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料理を教えて
想像以上にトラブルもなく、入居してから3日目の夜。
それもそうだ、みんな帰宅時間もバラバラだし、基本的に挨拶程度しかしない。杞憂だったかと安堵しつつ、過ごしやすいシェアハウスに、正直満足していたのだ。……この日、までは。
さて、今日は料理を作ろうとキッチンに立つ。
今のうちにたんまりと、つくり置きをして食費を浮かそう。
トントンと軽快な包丁の音と共にコトコトとスープが煮込まれる。コンソメスープの素に、キャベツ、ベーコン、さいの目切りのニンジン……
やがて、玄関がガチャリと開く音がした。
「ただいま」といった先を見ると清水くんだった。少しだけ眠そうに目をこすりながら、私の後ろを通っていく。
「おかえり」とぎこちなく返答し、料理へと視線を戻す。
やがて清水くんは、自室からキッチンへと戻ってきた。
「何を作ってるの?」
「……ポトフです」
そのままじっと私が料理をしている姿を見ていたようなので、なにごとかと私も清水君を見返した。そうとうにドギマギ……挙動不審になっていたかと思うけれども。
「もしかして……キッチン使いたかったんですか? それならもう少し待ってほしいですけど」
「いや別に」
そうやって傍に立たれると緊張するからやめて欲しい。包丁を持つ手が震え、自分の指を切らないように集中した。やがてソファーに座りにいったかと思うと、思い返したように再び立ち上がり私の横に立つ。
「大塚さんは……料理得意なの?」
「……さあ? 家族以外に食べてもらったことないから……別に普通だと思うんですけど」
「そっか」
沈黙が辺りを包む。
どうしたらいいのだろう、もしかして、食べたい、のだろうか?
それならそうだといってほしいけれども。
「……食べてみますか?」
たどたとしい私の言葉に、清水くんは少しだけ考えたあと、頷いた。
コミュ力ゼロの私に、空気を読むという高度な技を求めないで欲しい。少しだけ不満を抱えつつ、野菜たっぷりの栄養バランスまでしっかりのポトフをスープ皿に盛る。清水くんに差し出すと、ふうふうと熱そうにしながらも静かに食べていた。
「……うん、確かにおいしかった、ごちそうさま」
それだけをいうと、横でスープ皿を洗いはじめる。なるほど基本的に彼は静かで、人との距離が控えめなのかもしれない。少しだけ、清水くんに親近感を覚える。
「どういたしまして」
「……よかったら教えて欲しいんだけど……」
言いづらそうに、清水くんは口を開く。
「何をですか?」
「料理。ここの人たち、って料理得意じゃないし……俺も、自分で作れるようになりたい」
即答できず少し考える。私も得意、というか……別に腕前は普通だ。でも、チラリと見ると清水くんはとても深刻そうに、困っている表情を浮かべている。無下にもできない。
「いいですよ、材料費をちゃんと出してくれるなら……」
「ありがとう、大塚さん」
お互い聞こえるか聞こえないかの大きさで、そういってから、すぐに玄関の扉が開く音がした。江口先輩だ。おもわず、目をそらしてキッチンの片づけの作業に集中する。食器を洗い終わった清水くんは、江口先輩に気づくと声をかけた。
「おかえり」
「ただいま~、なんだ。瑛太、帰ってたのかよ。……って、旨そうな匂いがするな、何作ってんの?」
タッパーにつめていたときに江口先輩に近寄られ、気まずい気持ちが湧き上がる。もちろん、あちらはそんな私の様子など全くもって意に介していない。いまだ痛み続ける心臓を無視すべく、私はすっと目線を外して食器を拭く。
「ポトフです。もう作り終わりましたので、キッチン使うならどうぞ」
緊張していたからか、少しだけ冷たい口調となってしまったかもしれない。
「使わねぇ。だって料理なんて面倒じゃん、コンビニいってこよ」
けれど江口先輩は、気にしないといった様子で、そういうと再び玄関から出ていった。残された清水くんは、怪訝な顔で私の方をチラリと見た。
「もしかして、あいつのこと……嫌い?」
ハッキリいってしまっていいのか、一瞬だけ躊躇した。でも、きっと誤魔化した方がいいだろう。フラれたことを、いまだ引きずっているなんて、先輩にとっては迷惑でしかないのだから。
「いえ、別に……」
それだけが、精一杯だった。嘘を上手くつくこともできず、中途半端な対応になってしまって、私は清水くんの視線を振り切るように部屋に逃げ帰る。
バタンと部屋の扉を閉め、扉を背にしゃがみ込む。
心から情けなくてあふれ出そうになる涙を、袖でぐいとぬぐった。
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