第三章 夏休み

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「審判の心を掴む……?」 「剣道の試合ではね、それが大切なんだ」  亜生先輩は私の方を見ずに、でも確かに私に語りかけるように続けた。 「審判も人間。だから『この子、強そうだな、ちゃんと剣道やってきたんだな』っていう方を試合中に見定めたり、雰囲気からきちんと作れている選手に旗を上げやすくなったり……色々あるんだよ」 「……そう、なんですね」 「その心の掴み方は、例えば礼法とか着装かな? あとは発声。例え自分が弱いと思っていたとしても、強く見せるってことが大事だから」 「せ、先輩、ありがとうございます!」 「いいえ。じゃあ」  それだけ言って、そのまま通り過ぎていく先輩。……なんで私にだけ教えてくれたのか分からないけど、とりあえず良いことを聞いちゃった。よし、今日からやってみよう!  私はやる気マックスで、準備に取り掛かった……けど。今度は、ちょっかいをかけてくる人物が現れたんだ。 「おーい、おいおーい?」  竹刀の竹にささくれが無いか確認していた私の目の前で、ぴょこぴょこと動く人影。 「さっき、一年共が話してたのが聞こえたんだけどよぉ」  ああ、この声は。私は思い当たり、顔を上げないまま返事をする。 「何でしょうか、坂本先輩」  坂本悠輝先輩――鋭い目が特徴的で、いつもふざけている変な人。時々先輩の視線が怖すぎてドキッとすることはあるけど、でも本当は良い人なはずなんだ。そして、剣道もものすごく強い。 「誰かさんが、詐欺にひっかかりやすそうだとか、どーのこーの」  私の、竹刀を触る手が止まった。坂本先輩はウヒャヒャと変な笑い声を立てながら去っていく。 「まあそれが、河海かどーかは知らんがなぁ」 「……っ」  私は勢いをつけて、背後にいる友人を振り返った。 「ま、ゆ、ちゃん?」 「ぎょえっ!」  友人――町田麻由ちゃんも、坂本先輩に負けないくらいのヘンテコな声を出す。 「ま、町田がなにか!?」 「そうよ、麻由ちゃんよ!  さっき坂本先輩が聞いたって言ってたのって」 「ああ、衣乃ちゃんが詐欺に引っかかりそうだっていう」 「それよ! まったく、からかわれちゃったじゃない!」  私がポカスカと麻由ちゃんを叩いていると、その横を優雅にみっつーが通り過ぎて行った。 「あらー、お仲のよろしいことでー」  わざとらしい穏やかな声とにこやかな顔。 「あっ、衣乃ちゃん! あそこに戦犯が!」   麻由ちゃんがみっつーを指さした。 「最初に詐欺って言い出したのは、あの船井みつる氏ですよ!?」 「よし、みっつーも同罪よ!」  私はもう一方の手で、みっつーにも軽いパンチをお見舞いした。 「私は、詐欺なんかに、引っかかりません!」   最後に麻由ちゃんが余計な一言。 「確かに、こんなに凶暴なら詐欺師も逃げるわな」 「そうですね」  いや、みっつー、頷くなぁぁぁ! 「はーい、じゃあ第一試合の人たち、面付けてー!」  亜生先輩のよく通る声が、道場に響いた。いよいよ、始まる。  ***    全ての試合が終わった。  団体戦五人のメンバーは、亜生先輩、副部長の新村先輩、上野先輩、名嘉真先輩――そして、みっつー。  ちなみに私は四勝九敗。一年生部員の中では、みっつーに次いで二位だったんだけど、先輩達に全敗したんだ。一年多くやっている先輩達なんだから、しょうがないって思うこともできるけど……やっぱり悔しいものは悔しい。  だって、二年生八人のうち、三人の先輩とは「判定負け」なんだもの。  判定っていうのは、時間内に勝負がつかなかったときに審判三人で「この子が良かった」「一本になりそうな有効打突が多かった」っていう方に旗を上げて、多数決で勝敗を決する方法。まあ、公式戦でやることは少ないらしいけど、練習時間が限られている部内戦なんかでは、よくこの形式を取るんだ。  ……あ。  私は気付いた。判定で負けた、つまりそれは亜生先輩の言っていた「審判の心を掴む」っていうのができていなかったってこと……?  そうか、そういうことだったのか。  団体戦メンバーに選ばれることはできなかったけど、良いことを学べた夏休みの日だった。
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