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おばあちゃんの家は、山の奥にある。森の中をクネクネと細い道路が続き、一番上におばあちゃんの家がある。おばあちゃんの家には夏休みと冬休み、年に二回、お父さんとお母さんと僕の家族三人で来るのだ。 その年は、例年に比べて涼しく、雨が多い夏だった。その日も夕立がやってきて、バケツをひっくり返した雨が山全体に降り注いでいた。三十分も経たずに雨はやみ、晴れ間が見えてきた。 僕はおばあちゃんの家を少し下ったところにある小川に来ていた。幅はニメートルほどの川で、両岸にはコンクリートの道がずっと続いている。僕は少し湿ったコンクリートを歩き、上流へと向かっていた。 川に沿って背の高い木がずらっと並んでいた。少し先のところ、コンクリートの道から逸れたところに、獣道があった。その道はぬかるんでおり、足あとがあった。大きさからすると子供のようだ。その足あとはずっと奥まで続いている。 僕はじっと獣道を見つめる。木々が生いしげっていて、太陽の光がさえぎられていて薄暗い。甲高い鳥の鳴き声が聞こえ、胸がきゅっとしめつけられる。 どうしようか。怖いという気持ちと、この先に何があるのか見てみたいという気持ちが心の中で戦っていた。最後は見てみたい気持ちが勝ち、僕はぬかるんだ道を進んでいくことに決めた。 わずかな木漏れ日だけを頼りに、おそるおそる足を踏み出していく。滑らないように慎重に、ゆっくりと進んでいった。冷んやりとした風が吹き抜け、体がぶるっと震える 三十メートルくらい進んだところで、広いところに出た。周りは太い幹の木々に囲まれて暗かったが、そこに誰かいるのが見えた。 女の子だ。 黒いおかっぱの髪で、白いTシャツに紺のスカートという出立ちだ。そして、真っ赤な長靴を履いている。手には子供用の赤い傘を持ち、こちらに背を向けて立っている。 「ねえねえ」 僕は女の子に声をかけた。すると彼女は顔だけくるりとこちらを向く。大きなまん丸い目が僕をとらえ、瞬きを繰り返す。 「こんなところで何してるの」 僕の問いかけに、彼女は首を傾げる。暗がりの中でも、その顔が青白いのが分かった。 「何って、何もしてないけど」 彼女が無表情のままで、そう言った。 「あなたこそ何してるの」 「えっ」 彼女の質問に僕は慌てる。 「えっと、その。足あとがあったから誰かいるのかなと思って」 ふうん。彼女が口をつんと尖らせる。 「こんなところにいたら危ないわよ。暗いし、人もいないし」 彼女の口調は冷たかった。 「えっ。そうなの」 「うん。この辺りって、よく子供が行方不明になるの。お母さんが言ってた」 「そうなんだ。でもそれって、君も危ないんじゃないの」 僕の言葉に、彼女は腕を組んでしばらく黙り込む。 「確かにそうね」 彼女はそう言って、大きくうなずく。 僕たちはぬかるみの道を進み、小川の方へと戻る。歩きながら、お互い自己紹介をした。彼女の名前はサユリと言うらしい。歳は僕と同じだ。 小川に出たところで僕らは立ち止まった。空はすっかり晴れ渡り、川面が太陽の光で輝いていた。 「あなたはどこに住んでいるの」 彼女が僕に尋ねる。 「東京だよ」 「東京。すごいね。ここからどれくらいかかるの」 「車で三時間くらいだよ。今はね、夏休みでおばあちゃんの家に来てるの。道路をずっと上に行ったところにある家」 「あの大きな家? あそこって人が住んでるのね」 彼女はここの隣町に住んでいるらしい。隣町と言っても歩いていける距離ではないみたいだ。彼女も夏休みで、この近くの親戚の家に来ているらしい。 「ここって何も無いよね」 僕がそう言うと、彼女の額にしわがよる。 「そんなことないわ。山もあって川もあって鳥もいて虫もいて、素敵なところよ」 「ふうん。そっか」 「東京なんて人も建物も電車もゴチャゴチャしてて嫌だわ。よっぽど自然いっぱいのこの村の方が良いわ」 彼女の強い口調に、「そっか」と返すことしかできなかった。 彼女は僕をおばあちゃんの家まで送ってくれると言った。特に断る理由もなく、僕はうなずいた。 僕達は一緒に道路を進んでいく。急な坂道だが、彼女はスイスイと歩を進め、僕は必死でついていった。 「さようなら。ごきげんよう」  おばあちゃんの家の前まで来たところで、彼女は言った。相変わらずの無表情だった。 「送ってくれてありがとう。それじゃあね」 僕は彼女に向かって手を振り、家の前の石段を進む。 全てのぼり切ったところで、後ろを振り返った。さっきまで彼女がいたところには、落ち葉が風で舞っているだけで、誰もいなかった。
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