再会

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再会

 村上朔也は副都心の一等地に立つオフィスビルにいた。廊下で首から下げたIDカードをドア脇のセンサーにかざしてオフィスの中に入った。  ビル清掃の仕事は朝が早い。社員の出勤前に清掃を終えねばならない。この大きなオフィスビルの1フロアが朔也の担当だった。一室ごとに業務用の掃除機をかけ、電話機などの拭き掃除をし、ゴミの回収をするまでが主な仕事内容だった。清掃用具の入った重いワゴンを押して朔也はオフィスの中に運び入れた。  黙々と清掃を済ませ、残すところ最後の一室となり、朔也はIDカードをかざしワゴンを押して入室した。業務用掃除機のプラグをコンセントに挿したところで、奥のデスクに人がいることに気付いた。稀にこういうことがあるのだが、その場合、清掃に入っていいか確認を取る決まりになっていた。近付くとワイシャツ姿の男性社員がデスクに突っ伏して眠り込んでいた。パソコンの電源は落ちておらず、デスクにはドリンク剤の空き瓶がいくつか置かれたままになっていた。徹夜をしてそのまま寝落ちたようだった。  働き方改革と巷では騒がれているが、中にはいまだにこうして激務をこなす社員もいる。サラリーマンも楽じゃないなと朔也は思いつつ、眠り込んでいる社員に声を掛けた。 「すみません、清掃に入りたいのですが」  よほど疲れているのか、なかなか目を覚まさなかった。それでも自分の仕事を時間内に終えねばならず、朔也は肩を揺すって再び声を掛けた。 「すみません、清掃スタッフです。清掃に入りたいのですが構いませんか?」 「ん……?」  寝落ちていた男性社員がようやく目を覚まして顔を上げた。眠たそうな顔をしていた。 「ああ……申し訳ないです。邪魔でしたね」  目を擦りつつそう言う彼の顔を、朔也はじっと見つめた。どうぞ掃除機をかけてくださいと言いながら彼は伸びをして席を立った。180センチ以上は悠にあろうかという高身長だった。  清掃スタッフにじっと見つめられていることを訝しみつつ、再びどうぞ掃除機をと声を掛けたところで、彼はようやく気付いた。 「……朔也?朔也、だよね?俺だよ、浩平だよ、気付いてたんでしょ?」  五條浩平は笑顔でそう言った。 「何年ぶりかなあ!元気そうで……良かった」  懐かしそうな顔でそう言われたが、朔也は掃除機のほうに戻ると時間ないからと言って掃除機をかけ始めた。こんな立派なオフィスで働く浩平にビル清掃の仕事をしている姿を見られるのは、たまらなく惨めだった。  掃除機をかけ終え並んだデスクの電話機を一つ一つ拭き掃除している間、浩平は懐かしいを連発した。朔也は反応せずに黙々とゴミ箱のゴミを大きなゴミ袋に移していった。 「何時に上がるの?良かったらこのあと少し話せない?」  浩平がそう誘った。時刻は7時少し前だった。 「徹夜してたんでしょ。そっちは仕事、片付いたの?」  朔也がようやく反応を示した。 「ああ、うん、大丈夫。なんとか形にはなったし、午後のプレゼンで使う資料だからそれに間に合えば」  浩平はそう言った。 「俺はこれでもう上がり。清掃用具を片して警備室にIDカード返したら終わり」  朔也がそう言うと、浩平がじゃあ一緒に出ようと言って椅子の背もたれに掛けていたスーツのジャケットに袖を通した。  オフィスビルを出て、近場のチェーン展開しているカフェに二人は入った。コーヒーを飲みながら浩平はまた懐かしいを連発した。 「にしても……びっくりしたよ。まさか会社で朔也と再会するなんてさ」  浩平は嬉しそうにそう言った。 「何年ぶり?中3以来だから……12年ぶりか?」  二人は27になっていた。 「元気にしてた?朔也、身体あんまり丈夫じゃなかったから……今はどう?」  相変わらず色白で細身の朔也をしみじみ見つめて、浩平はそう問いかけた。 「まあ、なんとかやってるよ。浩平は大卒で入社?あんな立派な会社で働いてるなんて……すごいね。きっと仕事バリバリこなしてるんだろね」  朔也がそう言うと、いやいやと浩平は手をひらひらさせた。 「有能だったら徹夜仕事なんてしないで定時で帰ってるよ。朔也は今の仕事、長いの?」 「あのビルの担当になってからは半年くらいかな。登録したのは2年前」 「登録ってことは……派遣?」 「うん。清掃の仕事なら学歴関係ないし中卒でも雇ってもらえるから」 「……え?」  浩平はコーヒーを飲む手を止めた。 「朔也、高校は?」 「ん?中退。母親が高2の時に亡くなってさ。学費、払えなくなって……辞めた」  浩平は愕然としつつもこう尋ねた。 「だって……お父さんは?」 「父親はいないよ。俺が小1の時に離婚して、それきり」 「でも……朔也ん家には、お父さんいたでしょ?俺、会ったことあるし」  ああ、と朔也は笑った。 「あれは父親じゃなくて、母親のコレ」  そう言って親指を立てると、朔也は皮肉な笑いを浮かべた。 「内縁の夫ってヤツ?俺とは血の繋がりも何もない。赤の他人だよ。引っ越してから縁も切れたし」  そんなことより、と朔也は言った。 「浩平は、今も実家暮らし?」 「いや……勤め始めてしばらくしてから、一人暮らし。