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 激しい光の点滅で視神経がやられそう。  そう考える頃には、金緑くじらの砲撃は収まっていた。  何時間経ったのかもわからない。もしかしたら日を跨いでいるのかもしれない。  頭の中に重くのしかかる疲労のせいで、思考もまとまらないままだ。  気付けば、瑠璃くじらは極端に速度を落として海面をゆったりと進んでいた。 「……。……う」  ローグの身体にもたれかかって、ラツィリが眠っている。  器用にバランスを取って寝落ちしているものだから、その変化に気付かなかった。  自身も少しつつけば意識が落ちそうになるのをこらえていて、その一点で耐えているのだから、その様子を見てしまうと一気に力が抜けていくのを感じる。 「……向こうは」 「爺の方もこんな夜中にまで追い続けるなんてできないよ。まあそれでも結構長い時間粘ってたけどね」 「ならいいか」  後ろから聞こえたエプジオの声にはよどみがない。  眠気が来るような時刻、延々と気を張っている最中だからか、脳が昂揚していて眠くはないのかもしれない。  ローグ自身は瞼が重いし、視界も霞んで何度も瞬きを繰り返しているのに。  くじらの光が淡く蒼い、その周りで赤く漂う綿毛と混ざり合って異様な色合いになっている。禍々しさを感じる灯火に囲まれると、墓地に居るような感覚を覚えた。 「……逃げてきているな。本当はもっと海流に近い場所に居る鳥なんだが」 「これ、地元の町にも来てたけど。どういう種類なんだ?」  シラエワタ、とラツィリが呼んでいたが。  それが本当の種族名かも知らないでいた。 「フォノクス・ルーレグリズ。これでも不死に近い鳥なんだよね」 「不死? フェニックスみたいなやつかな」 「まあ近いかな。どこかのクラゲと同じように、幼体と成体を行き来するタイプだけど」  そういう種がいるのか、とローグは驚いた。  聞いたことがない、というのもあるし、巻き戻りを自分自身で行える異様さにも違和感が大きい。 「まあ、この海域に居るものだから。毎年無数の個体が海流に巻き込まれて宇宙に放り出されるんだけどね」  そうなると生きていられないのは確かだから、と笑っていた。  こんな環境で生きているのも不思議だとは思った。逃れる気がないのか、他の場所ではほとんど確認されていないらしい。 「縁起のいい生き物だよ。幸運の匂いに寄ってくるとか、よく言われる」  幸運。  ラツィリをあまり怖がらないように見えたけれど。  そういう意味だったのか、と考えたがそもそも俗説でしかない。 「……ラツィリが眠っているならしかたない。ぼくの方で動かすから、君も休んでおいて」 「動かすって」 「ヴェンラグーンは空気を動かすんだって知っているだろう? くじらをそれで牽引するだけだよ」  あまり速くはないし、うるさくなるだろうから―――と言いかけて。  ローグの方も眠ってしまっていた。  それを見ながら、エプジオは「ほんの数時間だ」と呟く。  波の音に隠れた敵の声を、龍の作り出していた乱気流で遮っていたのを二人は知らない。 「…………」  耳を衝く衝撃に、どうしても意識が保ちにくい。  金緑くじらの起こす大波を凌いだ後に、こちらに向かって突撃してくるイルカを躱そうと後退するラツィリとは対照的に、ローグは前に踏み出して琥珀色の塊を受けて立っている。  まだ小さいとは言っても、瑠璃くじらの前に同じ仕事を為していた機体だ。  人の身でまともに相手ができるものではない。 「……っあ!」  それでも、正面からくるイルカの攻撃を、上方向に逸らすくらいは可能なようだ。  同時にローグ自身も吹き飛ばされて、時折ラツィリが受け止めていた。 「平気?」 「…………」 「そっか」  応えずに立ち上がり、イルカが旋回してもう一度向かってくるのに合わせて走り出す。