0人が本棚に入れています
本棚に追加
パレード
「来たぞ、新入り。人間の持っているものはうまい」
先輩のラクダは私にそう言いながらついてくるように促した。園内を悠々とラクダは歩き、私はラクダに踏まれないように注意しながら後ろをついていった。この動物園では様々な動物が飼育されている。猿やオウム、ラマ、羊、ラクダ、そしてウサギ。
どういうわけかラクダと一緒の檻にいれられた私はここで人間というものの生態についてのレクチャーをラクダから受けている。大きな三輪車から干し草が餌場に載せられるとラクダはのそのそと食べ始めた。そして、少し離れた餌場に人間が近づいて野菜のかけらを私のためにそこに入れた。私はあの人間というものが恐ろしくて仕方がない。やつらは耳を掴んで乱暴なことをする。飼育員の人間は私になにか話しかけたが、恐怖でその言葉は聞こえない。全速力で物陰に入り、人間の姿がいなくなるのを待つ。
「人間を恐れることはない」とラクダは例ののんびりした口調で隠れていた私に向かって言う。「やつらは餌を持ってくる。ここではおれたちが王様でやつらは召使いだ。愛想を振りまけとは言わないが、たまには信頼関係があると錯覚させてやるのもいいだろう」
ラクダはそう言うと飼育係の人間に自分の鼻を触らせた。
「噛みついたりしませんか」
「噛みつく? 人間がか?」
私の質問が面白かったのか、ラクダは笑った。
「さっきも言ったが、人間は俺達に餌を持ってくる。人間は俺達に餌をやるのが大好きだ。ほら、見てみろ」
ラクダが示した方角に人間が群がっている。その手にはカリカリした食べ物があり、檻から手を出してしきりになにか叫んでいる。ここでは彼らのことはビジターと呼んでいる。
「おやつの時間だ」とラクダは言ってビジターから手渡しで餌を食べていた。
信じられない光景だ。いまに油断したところを噛みつかれるだろう。人間は動物を食べるのだと仲間たちが言っていた。恐る恐るラクダの様子を観察したが、予想していたことは起きなかった。たまたまビジターたちは満腹だったのかもしれない。
「おい、新入り」
物陰に隠れていた私にむかってラクダが言った。
「どうやらお前さんの取り分らしいぞ」
見ると小さな女の子のビジターが檻の外にむかって人参を差し出している。小さいと言っても私よりはずいぶんと大きいので力では勝てないだろう。私が物陰から出ないのを見ていたラクダは、「そうか、いらんのか」と言って首を伸ばしてその女の子の持っていた人参をかじった。びっくりした女の子のビジターは慌てて母親ビジターのところに駆けていった。
動物園での慣れない日々が続いたある日、その日は朝からいつもと様子が違った。人間は私を車輪付きの箱の中に押し込めた。中にはたくさんの藁が入っている。何ヶ月かぶりに檻から出た。いったいなにが始まるのかと思っていると、ラクダもまた人間に連れられて檻から出ていくのが見えた。
「今日はパレードだよ」と近くにいた羊が言った。
「パレード?」
「人間たちのたくさんいる街に行くんだ。君は初めて行くんだろう? 驚かないようにね」
「あのう、私達はどうなるんでしょうか?」
「どうにもならないさ。ただ歩いて、そのあと帰ってくる」
「でも、なんのために?」
私の質問に答えず、羊はメェメェと鳴いていた。たぶん羊にもよくわからないのだろう。
羊の言っていた通り街には大勢の人間たちがいた。音楽がそこらじゅうで聞こえてきて、私は人間の押す箱の中で怯えて小さくなっていた。時折勇気を出して外を覗くと、歩道いっぱいに集まった人びとが私のほうを見ている。それだけでなく、私の前方にはラクダ、ラマ、羊たちが人間の手で車道を練り歩き、私の入った箱がその後続として続く。
広間ではスピーカーで「小さな動物園の仲間たちです!」とアナウンスがあった。ひどい音の洪水だった。箱の隙間からパレードに参加していたほかの動物たちの様子をうかがった。みんな一様に飼育員たちに引かれ、歩道の人々は手を振っている。
ふとラクダのほうをみると、動物園にいたときと同じように落ち着きはらっているように見えた。ゆっくりと広間を横切る間にふと小さな男の子が袋入りの炒り豆を食べているのが見えた。ラクダはそれに興味を引かれたらしい。ビジターにやるように男の子に近づき、食べようとしたその時、隊列は大きく乱れた。男の子やその父親は豆をラクダに取られないように守り、それをラクダは奪おうとして立ち止まる。「人間は俺達に餌をやるのが大好き」と言ったラクダの言葉を思い出した。
ラクダの手綱を人間が引くが、ラクダは止まらない。後続の羊やラマは暴れるラクダを見て興奮し、それを見た人間たちもパニックになった。パレードは動物園だけじゃなかった。地域の消防団や運送局、少年サッカーチームやテニスクラブまでパニックが波及した。広間は大混乱になり、暴れるラクダを取り押さえるために人間たちが集まり、他の動物たちも興奮して制御不能になった。
それ見たことか。人間とは恐ろしいのだ。
それまで落ち着き払っていた羊までもが取り乱しているのを見ると、不思議なことにそれまでの恐怖心が薄れ、みるみる勇気が湧いてきた。私はおろおろしている飼育員の目を盗み、箱から飛び出すと、人の集中していない安全な場所を見つけ、そこに走り出した。混乱しているラマや羊たちを危険な人間たちの群れにおいておくわけにはいかない。彼らを誘導して広場の隅っこに集めた。
「こっちが安全です。さあ、ついてきて」
動物園に帰ったあと、広場で大暴れしたラクダはきついお灸を据えられたのか、ずいぶんとしょんぼりしていた。その反対に騒ぎを最小限に抑えた私のほうは英雄として周囲からちやほやされるようになった。羊たちからは尊敬のまなざしを送られ、あのならず者集団のラマたちでさえ私のことを「小さき王」と呼ぶようになった。ラクダの失敗は、人間という生き物の本質を見誤ったことだろう。
だから私は新入りが入ったら先輩として人間とは本質的に恐ろしいものであり、決して気を許してはならない、と教育している。特に炒り豆を奪おうとするとひどい目にあうと、口を酸っぱくして忠告しているのだ。
了
最初のコメントを投稿しよう!