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「ん……」  聴き慣れたエンジン音でふと目が覚めた。  暗い車内でゆるゆると時間が進んでいる。  窓からの光が遮られていて、外の様子はよくわからないが日光の色が見えるなら昼間なのだろう。  広い座席。  運転席とは区切られていて、ここだけで一つの部屋だった。  ラツィリの他には誰もいない。普段から誰かが隣に居ることもなかったんだけど、それでも直前の生活との落差で寂しさを覚える。  溜息をついて、自分の身体を確かめる。  異常は見当たらない。相変わらず右脚のアンクレットは赤色と碧色の光を発している。 「気付かなかったけど、やろうと思えばいつでも捕捉できたはずだよね」  どうして一月も放置されていたのか、思い返せば不可解だ。  窓に日光が直接当たって、一瞬だけ眩しく感じる。日が傾いているのなら、結構な時間眠っていたようだった。  疲労感はあまりなかったけど。 「おうい、ラツィリ」  誰もいない車内で唐突に名を呼ばれて、上半身がびくりと跳ねた。  見回してもやはり誰もいない。  だが。 「姉貴……っ!」  モニターに映る見知った顔に、今度は悪寒が走り抜けるのを感じた。 「はっはー、嫌そうな表情(かお)してんねえ。哀しくなるよ」  楽しそうに、そして嫌らしく笑んでいる状態で言われても説得力などありはしない。  この人物が昔から苦手だったのは仕方のないことだけど、それでもこうして話さなければならない現実があるだけだ。 「じい様のことを悪く思うと検知されるって、忘れているわけがないのにね。そんなミスをどうして犯してしまったのかな? とくにおまえは互いに嫌っていたでしょう。今のいままで丁寧に自身を制御できていたというのに」  何を得たのか。何かを取られたのか。  普段なら起こりえない油断があったのは確実だ。  猜疑心の塊ともいえるあの男を欺くのも難しいし、その上感情を読んでリークする装置まで身内に強制する有り様だ。  それを忘れて、なんで思ってしまう失態を晒したのか。 「…………」 「睨まないでよ、怖いなー」  こいつには絶対に理解できない。そういう感情が透けて見えるのだろう、姉の表情にはラツィリを嘲る色が隠されもせず貼り付いている。 「大体ね。隠れるにしてもなんで「鯨屋」に潜伏なんてしちゃうかね」  おまえに関わる場所なら、真っ先に行き着く場所でしょうに。  そう指摘されて、それには反論できない。 (もしかしたら、なんて希望があったのかもしれないけど。師匠なら、もう一度って) (……もういなかったなんて。せめて、正式に弔問くらいはしたかったんだけどな)  今度は目を伏せたラツィリに、姉は構わず話し続ける。 「ラツィリ。むらくもぎょぐんの不具合は認識できてるね?」  応えはしない。が、気象バランスが崩れているのは感じていた。それよりも姑息的手段の限界の方に目が行っていたから、あまり意識はしていなかったけど。 「南方を周回していた「瑠璃くじら」のパフォーマンス低下によって、それが起こっていると知っているはずだけれど。それを迅速に報告しなかった影響だってことも解っているよね?」  それはどうだろう、と疑問だった。  そもそもくじらが不具合を起こすよりも前に、異常な現象が世界各地で見られていたことを棚上げしていないか。 「……くじらはネットワーク上からの攻撃で正常駆動ができなくなっていたので。そちらの調査はできているのかな」 「ふうん? そんな記録は見当たらないけどなあ、ざっと見た限り」 「精査して」  ラツィリが攻撃があった時刻を告げ、相手はやっておくよと投げやりに返した。  きっとやらないだろうな、もしくはもみ消すだろうか。  全く希望も持てない対応はいつものことだったとして、さて。 「分かっているでしょうが、重要な立場に居て仕事ができなかったことに責任が問われるよ?」  特にむらくもぎょぐんは社会インフラとして基幹の位置にある。  そこを機能させなくしたことは重いんだ、と淡々と言う。  声の端に、愉しそうな響きを噛み潰しているのがよく判るが。 「……不満そうだね。どうあれ、おまえは結局異分子なんだ。在れただけでも奇跡的だろ」 (寄生虫が)  口も、喉も動かさないで呟いた声。  それでも向こうが何かを気取ったようだった。 「悪いこと思ったね。アンクレットの信号だけでも判る」  おちおち罵倒もできやしない。それでも、世界の異分子はお前たちだろうと疑いなんてしなかった。信仰ではなく、それはただの確信なのだが。  行く先なんてのも、実際予想できていた。  いくつかのメモに想定を書いていたが、ここで確認するのは難しい。 「逃げるのは、難しいと思うけど」  何を読んだのか、姉は制するように強く告げた。 (状況に甘んじている、そしてそれを失うのが怖いだけのくせに) (そんなのが無意味に力を持っているのが、悪質だっていうのに) (根本的な解決を嫌って、自分だけが優位でありたいと思うことがおぞましいのが分からないなら) 「ラツィリ。歩くのが下手だねえ」 「歩けもしない図体でかい赤ん坊に言われたくないんだけど」  切り返す返答に向こうも虚を衝かれたようだった。言われるままになっていることが多かったラツィリの行動に驚いたのは確かだったけれど。 「爺の作ったケージでおんぶにだっこのくせして、人を見下してんじゃないよ」 「……ふ」  笑っていた。  きっと、言葉は全く届いていない。  戯言と思われたのか、そこに反論もこない。  目を戻すと、通信が切れていた。真っ黒なモニターに自分の顔が映っているのを見る。 「なんて顔してんだろ、私」  形容する言葉が思いつかない、中途半端な顔色としか言えなかった。
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