1/2
前へ
/10ページ
次へ

 その晩、ナビカは約束どおり寝所を抜け出し、泉のほとりに駆けていった。  ジクサはもう着いていて、昨晩ナビカが座っていた岩に掛けている。彼女に気づくと、悲しげに笑って出迎えた。ナビカもほほえんで、そのとなりに腰かける。 「……どうして両国には『守り色』の風習が存在するのか、知っていますか」  軽い雑談ののち、ジクサはそう切り出した。ナビカは首を横に振る。ほんとうに、勉強のお嫌いな姫君だ。苦笑してから、彼は語りはじめる。 「大フリシア島――今ではマルダクとジュスタがその南北を分かち合うこの島はそのむかし、暗黒の島だったといいます。空も海も黒く、ところどころで炎熱が吹き荒れ、砂塵が埋めつくし、とうてい人が住める世界ではなかったと。  そこにあるとき、大陸から兄弟の漂着者がありました。彼らは悪環境をものともせず、むしろ面白がって冒険した。やがて、彼らは島の中央湖――いまも両国の国境に横たわる、あの大湖です――に到達した。ふたりして迷わず底まで潜っていき、そして見つけたのです――この島最大の禁忌、霊石ハウィーシを」  ナビカはぱちりと目を見開く。ハウィーシのことなら、彼女も知っている。国でいちばん大切な宝で、王宮のどこかで厳重に保管されているはず。冒険者たちに関する逸話は、父や教師から聞いたような気もするし、聞かなかったような気もする程度だが。 「真っ暗な湖底に息づくその黒い石は、カットを施されたダイヤモンドなんかの幾倍も輝いていた。ふたりは寸分のためらいもなく、ハウィーシの塊をまるごと削り出した。そうしてふたつに分け、それぞれに携えたまま冒険を続けた。  すると不思議なことに、空の黒雲や霧は晴れ、海は青く澄んで穏やかに輝き、砂塵も炎熱も消え果てたのです。  直接申し合わせたのでもないが、ふたりはハウィーシを別々に管理し、二度と近づかせないことを決めました。それから、兄弟はそれぞれに大陸から人を呼び寄せ国を興した。それが、マルダクとジュスタの起源です」  ナビカの目に、古い時代の心躍る情景がありありと浮かんでくる。 「しかし、ほどなく暗雲はぶり返しの兆候を見せはじめる。ある日、どちらかの国の占術師が気づいたのです。他の祭具とともに蔵に込められていたハウィーシが、動き出している、と。まるで意志を持つかのごとく蔵を出て、島の中央を指してひたひた歩いているから、つまみ上げて元に戻したのだと。  最初は半信半疑だった初代王も、実際、真っ黒な芋虫のように道を這っているハウィーシを見つけて動転したと言います」 「そして」  ナビカは口を挟んだ。 「ある日、悟ったのね? それぞれの王の子女全員を、出生時の空や海の色で縛らせることでのみ、ハウィーシの動きを封じられる、と」 「ご名答」  ジクサが、聡明な妹を慈しむような目を傾ける。 「その事実を見抜いたのは、それぞれの国の占術師たちでした。それから初代王たちに第一子が生まれ、そこから、『守り色』ははじまったのです」  しばし郷愁にふけるように目を閉じたのち、ナビカはゆっくりと目を開いた。 「ふたつのハウィーシがまた中央湖で再会したら、この島はほろびるのかしら」 「おそらくは」 「わたしたちは、とんでもないものを封印しながら生きてきたのね」  ナビカは自分の黒い装束を見下ろした。  それから、訊きにくいことをおずおずと尋ねる。 「あなたの叔父様が、マルダクの次代は遠い系統に移るということを言っていたけれど、ほんとう?」 「ええ、だいたいは合っています」 「合っていない部分がある?」 「……というより、私は、子ども自体は幾人も設けさせられる予定なのです。醜い妻を見繕ってもらってね。というのも、ハウィーシの封印を維持するには、初代王の血を濃く引いた者が『守り色』を身につけ続けなければなりませんからね。叔父は、私の系統を王位に復帰させる気はないが、封印のためだけに私の血を維持することを望んでいるのですよ」 「ひどいわ…………」 「そう嘆いてくださるのは、貴女くらいのものだ」  ジクサがせつなげな目を向けてくる。ナビカはその手を握り、思わず身体を寄せた。  それから、ふたりはしばし沈黙に陥った。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加