5.クリスマス

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 元日、大勢の参拝者に混じり陽翔も列に並んでいた。厚手のコートを羽織っているというのに年明けの早朝は陽翔の想像をはるかに超える寒さであり、陽翔は悴んだ指先にはぁ、と息をふきかけた。 「それにしても今日は冷えるなぁ」 「そうね、空音は来なくて正解だったわね」  陽翔の前に並んでいる父と母は、互いに身を寄せ合いながら会話を交わしていた。  今日は元日、陽翔含めた家族三人は毎年恒例のように、近所にある神社に参拝に来ていた。空音も誘ったのだが、人混みがあまり好きではない空音は家で待っていると断ったようだった。 「確かにこの寒さだと空音の身体に触るかもしれないしな、空音はもうすっかり良くなったって言ってるけどやっぱり心配だよなぁ」  空音を心配する言葉を口にした父に便乗し、母も神妙な顔つきで「そうよね、また悪化したら大変だもの」と空音の体調を心配している様子だ。  しかし、そんな両親とは違って陽翔は安堵を覚えていた。両親の前で空音と仲の良い兄弟として振る舞うのは些か無理がある、空音が来ないことは陽翔にとっては好都合であった。  参拝を終えた陽翔たちは階段を下り、駐車場へと向かっていた。そんな時「陽翔?」と見知った人物が目に入る。 「悠哉に…神童先輩」 「こんなところで会うなんて奇遇だな」  二人は陽翔たちの元へ近づくと足を止めた。恐らく二人も初詣へ来たのだろう。陽翔たちとは反対方向から歩いてきたということは、これから参拝をしに行くところらしい。  陽翔の母は嬉しそうに声を弾ませ「本当に奇遇ね!今年は一緒に初詣行けないって陽翔から聞いて寂しかったのよ、だからこうして会えて嬉しいわ」と笑顔で悠哉に話しかけた。「そんなに喜ばれても…」と悠哉は困ったように眉を下げ母の圧に圧倒されている。 「悠哉くん久しぶりだね、最近飯だってあまり食べに来なかっただろう?たまには顔見せてくれたっていいのに」 「お久しぶりです。もう俺も高校生なんですから自炊ぐらい出来ますよ、散々世話になったんですからこれ以上厄介になるわけにはいきません」  「君は本当に大人びてるなぁ」と父は悠哉の背中を叩き笑顔を見せた。父も母同様、悠哉に会えたことが嬉しくて堪らないといった態度だ。悠哉の父親が逮捕されてからの約二年、陽翔の家で寝食を共にしていた悠哉のことをわが子同然に可愛がっていた陽翔の両親、悠哉が一人暮らしをするようになってからというものなかなか会う機会がなくなってしまい寂しがっていた程だった。 「ところで…こちらの男前な方はどなた?」  陽翔の母は、悠哉の一歩後ろで一連のやり取りを眺めていた彰人に視線を向けた。彰人は「初めまして、神童彰人と言います。陽翔くんと悠哉くんとは同じ高校で学年は違えど仲良くさせてもらっています」と爽やかな笑みを浮かべ自己紹介をした。さすがはモデルにスカウトされただけのことはあり、今年初めて目にした神童彰人という男もとびきりの男前だった。  そんな男前の男に微笑みかけられた陽翔の母は、一瞬見蕩れてしまったかのように固まってしまったが、すぐに我に返り興奮気味に陽翔の背中を何度も叩いた。 「ちょっ?!母さん痛いよ!?」 「陽翔っ!なんでこんなにかっこいいお友達がいたのに紹介してくれなかったのっ?」  すっかり彰人の容姿に魅了されてしまった陽翔の母を「落ち着けよ」と呆れた様子で陽翔の父は宥めた。 「今日は二人で初詣に来たの?随分と仲良しなんだね」 「…まぁ」  陽翔の母を宥めながら、陽翔の父は珍しそうに悠哉へと尋ねた。父が珍しがるのも無理はないと陽翔は思った、元々悠哉の事情を知っている両親は悠哉がなかなか他人に心を開かないことも理解した上で悠哉に接していた。陽翔の父でさえ悠哉と打ち解けるにはかなりの時間がかかったほどだったのだ。だからこそ悠哉が知らない男と初詣に来ている、なかなか見慣れない光景に父も内心驚いているのだろうと陽翔は思った。 「もう帰る感じ?」 「うん、二人はこれから?」  悠哉は「ああ」と頷いた。すると陽翔の母は「せっかくなんだし陽翔ももう少し話したらいいわ、私達先に車に戻ってるから」と陽翔の肩にぽんと手を置いた。 「えっ、でも…」 「別に俺はいいけど、お前は?」  悠哉は少し顔を上げ、彰人の顔を見て問いかけた。陽翔の母の提案に「俺も構わない」と彰人も肯定し「良かったわね陽翔」と母は嬉しそうに微笑んだ。  結局、母の突発的な提案によって陽翔はもう一度参拝列に並ぶことになり、二度目の参拝をすることになった。一日に二度も賽銭を投げ入れることになるとは、陽翔としてはなんだか妙な気分だった。  