ちがいいんだろう。  思わず目を閉じて、その香りを吸い込む。香水などでは味わえない、自然な香りを堪能していると、突然、後ろから声をかけられた。 「高野辺(こうのべ)。ボケっと歩いていると、危ないぞ」  今日は休日。私は一人だ。それなのに、声をかけてくる人物なんているはずがなかった。  けれど今、私がいるのは会社の近く。入社したてとあって、会社の周りをウロウロしていたのだ。だって気になるじゃない? どんなお店が近くにあるのか、なんて。  スマホで飲食店や雑貨屋、その他気になるお店をチェックすることはできるけれど……やっぱり自分の足で探してみたかった。  そう思ってウロウロ歩いていたんだけど、まさか知り合いに会うなんて……誰が予想できるというのだろう。いや、絶対に思わないでしょう?  会ったとしても、会社の人とか。それでも入社してまだ一カ月も経っていないのだから、私の顔なんて覚えているはずがなかった。  さらに今の私は私服姿だ。ベージュのジャケットにピンク色のロングスカート。  一応、オフィス街を歩いていてもおかしくはない恰好ではあるけれど、スーツとは違うのだ。加えて髪型も変えている。  余程のことがない限り、私だと気づくのは難しいはず……だったのに。  ましてや小学校時代の同級生に会うなど、誰が思うというのだろうか。 「……誰? いえ、どなたですか?」  恐る恐る振り返ると、やはり知らない人物だった。癖っ毛のある茶髪に眼鏡をかけた青年。そんな人物は、このオフィス街にたくさんいる。  ナンパ?  いやいや、私を高野辺って呼んだことから、可能性は低い。恐らく知り合い、だと思う。  すると、ストーカーという可能性も……いやいや、それこそあり得ない。堂々と目の前に現れるなんて!  ……そういう人も、いると聞いたことがあるけれど、末期症状らしい。  けれどそんな人物にも見えないから、恐らくは違うだろう。いや、そもそもこんな見た目も中身も平凡な私を好きになる人の方がもっとあり得なかった。  あるとしたら、別の要素。けれどここは地元ではない。都心のオフィス街だ。メリットがない以上、可能性は低かった。  そう、私の素性を知っている人なんて……この都内にはいるはずがないのだ。  となると、この穏やかそうなイケメンさんは何者? 「しら……じゃなかった、名雪(なゆき)だよ。覚えていない?」 「なゆき?」  そんな珍しい苗字の知り合いなんて……あっ! 「雪くん?」  小学校の時の同級生にただ一人、『雪』がつく苗字の男子がいた。 「もしかして、雪くん、なの?」  でも彼は色白くて、細身で……目の前の男性のように、がっしりした体型ではなかった。それに眼鏡も……していなかったように思える。  とはいえ、それは小学生の頃の記憶だ。あれから何年、経っていると思っているのか。しっかりなさいよ、高野辺早智!  たとえ相手が雪くんであっても、なくても、ここは一先ず謝らなければ……。わざわざ相手が名乗ってくれたのに、この返答はない。  けれど視線を向けた途端、私の見識が間違いではなかったと気づかされた。何故なら雪くんは、満足そうに微笑んでいたからだ。  思わず、ドキッとしてしまう。 「うん。というか、懐かしいな。その呼び名」 「あっ、ごめん」  咄嗟に出たとはいえ、目の前の男性に言う呼び名ではなかった。あだ名と言えば、許せる範囲内であるけれど、彼は「呼び名」と言ったのだ。  その裏の意味が分からないほど、もう子どもではない。 「何が?」 「何って、その、呼び名……ちょっと可愛いでしょう」  今の貴方に似合わないわ。  確かにまだ白っぽい印象を受けるけれど、それは白衣のような上着を羽織っているせいだと思った。 「まぁ、確かに二十二歳ともなると……抵抗は出てくるよな」  あぁ~やっぱりそうだよね。折角の再会を台無しにしちゃったよ。 「でも、相手は高野辺だし。いいよ。好きなように呼んで」 「そんな、ダメよ。ここにいるってことは、勤め先か取引先が、このオフィス街のどこかにあるんでしょう。誰かが聞いたら、マズイんじゃないの?」  こんな可愛い呼び名をネタにからかわれたら、どうするのよ。しかも原因が私だなんて嫌だし……責任なんて持てない。 「……う~ん。大丈夫。それくらいで変なことを言ってくるのはいない……わけじゃないけど、もう昔とは違うんだ。高野辺に助けてもらわなくても平気だから」 「確かに。今の雪くんは、あの頃とは違ってしっかり者に見えるから」  昔みたいに、いじめっ子にやられるとは思えなかった。あぁ言う奴らは基本、下だと思っている者を狙うから、こんなカッコいい人に手を出すことはない。  どちらかというと、綺麗なお姉様方が放っておかないような印象を受けた。 「それだけ?」 「え?」 「しっかり者以外にもあるんじゃないのか?」 「ふふふっ。それ、自分で言うの?」  すると、不貞腐れた顔になる雪くん。その顔を見ていると、何だか昔に戻ったような気分になった。  そう、私はいつも、雪くんのそんな顔をよく見ていたからだ。
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