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「ああ、社長、おはようございます」
不意に斎藤が、従業員用の駐車場に向かって声を上げた。祐介もハッとして振り返る。
黒いミニバンの運転席のドアを力まかせに閉め、大柄な男がこちらにチラリと視線を向けた。厳つい眉に、ぎょろりとした大きな目。への字口。首回りや腹の肉までも、威圧的な貫禄を感じさせる。
男は「おう」と、横柄に言っただけで、斎藤に話しかけることもなく、そのまま事務所の方へ歩き去って行った。
「あれが浅野社長さん……ですね」
「そうそう。今日は珍しく早い出社だな」
祐介は思案した。ここで押しかけるよりも、おとなしく連絡を待つ方がいいのだろうか。ただ、連絡を待つにしても、自分は今、電話口には出られない。
「あの、社長さんにちょっとだけ、話をさせてもらう事は出来ないでしょうか。実は、僕の友人が、社長さんの甥っ子で……」
斎藤は、苦笑しながら、顔の前で手を振ってみせた。
「ああ、悪いけどダメダメ。前もってアポ取らない人間には取り次ぐなって厳しく言われてるんだ。バイトの事なら社長に直接頼み込んでも、無駄だしね」
「あ、バイトの事じゃないんですけど……」
けれどその時点ですっぱり諦めることにした。斎藤の口調から、浅野幸三の厳しさが伺い知れた。無理を言っても、斎藤を困らせるだけだろう。白崎家に帰り、おとなしく電話を待つことにした。
斎藤に礼を言い、借りた長靴を履き替え、洗い場で丁寧に洗う。よく考えた上で、履歴書を持って改めて伺いますというと、斎藤は待ってるよと頷いた。人の良い斎藤を騙した気がして、とても心苦しかったが、祐介はだまって頭を下げた。
連絡をくれれば迎えに来るからと栄は言ってくれたが、帰りは歩こうと決め、ゲートの方へ向かったときだった。うしろから、祐介を呼ぶ声がした。
振り向くと、四十代くらいの女性の事務員だ。
「今朝、電話をくれた友井祐介さんですよね。浅野社長が、お会いになられるそうです」
「え……」
社長と話したいという件と、バイトの件とは別々に掛けたのだが、同一人物だと分かったのだろうか。
「履歴書のお名前と同じだったことに、気づいたので……」
「ああ……」
たまたま気づいてくれたのか。
祐介は納得し、結果オーライだと喜んだが、事務員の女性の表情は、なぜか硬かった。
「へえ、社長がねえ……。珍しい事もあるもんだ。まあ、よかったじゃない。行っておいで」
かなり驚いた風だったが、斎藤も、祐介を事務所の方に促してくれた。
確かに良かったのだが、急な展開で全身が汗ばむ。会いたいと電話してきた甥の友人が、同じ日にバイトの面接に来た件を、妙に思われないだろうか。
少しばかり不安はあったが、祐介は案内されるまま、事務室の脇の廊下を抜け、突き当りに現れた社長室のドアをノックした。
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