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 やけに静かだ、と起き抜けに思った。  人の気配がすっぽりと抜け落ちている、としか表現できない物寂しさ。 「……変な感じだ」  違和感が拭えないまま、家の中を歩いていると。なるほど、と感じるしかなかった。  家の中からラツィリの私物が消え去っている。  かといって何もかも無くなっているとか、そういう訳じゃなくて、ボールペンが残っているとか、専用のティーカップが回収し忘れとか、そういうものばかりが目についた。  あちこち探ってみたら、洗濯機に白衣……アイルが言うには防護服だったか、が一枚だけ放り込んであった。  洗っていないままのものだったから、取っていくのを忘れていたという感じか。  地下室も確認する。 「もぬけの殻、なんだけど」  それでも痕跡は消えていない。何かあったのは分かっていた。  新聞や何かの記事のスクラップ、設計図のような紙束、工具の中にあるビスやナットの取り落とし、細々とした部品の一部が散らばっている。  工房の半分以上を占拠していたくじらの姿なんてあるわけもなく。 「…………。何も言わないで消えるってのも、考えにくいな」  その辺りを疎かにするような人物だとは思わなかった。思えなかった。  短い間でも、判ることだったからこそ、強い違和感を覚えるのだ。 「何かあった、か」  通信端末を取り出して、ラツィリにメッセージを飛ばしてみる。  通話には出ない。  メッセージも既読にならない。  メールは宛先が不明で届かなかった。  位置情報を確かめるも表示されない。  端末そのものがロックされているような挙動だった。 「…………、玄関に知らない奴の跡があるな」  ローグの家の玄関には、この地域の文化では確実に見られない沓脱がある。  そこに知らない人物の足跡が残っていた。  乾いた気候のせいで、この辺りの砂がうっすらと沓脱全体に積もっている。そこに無数の違う足跡を認めたのだ。  ラツィリとは靴が違う、ローグ自身のものとも違うとなれば確定だが。  人が寝ている間に勝手に人の家に上がり込むのもどういう了見だろう、と憤りが強い。  外へ出る。 「少し寒いな」  朝方の締まった空気は心地よくとも、今はそんなことを噛んでいる余裕はない。  見回して見つかるとも思えないが、それでも周囲を見渡していると。 「……ログくん、災難だったようね」 「え、っと……おはようございます、シャルグィさん」  うん、おはよう。丁寧に隣人が返してくる、その動きがなんだか不自然で何かあったのかと身構えてしまう。  災難、ってのがどういう意味なのか。  普段から難しい顔をしているスイェード・シャルグィ、その所為で加齢のみでない皺がいくつか見えるのに、いつにも増してそれが深く見える。  ローグはここで十年ほど暮らしているのに、この隣人の表情を見たのは初めてのことだった。 「居候してたあの子、おじいさんの遺産を漁りに来ていたんでしょう? 夜中に騒がしくて目が覚めたというのに、君は聞いてないの?」 「爺さんの遺産、って何の話ですか。そんなもんあったら生活に困ることないんですけど」 「そうなの……? あの子を連れていった人は、そう言ってたのに」  連れていった?  ローグが完全に寝入っている真夜中に、自分の家に誰かが入り込んでいたのは確実になった。住人の自分を無視したまま連行なんてのは、警察なんかでは絶対にありえない行動だと誰でも判ることだが。 「あの、その人ってどんな格好をしていましたか」 「どんな、ねえ。暗くてはっきりとは見えなかったけど、何かの制服にも見えたし、礼服とか喪服にも見えたかな」  ふうん?  なんというか、それだと背広のような服と言ったほうが早い気もしたが。 「それが数人でねえ。あの様子を見るとちょっと危ないように見えたわ」 「……。そうですか」 「ログくん、大丈夫? 身の回りのものとか、無くなったりしてない?」 「それは問題ありませんよ。むしろ色々と置いていかれているので」  そこまで言って、ローグは視線を外した。ラツィリの行く先に心当たりなんてあるわけがない。それこそ誰かに連れ去られたなんて状況だと絶無もいいところだ。 (理由なんてのは最初に言っていたあれしかないだろう。ヨーマンディにバレて連れ戻された、ってとこだが) 「じゃあ、真夜中にコソ泥めいた手段を取る理由があったか?」 「……何やら考え込んでるね。あの子もそうだったけど、君も似たような表情をしてたよ? ここ一月くらいずっと」  あの子、という言い方。  そういえば、近所の人にはラツィリの名前すらも知られていないのだったか。  さすがにヨーマンディ社員だなんて言いふらすわけもないし、周囲から見てもそうは見ないはずだ。  防護服にしっかりと社章くっついてたけど、剥がしていたかな?  思い返すもよく分からなかった。
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