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「おっラッキー」
部活帰り、陽翔が教室に寄り荷物をまとめていると慶が顔を出した。
「先輩まだ居たんですか…?!」
この前同様、十九時近くになっても慶がいるなんて珍しいと陽翔は驚きを見せた。
「今日は塾ないんだ、そんでクラスの奴らと話してたらこんな時間になってた」
慶はグッと腕を伸ばし「遅くまでごくろーさん」と微笑むと陽翔の頭を撫でた。慶の大きな手が陽翔には心地よく、思わず目を細めされるがまま身を委ねてしまう。
「先輩の手って、大きくてすごく男らしいですよね」
陽翔が思ったことをそのまま口に出すと「そうか?」と慶は悠哉の席につき、自分の手を改めて凝視した。
「はい、僕の一回りぐらいの大きさしてますもん」
「どれ」
すると陽翔の手を掴んだ慶は自分の手と重ね「ほんとだな」と陽翔の手と比べた。
「陽翔の手が小さいんじゃないか?」
「…そうですかね」
急な慶からの触れ合いにドキリとした陽翔は咄嗟に目を伏せた。慶からの触れ合いはかなり多い方だった。恋人同士なのだから当たり前なのかもしれないが、よく手を繋ぎたがるし、気がついたら陽翔の頭を撫でている。恋愛経験がない陽翔にとってはそれら全てが新鮮であるとともに、なんだか落ち着かなかった。
慶の触れ方はとても優しく、まるで陽翔のことをお姫様だと思っているのではないかと疑ってしまうぐらい紳士的なのだ。慶に触れられただけで自分がどれだけ大切にされているかわかってしまうほどに。
そんな慶の態度に、陽翔は妙な気恥しさを覚えていた。今みたいな何気ない触れ合いが、陽翔を困らせる。
――僕はお姫様じゃないんだけどな…
すると、陽翔の手と合わせていた慶の手がゆっくりと動き、陽翔の指と指の間を撫でるようにつーっとなぞっていく。まるで愛撫でもしているかのような慶の手つきに、陽翔は顔を赤らめ反射的に慶の顔を見た。そこには陽翔のことを烈烈たる瞳で見つめている慶の姿があった。
陽翔の手をぎゅっと握った慶は「どうかしたか?」と陽翔に笑いかけた。陽翔は耐えられなくなりバッと勢いよく立ち上がった。それにより解かれた手を引っ込めた陽翔は「もうこんな時間…!早く帰りましょう?」とぎこちない様子で歩き出した。
陽翔が教室の扉に手をかけたその時、慶に腕を引かれ咄嗟に振り向いた陽翔に慶はキスをした。いきなりのことで陽翔は身動きが取れずに固まってしまう。しかしすぐに我に返った陽翔は慶の胸を押し「ちょっ…慶先輩…っ」と唇を離したが、慶は陽翔の頭を押さえ再度口付けた。陽翔の口内に慶の舌が進入し、くちゅくちゅといやらしい音が静かな教室内に響いている。
――気持ちいい…
いつの間にか慶のキスの虜になっていた陽翔は抵抗することを辞め、キスに応えるために唇を開き自ら慶を迎え入れた。
唇が離された頃には、陽翔の身体はすっかり蕩けきってしまっていた。慶の肩にもたれかかるように寄りかかった陽翔の身体を優しく抱き込んだ慶は「大丈夫か?」と陽翔の背中をぽんぽんと叩いた。
「ここ…学校ですよ…?万が一誰かに見られでもしたら…」
「しちまったもんはしょうがない、だろ?」
ふっと笑った慶は「最近してなかったからついな、悪かった」と陽翔の頭を軽く撫で教室を出た。
慣れない、やはりいつまで経っても陽翔は慣れることが出来なかった。お姫様みたいに優しく扱われることも、可愛い彼女のように抱きしめられたりキスをされたりしてどろどろに甘やかされることにも。恋人のような雰囲気になると、どうにもから回ってしまう。
陽翔は自分の頬に手を当てた。十二月だというのに、何故自分の頬がここまで熱くなっているのか陽翔には分からなかった。
陽翔が教室を出ると、慶が誰かと話している姿が目に入った。声をかけようとした瞬間、陽翔は言葉を飲み込んだ。
「あっ、陽翔」
そこには笑顔の空音がいた。慶の身体からひょこっと頭を出すと「やっほー」と陽翔に手を振る。
「空音…」
「今丁度会ったんだけどまさか同じ高校とはな」
二度目の空音との邂逅に、慶は驚いている様子だったが表情を見るに少し嬉しげなようにも感じ取れた。
「陽翔今帰り?よかったら一緒に帰らない?」
空音からの誘いに内心最悪だと思いつつも、空音に対する嫌悪を慶に感じ取られないように陽翔は作り笑いを浮かべつつ「ごめん、先輩と一緒に帰る約束してるから」と申し訳なさそうに断った。
「えーそうなの?せっかく一緒に帰ろうと思ったのに…あの、俺も一緒に帰っちゃダメですか?」
