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「ローグ、ここは君の実家?」 「ん? 違うけど。爺さんが住んでたところに俺が居候してただけだよ」  今は住む権利を受け取って、ここにいる。  実家とは結構疎遠だ、五年くらいは連絡すら取っていない。  そう応えると、ラツィリは形容しがたい表情を浮かべている。なにか思う所でもあるのだろうか。  居間に置いてある本を開いていて、その本で口元を隠してしまって。 「(ナッヂァ・ミノラーレの生家、なのかな)」  何かを呟いたがローグには届かない。  不思議そうに見ていると、「別にー」と返ってきた。 「男の家に連れ込まれるとか、初めてだからさ」 「…………、…………」 「嫌そうな顔したのはどうして?」  そういう目的だと思われていたら心外だからだ、と言い返しそうになったが。ここでむきになって言い訳をしてもそれは逆に信憑性が増すのでは、と考えて立ち止まった。  それ以上に、しばらく生活が怪しい現状では浮ついたことを考えていられない。  生きていくために動いている、今はそれだけだった。 「……訊きたいんだけどさ。ローグはこの家で琥珀色を見たことある?」 「琥珀? さあどうだろうな、昔のことはそんなに憶えてないよ」 「そっか、ならいいんだ」  掃除に戻ろうとするローグにひらひらと手を振って見送られた。変な質問だったと思う間もなく、ローグも意識を次に移していく。 「いまはもうないのか。見られると思ったんだけど、仕方ないな」  おそらく本棚の中で、ローグが全く手を付けていない本を読みながら考えていた。  遠く離れた場所の言語で書かれた古い書籍。  神代とも言える時代の幻想混じりな技法書だった。そもそも古すぎて一部の学者くらいにしか解読できないようなレアなものが、平然と民家の居間に置かれていることが奇跡的だが。 「それでも影響が大きいから、今でも私の基本思想になってるし」  右の手首にぶら下げたボール。  その中に入っているくじらの動かない姿を捉えて、奥歯がきり、と滑る。  不快な感覚だった。 「少なくとも、あの爺婆とは違う」  逃れられない両親も、どこかでそう思っているはず。希望的観測でも、そう思わないとやっていられない。 「うるさくなるだろうけど、赦して」 「いいよ、きっと大したことないから」  夜中にそう言って工房に籠るラツィリ。そこまで大音量で作業することがあるのかと思っても、当事者でない以上何とも言えなかった。  ローグの祖父が夜中に作業している時も、上に居る時は重低音と軽い振動が伝っていたくらいで、迷惑な騒音なんて感じたことはなかった。  あまり下手に出られるのも困ってしまう。  どうせ協力関係になるほかないのだから、機嫌をうかがうこともないはずだ。 「互いにやるべきことがあるだけなんだからさ」  夕食を用意していたのに、少し驚いて。  そしてありがたくて、食べている時に少し泣きそうになっていたのはバレていないようだった。  どうして泣きそうだったのかは、自分でもよくわからないけど。 「…………もう少し上の方も整頓しとくかな」  深夜になってまですることじゃないとすぐに思い直したけど。  でもまあ、悪いことじゃないはずだと納得していた。 「ラツィリ・ヨーマンディね。覚えはないけど、知ってる気はする―――」  くらりと頭が揺れる。  眠気に頭を殴られたような感覚だった。  疲労感にまとわりつかれるまま、自分の寝床に潜っていった。
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