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「まだかな」  翌日、昼頃に呼び出された。ラツィリではなく、職場の上司。  くじら井戸と呼ばれる貯水池管理の建造物があり、そこで水量の管理なんかを日々行っていたのだが。  ほんの数日前に同僚に呼ばれた際、放水機構の操作ミスをやらかした。  時間なのか、センサーの設定ミスなのか、水量が通常溜めておく量の三割を切るような状態になってしまい。  常に水不足の世界でそんなことをやってしまうことが致命的だと分かっているからこそ、ローグも処分に抵抗する気がないのだ。 「……遅い」  待ち合わせの時間を既に三十分は過ぎている。  こちらの過失と言っても、嫌がらせで待ちぼうけを食わせる相手だとは思っていなかったのに。そうさせてしまうくらいに怒らせたのか、と気が滅入りそうだった。  指定された喫茶店の天井から、薄い青色の空が覗いている。  陽が強すぎてあまり色を見てとれない、ほとんど白い空だ。  人の気配を無視して、それ以外の何かでも探してみようかと思った時、空を覗く天窓に蒼い鯨のの姿が見えた。 「……あれ、もう修理できたのか」  ほんの数日前に隠していた、あの機体が?  隠蔽もくそもないんじゃないか、そんなんなら。  ブラウンの内装と白い天井を見上げていると、自身が地面に沈んでいきそうな錯覚を覚える。 「呆けているな。そんな立場に居ないだろう、君は」  聞き覚えのある声に意識が戻る。首を戻すと、音も立てずに相手が向かいに座り。  そして面倒くさそうに濁った眼でこちらを睨んでいた。  竦む。  別に攻撃的な態度ではない。大声を上げて威圧するよりも、不快感を常ににじませて接してくる方が厄介だと知れた。 「……もう散々現場で詰られているようだし、ここで殊更責め立てるようなことはしないが。それでも向こう二カ月間の水の供給が怪しくなっている現状は分かっているね」 「はい」 「ここで安易に馘にしておしまいでもいいんだが」 「そうなっても文句はありません」  素直に言うと、殊勝なのは文句もないさと返ってきた。  多数の人の生活に繋がる職業、その意味は誰に言われるでもなく理解している。  資源が潤沢にあった時代とは違うのだから。 「それよりも、他の仕事を任せるでもいいのかもとは思ったよ」 「…………?」  困惑。くじら井戸に他の業務があったのかと不思議だった。  表情には出ていないが、その心情を読み取っているのか。相手は持参していた書類を見せてきた。  十枚ほどの紙束で、表紙には「上昇海流による地球水量減少への検証」と書かれている。 「君には、この問題についての具体的調査を頼んだ方がいいかと思ってね」 「……上昇海流、っていうと」 「この街からでも見えるアレだよ」  空の遠くで常に噴き上がっている水柱。百年以上前から存在していて、知らない者の方が珍しい超自然現象ともいえる、空へ向かう海流のことだ。 「空鯨の潮噴きに似ているから、あの場所に巨大な鯨が居るんじゃないのかって噂もあるくらいだ」 「それを倒して来いと」 「古の英雄譚みたいな話はしていないが……まあしかし、構造は似ているか」  実際に直面してみると、切羽詰まった局面という訳でもない。ただ、それでも緩やかに衰えていく世界というのを知ってしまい、それを当然として生きているのもまた歪だと感じた。 「取り敢えず、任せる。できなかったらその時は―――」  そっちの方が恐ろしいなあ、なんて内心はおくびにも出さない。責任を問われている側の言うことじゃあないと抑え込んでいた。
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