心底残念そうに眉を下げた空音は、慶に視線を移し手を合わせた。陽翔は何を言っているんだと一瞬顔を引き攣らせたが「別に僕と一緒に帰る必要ないでしょ、わがまま言わないでよ」と再度笑顔を作り直した。
「俺は別に構わないけど?」
「本当ですか?!」
慶の返答に嬉しそうな声を上げた空音とは反対に、陽翔は信じられないという視線を慶に送った。何故空音と一緒に帰らなければならないんだ、嫌すぎる、と陽翔は表情を強ばらせた。
結局陽翔の抵抗も虚しく、空音も一緒に帰ることになった。いつもと変わらぬ帰り道だというのに、今日は幾分か長く感じた。早く家に着いてくれ、と願いながら陽翔は重い足を動かした。
「空音って陽翔とは離れて暮らしてたのか?」
「はい、俺昔から体が弱くて、しばらくアメリカで療養してたんです」
慶は驚いたように目を丸くし「アメリカ?!」と声を上げた。
「そんな離れた所に居たのか、すごいな」
「そうなんですよ、なので英語なら普通の人より喋れますよ」
感心したように空音を見ている慶は「そいつは凄いな。でも帰ってきたってことは身体の方はもう平気なのか?」と問いかけた。
「はい、すっかり」
「よかった、陽翔も安心したんじゃないか?」
唐突に自分へ話題が振られ、陽翔はすぐには言葉が出てこなかった。「…っはい」と咄嗟に言葉を返した陽翔だったが、明らかな動揺が現れている。しかしそんな陽翔の事を気にすることもなく「空音が帰ってきて良かったな」と慶は優しく微笑んだ。
「そういえば、二人ってどういう関係なんですか?」
空音は思い出したように顔を上げると、二人に疑問を投げかけた。聞かれたくないことをピンポイントに聞いてきた空音に、嫌がらせのためにわざと聞いてきたのではないかと陽翔は疑いたくなってしまう。空音自身そんな気ないのだろうが、過去の行いのせいで空音の言動全てを陽翔は疑ってしまうのだ。
「俺が陽翔をサッカー部のマネージャーに誘ったんだ、どういう関係って言われたらなんとも言えないけどまぁ、部活仲間だな」
自分達が恋人同士だという事は隠して、それでいて嘘もついていない慶の返答は陽翔的には百点満点だった。とにかく恋人同士だということさえバレなければいい。
しかしそんな陽翔の不安を他所に、空音は腑に落ちないというような顔つきで「でも慶さんってもう部活引退してますよね?それなのに一緒に帰ってるんだ」と不思議そうにしている。
「今日はたまたまだ、俺が遅くまで学校に残ってて丁度陽翔と帰るタイミングがあったからこうして一緒に帰ってる」
「ふーん、そうだったんですね」
ようやく納得してくれ空音に陽翔はほっと胸を撫で下ろした。それでもまた空音が何か変なことを言うのではないかという不安が陽翔の中に存在しており、それは杞憂にしか過ぎないのかもしれないが、この嫌な予感を払拭することは不可能だった。いつもの帰路が今日だけはとても長く感じた。
自室へ入った陽翔はそのままベッドへ倒れ込んだ。あれから空音が変なことを口走ることも無く、慶に何か勘づかれることも無かった。陽翔の不安は外れ、平和的な時間が過ぎていったのであった。
それでも陽翔の気疲れは大きかった。未だに空音は自分のことを恨んでいる、そう思っている陽翔にとってはいつ空音が自分の大切な人を傷つけようとするか、それが恐怖でしかない。陽翔と慶が付き合っていることを空音が知ったら何をするか分かったものでは無い。悠哉同様、慶までも空音に目をつけられてしまったらどうしようか、ただでさえ慶には迷惑ばかり掛けている。これ以上慶を巻き込む訳にはいかなかった。
ふと陽翔が顔を上げると、カレンダーが目に入った。二十五日の所が赤い丸で囲われており、慶からクリスマスに一緒に過ごそうと言われたその日に陽翔が付けた印だった。
クリスマス、慶に何処へ行くか聞いたところまだ秘密だと言われてしまった陽翔は、クリスマス当日のプランを何一つだって知らなかった。しかし慶がこの日を楽しみにしていることは知っている。空音の事もあり最近の自分は少し変だと言う自覚がある、慶の前でも不振な態度をとってしまったことを陽翔は気にしていた。だからこそこの日は完璧な恋人を演じきりたい、陽翔はそう思っているのだ。
慶にとっていい思い出となるように、この日だけは何としても難波慶の完璧な恋人でありたかった。
そこで陽翔は自身の親友へ連絡するため、LINEのトーク画面を開くと「悠哉、日曜日空いてる?」とメッセージを送った。
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