今は池袋にいる。朔也は?お母さんがそんなことになって……今は独りなの?」 「まあね」 「どこに住んでるの?この近く?」 「いや、テキトーに」  朔也は言葉を濁した。 「適当って?」  真顔で訊いてくる浩平に、朔也はふふっと笑った。 「浩平は鈍いなぁ。こんな一等地の近くに中卒で住めるわけないでしょ?」  家はない、もう何年もネカフェ点々としてる、朔也はそう言ってコーヒーに口をつけた。 「……ごめん」  浩平はなんと言っていいのかわからなかった。 「俺、知らなくて。朔也がそんな……大変なことになってたなんて」  やめてよと言って朔也は手をひらひらとさせた。 「知らないの当然でしょ?12年間、俺ら交流なかったんだから。知ってたらむしろ怖いって」 「俺……」  浩平は真剣な顔をして口を開いた。 「俺にできることあったら何でもするし、力になりたい。いつでも相談に乗るから。連絡先、教えて?スマホ持ってる?」  持ってるよ、なかったら仕事来ないしスマホは命綱だからと朔也は言った。 「他にも何か仕事してるの?」  浩平に訊かれて朔也は少し慌てたようにこう言った。 「まあね。清掃の仕事だけじゃキツいから、単発の仕事も入れてる。その連絡にスマホ必須だから」  お互いスマホを取り出してメッセージアプリのアカウントを交換した。いつでも連絡して?困ったことがあっても……なくても。浩平は真顔でそう言った。  朔也が腕時計を見た。浩平もう時間じゃない?戻らないとと声を掛けた。8時40分だった。 「ああ、話の途中で悪い。戻るね。連絡、いつでも!」  そう言って名残惜しそうな顔をしながら、浩平はカフェを出て行った。 「俺の力になりたい?相談に乗る?……お人好しなところはまるで変わらないな」  低い声でそう呟くと、朔也はすっかり冷めたコーヒーの残りに口をつけた。  カフェでコーヒー代を払ったので、朝食兼昼食はコンビニのおにぎり一つしか食べられなかった。それでも何も食べられないよりは遥かにマシだった。金がない時はネットカフェのドリンクバーで水分を摂り、空腹を満たすこともよくあったし、まだ暖かいこの季節なら公園で夜を明かすこともあった。ホームレスとほぼ変わらない暮らしをしていた時期もあった。  高2で母親を癌で亡くし、高校を辞めざるを得なくなった朔也は、一時的に小1の時に母親と離婚した実の父親を頼った。しかし既に再婚しており再婚相手との間には子供もいた。腹違いの兄弟とはいえ朔也の居場所はどこにもなかった。すぐに父親の元を離れ、中卒でも住み込みで働ける場所を求めた。パチンコ店で働いたこともあったが、あの男がギャンブル狂いだったこともあり、パチンコにのめり込む客の相手をするのは精神的にキツかった。見ているだけであの男から受けてきた性暴力の記憶がフラッシュバックしてきて、結局長続きしなかった。その後は工場勤務に就いた。ライン作業に従事した。住み込みで働けたし賄い付きだったので、貯金もできたし比較的長く続いた。しかしそこでも課長職の男から性的な嫌がらせを受け、拒むと妙な噂を流され辞めざるを得なくなった。自分はなぜそういう男の標的にされるのかとつくづく嫌になった。無職のまま退職金と貯めた金で食い繋いで一年が経ち、金が底を尽きかけて今の清掃の仕事に就いたが、住み込みではなかったのでネットカフェでの生活を続けた。給料が週払いなのは有難かったがそれだけでは生活は成り立たず、朔也は別の仕事を探して掛け持ちするようになった。  雨が降ってきた。小走りに寝ぐらにしているネットカフェに戻り、自分のブースに入った。手荷物はボストンバッグ一つに収まっている。バッグの中から古ぼけた青い折り畳み傘を出して手に取った。中1のあの日、浩平から置き傘にしてと言われ譲ってもらった傘だった。荷物がボストンバッグ一つになっても手放すことはできなかった。思い入れがありずっと大切にしてきた。 「まだ……使えるのかな、これ」  そう呟くとケースから出して恐る恐る広げてみた。頼りなくはあったが、傘としての機能は損なわれてはいないようだった。ホッとするのと同時に笑いが込み上げてきた。こんな傘ひとつに執着している自分が滑稽に思えた。浩平はこの傘のことなどもうきっと憶えてはいない。自分だけがあの頃にしがみついているんだと思うと滑稽でたまらなかった。それでも手放す気にはなれず、丁寧に畳んでケースにしまうとボストンバッグの中に収めた。  その日、朔也は何年振りかで浩平の夢を見た。夢の中の浩平は中3の時のままだった。目が覚めて朔也は苦笑した。すっかり大人になった浩平と再会し脳が混乱しているのかもしれないと思った。12年ぶりに会った浩平は元々高かった身長がさらに伸びていて、より男らしくなっていた。それに比べて自分はあまり身長は伸びず、170センチあったが同年代の平均身長よりもやや低かった。色白で細身な自分に日頃からコンプレックスを感じてはいたが、浩平と比べると男としてはまるで見劣りした。見た目だけでもこんなに差があるのに置かれている立場にも相当の差がある。朔也は悔しいような情けないような気持ちになるのだった。
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