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「戻ります」
カモだけ掴み、緋央はまた小岩を飛んで元の岸に戻った。
「ホッ!」
鋭く短い声で緋央が銀を呼ぶと、まだ川を渡っていた祐介のすぐ横をかすめて、銀がその左手に吸い込まれるように収まった。
その一連の動きはすべて計算されつくしたように完璧で、祐介はさっき自分が言った「今日はうまくいくといいね」、という恥ずかしい激励を、消し去りたい気持ちになった。
「向こうの茂みで下処理をします」
「え、もう?」
「マガモは少しでも処理が遅れると、味が落ちます。できるだけ美味しく食べてあげることが、狩った命への礼儀ですから」
「あ……、うん、わかる」
全力で分かろうと頷きながら、祐介は緋央についていく。余計な質問を挟む隙も無かった。
川から少し離れた木立の中に入ると、緋央は銀を傍の低木に放ち、ウエストバッグの中からビニール袋、小型のナイフ、水の入ったミニボトルなどを取りだした。右手に薄い手袋をはめると、何の予告もなしにナイフをカモの尻のあたりに突きたてた。
反射的に祐介は目を逸らす。
「や、やっぱ、凄く手馴れてるね。それって、マガモって言うんだ……」
出来るだけ軽い調子で、祐介はとにかく喋った。昨日、自分もカモを獲って食べようとしたくせに、実際は下処理の音さえ怖くて、鳥肌を立てている。
――ああ、何というヘタレ。
「味はコガモやカルガモよりは落ちますが、このあたりでは一番個体数の多いカモです」
「カモの味も、色々なんだね」
「血抜きと腸抜きを早くすれば、マガモも美味しく食べられます。私は腸だけでなく他の内臓まで先に抜き取ります」
お料理教室というより解剖実験のような口調で緋央が続ける。
「それと、言い忘れていたんですけど」
「え、なに?」
「祐介さんが昨日食べようとしていたヒドリガモは、肉の雑味が強くて、あまりお勧めできません。昨日は、獲れなくて良かったです」
「あ……」
そうか、獲れなくてよかったか。
狩人としての、緋央の素直な感想なのだろうが、何とも言えず、ほのぼのとした可笑しみが湧いて来る。
野性味あふれる血の匂いと生々しい音は続いているが、祐介は緋央とのこの時間に、とても癒されている自分を感じていた。
「あれ……」
しばらくして、緋央が小さく声を上げた。
「どうした?」
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