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 真正面から全力疾走で近寄ってくるローグの姿に、アレグリは意表を突かれるがそれだけで。言葉もなく、いるかの口腔から噴き出す水流を彼に向ける。  まともに受ければ抵抗する間もなく流されるのは当然。  ならば受けなければいい、とは言うけれど。砲撃のような速度で水が飛んでくるのを躱すのは至難だ。 「ふっ!」  着弾の二秒前に姿勢を前に倒して足を強く踏み切る。  瞬間的な移動で、攻撃の軌道から外れ。相手との距離を一気に詰めた。  数歩で届く距離と見て、しかしイルカの攻撃は即座に変わってついてくるものでもない。  右の拳を強く握り込み。  示威行為のように大仰に振り上げた。  三歩の間合いで左脚を踏み切り、  飛び上がった体躯を真っ直ぐにアレグリに向かって。  殴りかかる寸前、見たことのある人物が割り込んできた。 (……胡乱!)  ラツィリの姉、らしい女性。拘留場に忍び込んだ時とは違う柄の和装だったが、その派手さが何も変わらない。  その一瞬、気を取られたのは実際、肩に乗っている紫色の狐の方だったろう。 「カアッ!」  狐が吠える。  こいつが持っているなら、きっとヨーマンディの機器の方だ。  先入観だったが、それを確かめる前に。  自分の体躯を何かが通り抜けた感覚を得た。  一つだけでなく、あちこちに。ローグの感覚だけで数を把握することは出来ず、圧し返され動きの止まった身体を、見る前に吹き飛ばされていた。 「……っう、ぐ」  ぬかるんだ地面に倒れ込んで、全身が泥に汚れる。  止まらないのは頭より身体の方だったようで、倒れたと認識した直後に起き上がって走り出していた。 「邪魔だっ!」 「邪魔ァなんはあんただ―――」  来るとわかっていれば止められることもそうないだろう。  事実、再度の狐の威嚇には踏ん張れば弾かれることはなかった。足元が滑って立っているのが難しいが。  まとめて除けようと腕を構える瞬間、狐がとびかかってくる。  それを弾き飛ばしたら、「胡乱」の方が右脚を突き出してきた。  ふくらはぎの部分に禍々しい色合いのフレームが巻き付いている。強化装備か、と察したところでそれを躱せるわけもなく。  両腕で受けて再び間合いが取られた。  エプジオの方はイルカに注意を向けているようで、ヴェンラグーンの突風が何度もイルカの方に撃たれていた。 「ラツィリは、何をしてんだ」  言ってみても、視線を向ける気がなかった。  目の前にいる敵と認識した二人を、潰すことばかりが頭を占めている。  目の色に、「胡乱」は怯んだように反応した。  直後に覆い隠し、嘲笑じみた態度でこちらを見据える辺りの豪胆さは、あまりアレグリには似ていない。 「怖いねえ、んっとに」 「そんな奴を庇ってる愚かさも解んねえか」  ローグの問いには、しかし明確に応えはなかった。ただ「そんなんどうだっていいんだよ、ばかだね」と返されたのは。  行動の是非に関して、意見が合うわけもないと判断しているからだろう。  だとしたら、ローグにしても仕方ないと思うしかない。 「ラツィリを殺そうとしたってのもおかしいよ、自分の身内だろ?」  甘い台詞だと、ぬるい考えだと分かっていても、問わずにはいられなかった。  本当は言うだけ無駄なことはわかっていた。 「……身内ねえ。ただ遠縁だからと駆り出されて、血縁もくそもないってのに? なんにも交流のなかった家庭に放り込まれて、そんなこと思えるっての?」  ただ金で買われた身で、出来ることが他にあるとでも?  買われた。  どうなんだろう、人身売買という形ではないはずだが、何かしらの約束事があって、その間に「胡乱」が居た、ということなのだろうか。  出来ることがなかった。それは、アレグリ、エプジオ、そしてラツィリに、きっとラツィリの両親にも、ひたすら媚びて生きていたなんてことかもしれない。  そこに何の意味があったのか、と考えることもできなかった。  ラツィリも、エプジオも、その両親も。  きっと彼女と同じようにただの道具としてしか扱われていなかったことが透けて見えている。  後ろにいて、今もこちらを見ていながら見ていない、アレグリの表情に。  向こうとて何も思っていないわけがないのだから、そこに口を挟むことはできない。 「……無理だろうな」  呟いて、真っ直ぐに立ち上がる。  不自然に体力が減っていないことに、疑問を持ってはいなかった。  腕に噛みついてくる狐の姿を見ても、何も思わない。  穏便な解決を望んでいないのは、向こうも同じだ。 「殺すとまで啖呵を切ったんだろ。なら、殺される覚悟もあるってことだ」  噛み潰した声色で吐き捨てて、今度こそと拳を振り上げた。  右腕を咬まれている痛みなど構いもせず、狐の身体ごと振り回し。その重量も乗せて全力で拳を叩きつける。  弾かれて、地面に倒れ込んだ「胡乱」は、起き上がってこない。  び、びっ。とエラー音のようなものを鳴らし、狐も動作を停止した。 「……厭なこと、やってるなあ」  感慨にふける余裕もなく、奥に居るアレグリの方に目を向けて。  既にそこには居ないと分かったとき。 「!」  頭上に居る琥珀色から、滝のように水が落ちてくるのを知覚すると同時。 (……捨て駒にしてまで!)  流石に同情せざるを得なかった。
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