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 遠い場所から、ずっとついてくる影が見える。  数キロ離れた状態では、やはり小さな影にしかならないけれど。それでもはっきりと判ってしまう翡翠色のシルエットは、瑠璃くじらの在りようと近いものであることを強く見せつけてくる。 「追ってくるね」 「やっぱりしつこいな。逃がしたらマズいことになる、と向こうも分かってるからこそだけど」  醜い本性、身内に知れていることだと言っても。  向こうには脱走犯を追う、そんな名目を持っていて。  ヨーマンディの名を負って、始末をつけると見得を切っているらしい。  始末。 「およそ自分の孫に使える言葉じゃあないはずだ。ラツィリに非がないなら尚更」 「……。老い先もそうそうないなら、大人しくしていればいいのに」  自分が良ければいいと思うなら、なおのこと。  それ以上に焦りでもあったのだろうかとラツィリが零す。  ローグにその実は分からないけれど、それでも世界そのものの限界を理解しているなら、どこかで誰かにせっつかれていたんじゃあないかと思えはした。  焦っていた。  次世代に置く人物なら、そもそも誰でもよかったはずだ。  周囲がどうでもいいのだから、隠居して改善に向かわせる人物を置くでも構わないのに。 「……無理だよ、そうしたらその次世代は確実に爺を糾弾しにかかるもの。私だってそうする。あの行為全てを白日の下にさらして、公開で断罪するに決まってる」  そうしたなら、きっとヨーマンディという企業が消滅するのも確実だ。  そうでなくとも、現在の世界の中心部に食い込むような立ち位置には居られない。  遅かれ早かれとは言っても。 「やっぱり、畏れているよ。私だってそういう目に遭いかけた」 「そういう?」  文化圏の話。僻地の土地環境を見ている時に、血族根絶やしレベルのことを言っている地域に行き当たったこともあるから―――  平然と言っているラツィリの顔を、思わず覗き込んだ。  さっきからローグが風を遮る形で、ラツィリの背中側にぴったりと寄っている。そこから両腕を前に持っていって、白衣を風に晒しながら乾かしていた。  上から逆さに見える表情に、色はない。  記憶と感情を切り離して、ただのデータとして口にしている様子だった。 「……。心配してる?」 「しないやつが居るのか?」 「それはいるでしょ。そう思えないなんて、人が好いね」  じゅんすーい、とか揶揄われると。それは違う気がした。 「それくらいに、ヨーマンディを嫌っている人も見てきた。だから爺のことが露見すれば、確実に暴動になるよ」  体制自体は死ぬまで変えたくない。  同時に対策しているように見せかけることも続けてきた。  外面のいい人なんだ、とラツィリは囁く。 「私も、兄貴も、たぶん両親も。そういう生き方はできない人だよ」  融通の利かなさが揃って似ているみたいだから、当然だよね。  伝聞が混じっているのは、両親のことなのだろうけど。  そこまで無感情に話せるところに、なんとなく思えるところはあった。ローグにしたって、経緯は違っていても似たようなものだったから。 「姉貴は、その為の保険でもあった気がするよ」 「そうか……」 「中身はどうあれ、見た目が綺麗だから。それだけで有用ってのもあった気がする」  分析なんてするまでもない、そんな言いようだった。  諦めているとか、考えたくないとか。どこかで投げ遣りになっているような。 「……。」 「なんか変なこと考えなかった?」 「え、いや」 「同感だよ? 姉貴がなんかいかがわしいことしてるって、なんとなく勘づいてた」 「そこまでの確信はなかったけど……?」  ぼんやり、何かあったのかもくらいにしか思っていなかった推測を勝手に肉付けされると、ちょっと嫌な気分だ。 「止められる力は、私にはなかったな」  遠い回顧に、ローグは何も言えない。  碧い鯨の姿は、徐々に近づいてくる。  それよりも進行方向にある上昇海流の圧力が勝っていて、どっちに注意を向けているべきなのかを考えあぐねていた。 「……あれをどうにかする手段が、あるんだよな? 本当に、できるんだよな?」 「まあね。任せなさいよ、私のことが信用できないの?」  そういう訳じゃあないけど、と応えるも。  地球に喧嘩を売るような行為で信用も信頼もあったものじゃない、と思うのは当然だと考えていた。ナッヂァは、遠い昔に「それは自殺行為ってんだよ」とばっさり切り捨てていたはずだったが。  まだ数百キロは離れているはずなのに、重低音が腹の底に響いて少し苦しい。 「ん?」  後方からずっと尾けてくる金緑くじらの周囲に光が灯っていた。  青色、それが緑色に変化しているように見えて。 「ラツィリ、来るぞ!」  言うと同時に、青色の光がこちらに向かって飛んでくるのを見た。  ローグも見たことがある。高圧散水機の発する指向性のある水、あれは機器によってベクトル情報を付加しているから、青く発光しているように見えるのだ、とラツィリ自身が解説していたのを覚えている。  ベクトルを弄れば、水を使った砲撃なんてことも簡単にできる。  ヨーマンディが隠した機器の扱い方。  巧妙とは言いがたいが、誤魔化し続けられているのは事実だ。 「……こっち!」  目視で軌道確認、予測した瞬間に鯨が位置を変える。  少し上に昇って、複数のラインを描く青色の砲撃をすり抜ける。 「っと⁉」  すぐ近くを通る青色の光を追いかけて、不規則に発光する黄色の電撃が通っていった。  光が混ざって緑色に見えているのか。  そんな納得の後に割り込んで、次の砲撃が来ようとしていた。 「ローグ、こっち来て。危ないから」  言いながら手を引いて、後ろに立つように指示を出した。  言われるまま、されるままに両腕を掴まれて、両足を開いて足場を整える。 「固定してくれる? 軌道を見て動くなら、重心を安定させたいから」 「分かった」  くじらの上に操縦席なんてあるわけもないから、こうやって固定するしかないというのは確かに理にかなっているのか。 (人間コックピット?)  内心で思っても口には出さなかった。  口に出したところで、うるさがられて終わりだろうが。 「踏ん張って」 「足場がこう柔らかいとな」  文句はあれど、それでもやるしかなかった。  ぐわんぐわんとくじらが揺れ続ける中で、今までにないほど酔いそうだと感じる。  後ろに居るから表情は見えないけれど。  どうしてかラツィリの気魄が感じられる。初めて見るくらいの漲り方は、意味があまりわからなかった。 「立っているより膝をついた方が良いよ」 「そうだねー!」  どれほどの時間こうしていればいいのかは、分からない。  目的地に着くまで砲撃が続くのだと考えれば、長丁場になりそうだと目が眩む。 (それはそれで、ラツィリを支えることになるのか) (抱きしめるのとは、なんか意味が違うけど)  そんなことを言えるわけもなかった。  場違いにもほどがある。
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