くじらの不安定な足場にも慣れたのか、地上と変わらない速度で走り回っていた。  そこに再び金緑くじらの起こした波が届いた。  普段の波とも時化の荒れた波とも違う、津波と同様の水の塊。 「あの動き、向こうだって分かっててやってるな」 「そうでないなら、よほどの蒙昧ってことだよ。最初からベクトル操作なんてわかりきって無視しているんだ」  爺は本当に、とぼやくラツィリの後ろから。 「昇らぬ滝の迂遠」  妙な言葉に合わせて、ヴェンラグーンの体躯が動く。  咆哮、突進、更に回転して圧縮した空気を放出しながら伸び上がる。  飛ばした空気で波を遅らせ、歪んだ力場の隙を突いて波の力を削ぎ、乱れた波を自らの身体で四方に散らす。 「いない……潜っている⁉」  目立つ琥珀色が視界に居ないなら、潜水を疑い。  反応したローグは振り返りざまに走り、ラツィリの首元を掴んで引き寄せ、直後に瑠璃くじらの前方から姿を見せたイルカから隠すように立ち塞がる。  噛みつく、と威嚇してきた相手に。  ローグは全く怯まない。  それよりも、全身に走る嫌な痒みを抑えたいと暴れまわっている現状、恐怖心が麻痺しているからこそ。 (……痛覚で上書きでもしないとやってられない……)  内心が漏れない、代わりに大声で吠えていた。  イルカが横に回り、尾ひれで薙ぎ払う。 「……っ、ぐぁ、ぁ」  圧倒的な質量差があるくせに、その攻撃を受けきっていた。  左腕で受けている。両足も瑠璃くじらの体表に深く食い込んで、表皮の素材が破れるのでは思うほどに張り詰めていた。  全身で衝撃を殺しきり、一秒の間にその尾を両腕で抱き込むように掴み上げる。  イルカが、対応しない。  その辺りの行動に反応する術を持っていないような。 「パターンを設定してない? それとも処理に迷って動けていない?」 「ぐ、ぎぎ」  ローグにそんな言葉は聞こえもせず、抱えたイルカの身体を振り上げる。  体重とか、密度とか、そんなものを全部否定するかのように。  垂直に伸びるような角度にまで持ち上がっていた。 (……、エーテル素子の影響が、これほど!)  真後ろで見ているラツィリは、光景の異様さを畏れず。あまつさえ興奮したように口角が吊り上がっている。  自分で仕掛けたことの結果に、想定以上と驚くのもあり。  そして、人の可能性をこじ開けるような手法の危うさも感じ取れる。 「ローグ。そのまま支えて!」 「…………っ」  応じないが応えている。  動きが止まったイルカに対し、ラツィリは手元の端末で強引にCPUにアクセスした。すぐ近くにいる為か、検出が早く。  即座に割り込みが可能だった。 (……なんでこんなところが甘いんだよ、あの爺は)  管理者権限を得るためのパスコードが、運用停止時から変更されていない。  神経質なまでにセキュリティを気にするアレグリにしては、不可解ともいえるミスだと感じた。  この時代で、この世界で、そしてあの立場で。  まさかこんな抜け穴を見逃すようなレベルの無知だとは思えないのに。 (師匠の使っていた設定のまま、だと不自然だ。かといって変更の手順が分からなかったなんてのも考えにくい……物理的に損傷でもあったというなら、その限りではないのかもしれないけど)  整合性の取れない現象。  その考察はいったん後に回して。  侵入したシステムから自分以外のアクセスを蹴って、そのまま自分に権限を移す。 「暴れないで、外していいよ」  言われるままに、ローグは両腕をイルカの口元から外した。  警戒しつつゆっくりと後ずさり、ラツィリを庇う立ち位置のまま、睨み据える。  ローグの昂揚を宥めるように、「もうこっちのものだから」と声をかける。 「…………、」  息が荒いまま。ローグの腕は行き場をなくして、自分の両腕を抱えて掻き毟りはじめる。
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