参拝が終わった三人は何気ない世間話をしながら階段を下っていく。そんな中、陽翔は笑顔で相槌を打つだけで精一杯だった。陽翔としては今年初めて悠哉に会えて嬉しい気持ち反面、クリスマスの日から気落ちしているせいもあって上手く笑顔を保てるだろうかという不満が残る。 「そういえば空音は一緒じゃねぇの?」  思い出したかのように空音の名前を出した悠哉に「うん、人混みが嫌みたいで家で留守番してるよ」と陽翔は正直に答えた。 「お前の弟は中々の曲者らしいな」 「はは、まぁそうですね」  今の彰人の口ぶりから察するに、彰人は空音が陽翔の弟であり問題児であることも知っているようだった。陽翔から直接空音のことを彰人に話した記憶がなかったため、恐らく悠哉から聞いていたのだろう。 「それにしても、難波とは初詣来ないんだな。俺はてっきり今年は難波と二人で来るもんだと思ってたけど」  悠哉の何気ない一言に陽翔はびくりと肩を震わせた。 「先輩忙しいみたいで断られたんだよね」 「ふーん」  咄嗟に嘘をついてしまった陽翔は、嫌な汗を伝わせつつもなんとか誤魔化した。本当のことなど言えるはずがなかった。あれから慶とは一度も会ってないうえに連絡すらもほとんど取っていなかった。唯一の慶とのやり取りは「あけましておめでとう」という新年の挨拶だけであり、二人の関係は未だに気まずいものだった。 「悠哉、あれ木原さんじゃないか?」 「えっ」  一度足を止めた彰人は、階段のふもとの方を指さした。彰人につられ二人も足を止め視線を向けると、そこには見覚えのある男性が今にもおみくじを引こうとしているところだった。 「ほんとだ、木原さんだね」 「隣にいるのは前に話してた彼女か?」 「…ああ」  木原の隣にいる小柄な女性に視線を移した彰人に、悠哉は頷き肯定した。  木原京介、彼は悠哉の実の兄だ。しかし実の兄といっても父親が同じというだけで事実上は腹違いの兄ということになる。それに木原という兄がいた事が発覚したのだって最近のことだった、悠哉にとっては突然現れた母親違いの兄、悠哉自身も木原にどう接したらいいのかまだ定かではないのだろう。陽翔だって木原の存在を悠哉から聞いた時はかなり驚いた。 「あっ、こっちに気づいたみたいだぞ」  彰人がそう言うと、悠哉は嫌そうに顔を顰め「げ…」と呟いた。彰人の言う通り、木原はこちらの存在に気がついたようで悠哉に向けて嬉しそうな笑顔で手を振っている。悠哉は小さくため息を着くと「ちょっと行ってくる」と言い木原の元へ言ってしまった。 「全く、あいつは素直じゃないな」  悠哉の姿を目で追っている彰人は愛おしげに顔を緩ませた。陽翔も「そうですね」と彰人に便乗する。  木原と悠哉のやり取りは数回ほどしか見たことがなかった陽翔だが、悠哉は木原を煙たがりながらも決して嫌いではないのだろうと感じ取れた。今だって面倒くさそうな素振りを見せつつも自分から木原の元へ行っているのだから、木原に対して好意的な感情を抱いているに違いない。 「兄弟といえば、お前に弟がいたとはな。しかも双子だなんて驚いたぞ」  二人は邪魔にならないように道の端に寄り、悠哉を待つことにした。 「空音のこと、悠哉から聞いたんですか?」 「ああ、陽翔とは真逆の存在だと言ってたぞ。何があったかは詳しくは知らないが、どうやら悠哉はお前の弟のことを好きではないみたいだ」  「あはは、そうみたいですね」と陽翔は彰人に対して笑顔を向けた。正直空音のことはあまり触れてほしくなかったため、どう話題を変えるか陽翔が考えていると「慶とはどうなんだ?」と神妙な顔つきな彰人に問いかけられる。 「…急ですね」 「いや、そういえばこの間慶が陽翔に双子の弟がいたなんて知らなかった、と少し落ち込んでいたのを思い出してな。弟のこと、慶にも話していなかったんだな」  初めて聞いた話に陽翔は呆然としてしまう。まさか空音のことを話していなかっただけで慶が彰人に不満を垂らしていたなんて、陽翔は思ってもみなかった。 「空音のこと話さなかっただけで大袈裟じゃないですか…?兄弟の話なんて知らなくても慶先輩には関係ないことですし」 「お前は分かってないな、好きなやつの事だったらどんな些細なことでも知りたがるのが男ってもんだろ?そういうところ、お前は変に冷めてるよな」  彰人に指摘されてしまった陽翔は何一つとして言い返すことが出来なかった。  黙り込んでしまった陽翔に対して、彰人は「お前は慶をどうしたいんだ?」と問いかけた。 「慶先輩には幸せになって欲しい…です」 「幸せにしたい、じゃなくてか?」 「…僕は先輩を不幸にするばかりで…とてもじゃないけど幸せになんて出来ないですよ、クリスマス当日だって先輩を傷つけてしまった」  一度口にすると今まで抱え込んでいた後悔に飲み込まれそうな気分に陽翔は陥った。