今宵、シャノアールで

4/11
前へ
/11ページ
次へ
 ぎょっとしたけど、よく見ればそれはとても精巧な着ぐるみっぽい。  私より大きな黒猫は二本足で立ち、いかにもバーテンダー然とした白いワイシャツとカマーベストを着ている。目は青。アクアマリンみたいな薄い青だ。  そういえば何年か前、どっかのお菓子屋にいるリアルな猫の着ぐるみスタッフが超人気みたいなネット記事をみた気がする。  つまりこの店はその二番煎じか。ちょっとめんどくさそうなとこ入っちゃったな。  やっぱり帰ろうかと躊躇する私に、猫はやたら大きな声で再び「いらっしゃいませ」と言う。  二回聞いて確信したけど、その声もまた偽物だ。AIかなんか、機械の音声をなめらかに喋らせている感じ。 「どなたもどうかお入りください。けっしてご遠慮はありません」  ありません?  AIの出来が悪いのか、全体的に古めかしい。というか、微妙に変な言い方だ。 「お客様、ここで髪をきちんとして、はきものの泥を落としてください」  何で。  戸惑う私に猫がうなずく。いや、うなずかれても意味がわからないし。  今気づいたけど、距離に比して猫の声が大きいのは、すぐそばのカウンター上にあるタブレット端末からセリフが聞こえるせいだった。喋った語句もリアルタイムで表示されてる。  なんだこれ、全然店の雰囲気に合っていない。  その横には、こちらも店にそぐわないラーメン屋のニンニク入れみたいな茶色い壺が置いてある。 「壺の中のクリームを手や顔にすっかり塗ってください」  いや、だから何でよ。  と思いながら、あ、これ「注文の多い料理店」だわ。と気がついた。文字で見るとわかる。宮沢賢治の、料理を頼むつもりの客が店側の注文に答えていくと自分が化け猫のエサになってしまいそうになる話。  これを教えてくれたのも瑠奈だった。私は犬派猫派的なやつでいけば鳥派だったし、本もあまり読まなかったけど、読書好きで猫好きな瑠奈はそんな話をよくしてたから。そういえば「黒猫は遺伝子的にみんな黄緑から黄色っぽい目なんだよ」とも言ってたっけ。  その点、ここの着ぐるみは目が青だ。なんだ、この店。コンセプトあるならちゃんとやれよ。仕事が中途半端だな。  
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加