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家に帰った陽翔は先程作ったクッキーを冷蔵庫の奥へしまい込んだ。誰もいないリビングを見渡し、母さんは買い物かな?と思った陽翔は自分の部屋へと向かうため階段を上る。
二階へと上がった陽翔はふと自分の部屋の正面に配置されている空音の部屋の扉が開いていることに気がついた。陽翔の身体は吸い込まれるように空音の部屋まで足を進めていた。そして陽翔は扉の隙間をそっと覗き込む。
するとそこには、大きなキャンバスを前に筆をのせている空音がの姿があった。久しぶりに絵を描いている空音の姿を目にした陽翔は、まるで昔に戻ったような感覚に陥る。
あの頃の空音は陽翔が病室へ訪れる度絵を描いていた。本当に絵を描くことが好きな空音、陽翔はそんな夢中になっている空音の横顔を眺めるのが好きだった。だってすごく楽しそうだったから、いつもどこか寂しげな表情をしていた空音が絵を描いている時だけ瞳を煌々と輝かせ筆を動かしていたのだ。
しかし、今陽翔の目の前に映し出されている空音の姿はあの頃とは違っていた。キャンバスを見つめ無心に筆を動かしているその姿は、まるで何かに取り憑かれているのではないかと疑ってしまうぐらい虚無的だった。
陽翔はそんな空音の姿に恐怖を覚えた。いつから空音は変わってしまったのだろう、あの頃の楽しそうに筆を動かしていた空音はどこへ行ってしまったのだろうか、陽翔の胸はなんとも言えぬ悲しみによって締め付けられるようだった。
すると、キャンバスを見つめていた空音の瞳だけがぎょろりと動き「そんな所で覗き見してないで入れば?」と陽翔に向けて声をかけた。突然空音と目が合ったことに陽翔の心臓は大きく脈打つ。覗いていたことを気づかれていたなんて思っていなかった陽翔はバクバクと激しく音を立てている心臓を押さえながら空音の部屋へと足を踏み入れた。
「覗き見なんて悪趣味だなぁ」
「…ごめん」
空音の部屋に入った途端、陽翔は嫌な汗が止まらなかった。まるで陽翔などこの場にいないかのように空音は陽翔に見向きもせずに筆を動かしている。
陽翔がちらりとキャンバスに視線を向けると、そこには真っ青な空が描かれていた。空音は空を描いていたのだ。まるで写真を見ているかのような空音の絵はとても美しかった。
「やっぱり違う」
そう言った空音は突然パレットの絵の具たちをぐちゃぐちゃにかき混ぜ始めた。そしてせっかく描いた空の絵を黒く塗りつぶしている。
「っ…何してるの…っ?」
空音の行動に驚いた陽翔は、思わず空音の手を掴んでいた。
「何って、ちっとも空じゃないから消してるんだよ」
空音は冷たく言い放った。ちらりと横目を動かし「手、離してくれない?」と言われ、陽翔は掴んでいた空音の腕を反射的に離す。
「こんなに沢山の色があるのに、どの色だって空じゃない。だから他の色と混ぜてみた、だけど結局俺には本当の空の色なんて分からない」
空音は再びキャンバスの絵の具を混ぜ始めた。ぐるぐると筆をかき回し「混ぜて混ぜて、いつも最後には真っ黒になる」と虚ろな瞳でそう述べた。
空音の絵を描いているとは思えないような異様な光景に、陽翔は今すぐにでもこの場から離れたかった。けれども陽翔の意思とは反して陽翔の身体はびくとも動かない。まるで足が地面に張り付いているかのような感覚に陽翔は戸惑いを覚える。
「お前の色は空とは違う」
すると突然、陽翔の姿をまじまじと見つめるように空音が顔を上げた。空とは違う、言葉の意味が理解出来なかった陽翔は「どういうこと…?」と空音に尋ねた。
「昔から陽翔の色は明るい、まるで太陽のように。でも俺が求めてる色はそれじゃない」
見ず知らずの人間が聞いたら意味がわからないような空音の発言、しかし陽翔には空音の言いたいことが何となくだが分かったような気がした。
二人がまだ幼かった頃『陽翔って明るくて温かい色をしてるよね』と空音に言われたことがあった。当時の陽翔にはその言葉の意味が全くもって分からず』僕の色って何のこと?』と純粋な疑問を空音へ投げかけた。
『陽翔自身の色のことだよ。陽翔は明るくて温かい色を纏ってる、ぽかぽかとした陽だまりのような色』
この時初めて、空音には他の人には見えない何かが見えているのだと陽翔は知った。どうやら空音には、人間一人一人が纏っている色が見えるらしい。そしてその色はその人の本質を表しているのだと空音は語っていた。そんな空音に興味を持った陽翔は『あの人は何色なの?』とよく空音に聞いていたこと思い出す。
「空音は空の色を探しているの?」
「うん、そうだよ。俺はずっと空を探しているんだ」
空音は筆を置くと、陽翔の右手をぎゅっと握り「陽翔が俺の空になってよ」と笑顔で語りかけた。
「僕がお前の空に…?」
「うん、そんな色じゃなくてさ、どこまでも澄んでいる青い青い空の色。俺に見せてよ」
空音の手が陽翔の頬に添えられる。ピクリとも動くことが出来ない陽翔は空音の瞳に吸い込まれるようだった。
するとガチャッ、という玄関の鍵が開く音がした。おそらく母が買い物から帰ってきたのだろうと予測できる物音、ハッと我に返った陽翔は素早く空音から距離をとった。
空音は「陽翔?」と 不思議そうに瞳を揺らめかせながら陽翔の方へと再度腕を伸ばした。しかし陽翔はそんな空音から逃げるように部屋を飛び出し、自分の部屋に駆け込んだ。
扉を閉め鍵をかけた陽翔は扉に寄りかかり、ズルズルと座り込んだ。先程の自分を見つめる空音の瞳がどこか狂気的だったことに、陽翔の身体はいつの間にか震えていた。
自分の知らぬ間に空音は変わってしまった、陽翔はそう思った。絵を描いていた空音の姿はとてもじゃないが楽しそうには見えなかった。せっかく描いた絵を塗りつぶしてしまうなんて以前の空音からは考えられなかったのに、今の空音は自分の納得のいかない絵を破り捨てても何らおかしくない。
そして空音は空の色を探していた。陽翔からしたら空の色と聞いたら青、水色ぐらいしか思いつかないのだが、空音はどの色も空ではないと言っていた。空音の探している空の色とはどのような色なのだろうか、何故そこまで空の色に拘っているのだろうか、双子だというのに陽翔は空音のことが何も分からなかった。
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