第三章 夏休み

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 夏休みと言っても、部活三昧というわけにはいかない。そう、私たちには――宿題というものがあるのだよ。  部活の終わったある日の午後、私はクーラーのよく効いた部屋で課題として出された社会のワークを開いていた。 「えー。一番広い大洋はなんですか?」  この一問一答形式の問題集は、簡単だからすぐできるんだけど……その分問題数が多いのよね。 「太平洋でしょ。えっと、次は……」  半ばめんどくさくなりながら、私が戦っていたそのとき。  プルルル、プルルル。  家の固定電話が鳴った。珍しいな、誰だろ。  私は立ち上がって受話器を取る。 「はい、もしもし、河海ですが」 「あ、河海? 沢波だけど」  ――えっ?  思わず電話を取り落としそうになる。 「びっくりした。なんで急に?」 「いや、実は」  沢波は驚くほど真っ直ぐな声で言った。 「聞きたいことがあって」  中学生に上がってスマホを持ち始める子が多いこの頃だけど、私はまだ要らないかなって思って、特に親に欲しいとか言ってはいない。だから、確かに私と連絡を取りたいなら、学校の連絡網を見て家電(いえでん)にかけるしかないんだけど……。  そこまでして、聞きたいことって?  私は何故かドキドキしながら聞き返した。 「え、えっと、なんだろ」 「河海は、数学のプリントやってる?」  げ、あの量の多いやつか。私は先程まで勝手にドキドキしていた自分を少し恥ずかしく思いながら……同時に数学の宿題を思い出して、どんよりしながら返事をした。 「いや、まだだけど」 「じゃあちょっと見てみてくれない?」  私は彼の言う通り、プリント集のページをめくる。 「開いたよ」 「十三ページ、その問題三番の自分の出した答えがさ、いくら計算し直しても模範解答と合わないんだ」 「へぇ」  見たところ、そこまで難しくはない問題っぽい。沢波が何度解いても間違えてしまうというようなものではないはず。 「ちょっと待って、私やってみるね」  受話器を置いて、適当な紙にペンを走らせる。少しして、答えを出した私は電話越しに彼の名前を呼んだ。 「沢波! 答え出たよ」 「何になった?」 「えっとね……−13X+5、かな」  これで凡ミスとかしていたら恥ずかしい……! そんなことを考えつつ、沢波の返答を待つ。耳元から聞こえてきたのは。 「あー、やっぱりそうだよね」  少し安堵したような、落ち着いた声。 「自分もそうなったんだ。でも解答集は12X−32になっててさ」  えっ、そんな違うんだ。 「あは、全然違うじゃん」  私が思わず笑いそうになると、電話の向こうからも沢波の笑っている声が聞こえた。 「それな、逆に違いすぎてびっくりしたよ。……いやぁ、わかってよかった」  そして、一息ついて。 「河海に聞いてよかった」 「……っ」  沢波のその一言で、私の心は落ち着きをなくす。  別に彼が赤裸々な告白をしたわけではないのに。    私に聞いて良かった――だなんて。  それを電話越しだからって、耳元で言うなんて。  ――反則だよ。  「河海? どした?」  黙り込んだ私を不審に思ったのか、沢波が声をかけてきた。私は慌てて返事をする。 「あっ、いや、お、お役に立てて良かったなって」 「お役に立てて、って、変なの」  沢波はまた笑った。 「こっちが助けてもらっただけなのに。ま、ありがとね」 「う、うん! ……じゃあ、またね」  私は電話を切ろうと別れを告げる。しかし。 「あ、ちょっと待って」  受話器の向こうから、少し早口な彼の言葉が聞こえた。 「あのさ、また聞きたいことあったら電話してもいいかな」 「……ん、いい、けど」 「あと河海も、自分に用あったらこっちに掛けてきてもいいから。それじゃ」  ツー、ツー、ツー。  一方的に電話が切られた。  何だったのよ――最後のあいつ!  でも、どうしてだろう。普通にクラスの友達と、宿題の話をしただけなのに……私の心はドキドキしていたんだ。  受話器を置きながら、ふと脳裏をよぎる思い。  ――私、もしかして沢波のこと……。  いやいや。首を振って、その考えを消し飛ばす。 「と、とりあえず社会科のワーク終わらせないと!」  独り言を呟いて、私は再び世界地図とにらめっこを始めた。
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