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「……そろそろ、終わりかもね」  うっそりとした口調でラツィリが呟く。体調は全快とは言えないし、これ以上無茶を重ねたら死んでしまってもおかしくない。  それでも、ここで本当にやりたかったことを果たせないよりはずっとマシなことなのだと知っていた。 「琥珀いるか、師匠の遺したものの意味は、そういうことなのかな」  偶然だったとして。それを当然と感じてしまうことも、考えすぎだ。  こうやって戻ってきただけで、あるべき形に収まったと感じる。  断ち切る。  言って、身体を無理矢理に動かした。  足元が覚束ないのは、自分自身が変容しているからだ。焼けるような発熱なんて、今は気にならないくらいに内部の熱が強い。 「先ず」  口にしない指示に応じて、琥珀いるかはきゅるきゅると駆動音を鳴らす。  本当の鳴き声のようだと頭の片隅で思った。  水圧で潰れるかと思った。  ローグの思考は割と早く戻ったようで、しかし全身の感覚が痺れている。  本当は手足がもげているんじゃないのかと思うくらいに、ぼんやりした四肢の動かなさに苛立ちもあるが。  それでも動かなければ死んでしまう。  強引に立ち上がり、しかしそこまでで動けやしない。  霞む視界の先に映るアレグリも、しかしこちらに向かってくることはなかった。  足場に叩きつけたのが、多少は効いているようだ。  時間があるならと、ローグは呼吸を深く三回。  それである程度戻りはするけれど、気休めに変わりない。 「……、どうして」  意味もなく出てきた言葉、その問いかけの真意をアレグリは何度も受けてきたと言いたそうに受け止めて、小さく鼻を鳴らした。 「純真。お前のような奴には分からんよ」 「そうかい。ならいいや」  きっとそういうものだ、と。アレグリがナッヂァの何を許せなかったのか、それはラツィリたちも知ることのない部分だ。言わないならそれでいいし、教えられたところでもう遅いとしか言えない。  手遅れになったとして、それでも切除くらいは出来る。  それしかなくとも。  ローグは脚を踏み出す。死にそうになっていた一分前よりも身体が軽い。  修復機能、超回復?  自分の感覚がズレているように感じたのだ。 「……、だっ!」  真っ直ぐ、跳んでいった。一度の踏み切りで数メーターの間合いを詰め切り、側面に構えた右の拳を内側に捻って打ち込む。  力が強く徹った感覚。  抵抗なく、すり抜ける手応えの無さは寧ろ限度を超えたようにも思えた。  アレグリの腹部に抜けた拳打、それを無視しているわけでもないのに、姿勢を崩しもしない。なんだこいつ、という違和感が真っ先に出てきて、直後に手首に走る違和感。 (放電!)  全身に拡がった痛み、それが足場に向かった抜けていく不快感。  そのままで受ければ神経が焼けて動けなくなるくらいの流量の筈なのに、それでもローグは押し当った拳に自身を引きつける形で潜り込んだ。  脚を思いきり踏み込んで。  その力をロスなく腰、胴、肩、腕へと流し。  わずかに上の方向、体躯が浮かび上がるように突き出した。 「――――、」  アレグリの眼が、何か違うものを見た。視線はローグに向いたまま、焦点距離が変わったのだが。  それは一体と思う間もなく。  後ろから飛んできた琥珀色に姿が掻き消えた。 「イルカ、が」 「隙ができたからね、一気に終えたいんだ」  ラツィリの声に、ローグは間に合っていたと感じた。  しかしイルカの上には違う人物の姿がある。ラツィリの姉だと言っていた女性だとローグは認識していて、そう言えば名前を知らないままだったなと思い出していた。  その肩には以前にも見た狐の姿がある。  狐の口から撃ち出される指向性音響の砲撃。  爆発音めいた音量から撃ち出される衝撃波の塊は、空気砲のその先とも言えるだろうが。 「……ぐう、うううう」  それを指示するファラミューの方は苦しそうに歯を食いしばって唸っていた。  表情には苦みに似た色が浮かんでいる。  戦闘によって全員が水に濡れていて、悔し泣きにも見える有り様だったが。  アレグリは声を上げることもなく、その攻撃を全て受けている。爆風を伴わない以上、体躯を吹き飛ばすようなことができないが。  それが数分続いた後、倒れ込むアレグリが口を開いた。 「自らが不利と見た途端に鞍替えか……、」 「当然だ、あんたについてた方が安全だったから、与してただけ。殺されると見えたらそんなとこから逃げるもんよ」 「無様な。こちらに居た現実は変わることもない、生き延びれば死ぬより苛烈な未来があるだろうと読めるだろう」  ファラミューはもう一度声を撃ち込んだ。 「……ふざけるな、とっくに死ぬほど苦しいんだ、あんたについていようが背ぇ向けて生きようが、あたしの家族は帰ってこない」  人を玩具みたいに扱いやがって。  噛み潰したような歪んだ声。歯茎から血が出ているのかと思うくらいに強く顎を噛みしめていた。 「あんたに媚びんのも厭になってたんだ、殺したいと常々思ってた」  あたしの家族だけでもないんだろ、と一瞬だけファラミューの視線が後ろに向いた。  その先に瑠璃くじらの上で立ち竦んでいるラツィリと、金緑くじらの起こす大波を抑え込むエプジオがいる。  嫌っている相手であっても、決して同情できないわけでなく。  嫌う理由が明確であれば、逆に共通する問題をはっきり認めることもできる。 「どうあっても、変化を畏れた時点で不適格だろ? あんたはそこに居たらいけなかったんだよ―――だから」  諦めて死んでくれよ。  投げ遣りで、か細い声だ。  振り回されてばかりで、自分の行動が不正解しかない、そういう過去を省みたからだろうと後ろから見ていたローグが思った。  思って、それで。  やはり不自然だった。  それが何なのか、見当はつかないけれど。
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