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繫華街から脇道に入っていくと、観光客はほとんど来ない喫茶店がある。この「喫茶クロエ」が私の城だ。ここに店を開いてから三十年近く、こだわりの珈琲を提供してきたこの場所は、様々な人生ドラマの舞台となっている。今回はそんなドラマの一場面を紹介しよう。
最初の話として私が選んだのは、ありふれた若者たちの青春の一ページである。
あれは開店してまだ二年目のことだ。
夕暮れのオレンジ色が店内を優しく照らしていた。この時お客様はなく、私はカウンターでグラスを磨いていた。そんな中、カランカランと店の扉に付けられたベルが鳴って来客を知らせた。
「いらっしゃいませ」
私は入店してきた二人組に声をかけた。二人はブレザーの制服を着た高校生のカップルであった。
「こんにちは」
入口の所で立ち止まり、男性の方が私に会釈をしながら挨拶をする。女性は両手で鞄を持って男性の斜め後ろに立っていた。
「お好きな席へどうぞ」
私の言葉に男性はまた会釈をして、女性と共に窓際の角にあるテーブル席に座った。二人は緊張しているのか、向かい合っているものの俯き加減だった。私はメニュー表をテーブルへと置いて、
「お決まりになりましたらお声がけください」
と伝えてカウンターの中へと戻った。男性がおずおずとメニュー表を手に取って、女性の方へと向きを変えると、
「何にする?」
と問いかけた。女性はメニューに視線を下ろしながら、
「稲葉くんは決まっているの?」
と男性に聞いていた。稲葉くんは頷いて、
「僕はブレンドにするよ」
と答えて女性に笑いかけていた。女性は少し悩みながら、
「それじゃあ私も同じので」
とメニューを決めた。稲葉くんが私を呼んでオーダーを伝えると、私はメニュー表を受け取って珈琲の準備をする。二人はまだ言葉少ない様子でお互いがチラチラと顔を覗いては俯いてを繰り返していたが、珈琲の強い香りがカウンターから流れたのか一緒にこちらを見ると、私がサイフォンの上部に設置されたロートの中を撹拌する様子を興味深そうに見ていた。そして約一分後、私は出来上がった珈琲をカップに注ぎ、二人の前に置いたのだった。
二人は珈琲の香りを楽しみながら、いい香りだねと微笑みあった。そして女性が稲葉くんに問いかけた。
「稲葉くんはお砂糖っていくつ入れるの?」
「僕はブラックでいいよ。綾部さんは?」
「私もこのままで」
二人はカップを手にすると、視線で合図をするかのように同じタイミングで口を付けた。すると稲葉くんは一瞬だけ顔をしかめたが、すぐに笑顔になって綾瀬さんに声をかけた。
「美味しいね」
綾瀬さんはその言葉に微笑んで頷いた。
「ええ、とっても。こんなに美味しいのは初めて」
綾瀬さんはそう答えてから再びカップに口を付けた。それから二人は緊張が解けたように楽しそうに会話を楽しんでいた。
それから一時間弱だろうか。外は大分暗くなって街灯が夜道を照らしていた。
二人は惜しむように席を立って、私にお会計をと声をかけてきた。そして私はお釣りを渡す際に、この可愛らしい二人に微笑んで言った。
「よろしければ、またいらっしゃってください。うちの珈琲はチーズケーキと良く合いますよ」
私の言葉に綾瀬さんは笑顔で頷いて、
「素敵な雰囲気のお店ですね。ぜひまた伺います」
と答えた。そして綾瀬さんは稲葉くんに向いて、こう言ったのだ。
「今度来る時はミルクやお砂糖を入れてね。美味しく飲みましょ」
稲葉くんは少しバツが悪そうに頭を掻いて、はにかんで頷いたのだった。
それから、二人はよくお店にいらっしゃるようになった。ある時は珈琲を飲んで楽しそうに話し、ある時は共に試験勉強をしていく。高校を卒業するまでであろう二年近くをうちの店で過ごしてくださった。
そして現在。
二人は姓を同じにして、度々ご来店いただいている。あの頃からずっと変わらず、旦那さんは砂糖を二つ、奥さんはブラックで私の珈琲を楽しんでいる。時にはお子さんを連れて来店されたが、それはまた別の話だ。
この方々は、私と、この喫茶クロエの歴史に寄り添う大切なお客様である。
完
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