それでも誰かに自分の過ちを話さないと自己嫌悪で潰されそうだった陽翔は彰人に全てを打ち明けた。 「クリスマスの日、先輩が僕にすごく綺麗なイルミネーションを見せてくれたんです。本当に綺麗で…僕には勿体ないぐらいで、そしたらなんかすごく自分が惨めに見えてきて…先輩は僕のためにこんなに綺麗な景色を見せてくれたのに先輩を今でも利用してる自分がどうしようもなく惨めで」 「利用してたか…、お前はやっぱり悠哉の事が好きなんだよな、だけど悠哉の自分に対する好意を背けるために慶を利用して悠哉を遠ざけた、俺の推測は合ってるか?」  見事に陽翔の考えを言い当ててみせた彰人に、今更隠し通すことは無理だと判断した陽翔は「全部お見通しなんですね」と皮肉めいた表情で目を細めた。 「お前がなんで悠哉のことが好きなのに慶と付き合っているのか色々考えた結果がこの答えだった。俺には理解出来ない考えだがな。悠哉と付き合いたいとは思わなかったのか?」  彰人からの問いかけに少しの沈黙の後、陽翔は「もちろん思いましたよ」と答えた。 「じゃあ何故身を引いたんだ?形は違えど悠哉だって陽翔に対して好意を持っていたのだから、全く絶望的な状況ではなかっただろ」 「絶望的でしたよ、だって悠哉は最初から僕に対して恋愛感情なんて抱いていなかったんですから。それに悠哉は恋を知らないどころか友情すら知らなかったんです、悠哉の世界には最早お父さんしか存在していなかったと言ってもいいぐらい寂しかった、そんな狭い世界の中にたまたま僕という存在が現れた。悠哉の辛い時期にそばに居たのがたまたま僕だっただけなんです」  もし悠哉の家庭環境が普通と言われるような家庭だったのなら、あんなにも悠哉が陽翔に依存することもなかっただろう。悠哉には陽翔しかいなかったのだ、唯一の肉親である父からも裏切られた悠哉にとって陽翔の存在は大きすぎた。 「これで悠哉と付き合えてたとしてもいずれお互いの気持ちに食い違いが生じてましたよ。それに…悠哉の気持ちにつけあがることなんてしたくないですし」  すると彰人は「お前は優しすぎるんだな」とふっと笑った。 「優しさじゃないですよ、僕は弱いだけなんです」  俯いた陽翔は彰人の言葉を否定した。彰人は陽翔のことを優しいと表現したが、陽翔にとってはただの弱さでしか無かった。 「僕は恐かった、自分のせいで悠哉を不幸にしてしまうことが恐かったんです。僕は悠哉が傷つくことが一番恐ろしい」  これは紛れもない陽翔の本心だ。陽翔にとって悠哉はかけがえのない存在であり、そんな悠哉を守る義務が自分にある、そう陽翔は思っている。だからこそ自分が悠哉を傷つけてしまったら、そんなことを考えるだけでも恐ろしかった。 「俺も人のことは言えないが、お前も相当悠哉に対して重たい感情を抱いているよな。まぁ、俺は悠哉のために自分が身を引こうなど考えないけどな。悠哉のことを愛しているから俺自身があいつを幸せにしたい」  そう言った彰人の視線の先には、未だに木原とその彼女と談笑している悠哉の姿があった。悠哉の表情が幾分か柔らかいように陽翔には感じた。そう、本来の悠哉はとても心優しく感情豊かで誰とでも打ち解ける事が出来る人間なのだ。陽翔はそれを理解していたからこそ悠哉には自分以外の人間と関わって欲しかった。陽翔は悠哉を狭い世界に閉じ込めてしまいたくなかった。 「すごいですよね先輩、僕は神童先輩みたいに強くないからそんな考え出来なかった」  陽翔は彰人を賞賛するように微笑んだ。悠哉を幸せにする、陽翔には出来なかったことを彰人はやってみせたのだから彰人には頭が上がらない。 「俺は別に強くはない、ただ悠哉の事が好きなだけだ」  彰人の揺るぎのない返答に、陽翔はもはや言葉が出てこなかった。やはり彰人には適わない、陽翔は思い知らされたような気分だった。 「それで、結局慶とは別れてしまうのか?」 「…はい、もうこれ以上嘘を重ねたくないので」 「そうか、だけど陽翔、お前だけが全て悪い訳では無いんだから一人で背負い込みすぎるなよ」 「え…?それってどいうことですか…?」 「おっと、この話はここまでだ。悠哉が戻ってくる」  彰人の言う通り、木原との話を終えた悠哉が今にもこちらに戻ってこようとしていた。悠哉の前では話すことは絶対にできないため陽翔は口を噤む。  彰人が最後に言っていたお前が全て悪いわけではない、とはどういう意味だったのだろうか。陽翔には彰人がどのような意図を持ってこの言葉を陽翔に向けたのか分からなかった。  
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