これが愛だというのなら

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川に沿って植えられた桜の花びらがはらはらと散り、流されていく。 (はないかだ、って言うんだっけ) 憎い、好き、と意味の分からない花占いをしてみたけれど、散る花びらの数が多すぎてやめた。ぼうっとしながらフェンスに手をかけると、思いのほか大きい音がして驚く。 ざり、ざり、ざりという足音のあと、肩に手を軽く添えられた。 「今日で6年ねぇ。お父さんが亡くなって」 母は穏やかな顔で言った。どこか遠くを見ているような顔。昔を懐かしむようなその表情に、なぜだか少しいらだちが沸いた。 従わせられない感情を振り切るように、フェンスから勢いよく手を離して言う。 「さくら、供えようよ!さすがに今咲いてるのを切るのはもったいないから、いい感じの枝拾ってさ、お父さんきっと喜ぶんじゃない?」 母はう〜んと悩ましげに呟く。 「落ちていたものをお供えするのはねぇ。今咲いているのを切るの、ここのルールだと数本までなら大丈夫だったわよ」 母の言葉を聞いて、瞬間的にカッとなった。 「死んだもののために生きてるものを殺すのってどうなの?お父さんはお花大切にしてたし、笑って許してくれるって!」 ちょっと、不謹慎よ、と言いながら母はふふふと笑った。 「いいかもしれないわねえ。そうしましょうか」 気持ち悪かった。 私の私に気が付かない母も、死んだ父も、私の私に知らないふりをして明るく振舞っている自分も。 父の死因は自殺か他殺か事故か、分からなかったらしい。酔った父は、屋上から転落して死亡した。その日は屋上でビアガーデンが開催されていて、そのビルの屋上が信じられないくらい賑わっていた、らしい。 父が足を滑らせ落ちたのか、誰かに押されたのか、はたまた自分から飛び降りたのか。現場検証や検死では、判断がつかなかったそうだ。 当時周りにいた人も、人混みのせいで分からなかったと言っていた。 父は転落死として処理された。酒に酔っていたから、実際そうだったのかもしれない。 でも、 父のタブレットから、手記が見つかった。死んだ日とは関係の無い日付だったから、大きな出来事を書く日記のようなものだったけれど。その内容は衝撃的だった。 娘から酷い言葉を言われた。もう死んでもいい。私が居なくなって精神的にも経済的にも困ってしまえばいい。 いつまでこんな生活が続くんだろう。消えてしまいたいと強く思う。 父の言葉には、私を傷つけるのに十分な悪意が篭っていた。転落死だと思いたかった。酒に酔っていて、足がもつれて死んだ。そこに、自ら死ぬという意思はあったのか。考えたくもない。私のせいじゃない。これは完全に虐待だ。明確な敵愾心が私の心に突き刺さる。死んでからも苦しませる。死んだから苦しめられる。私が悪かった?私のせいなんて、思いたくもない。 どうでもいいと、忘れられたら良かった。あんな人知らないと、そう言いきれたら良かった。 でもそんなことは不可能で、きっと桜が咲く度思い出すのだ。 生きていた私は言葉で父を殺し、死んだ父も私を言葉で蝕んでいる。 私たちの間に横たわるのは、憎悪なのか愛情なのか。 私が父を切り捨てられないのは、父の言葉が私を切り刻み続けているのは、なぜなのか。
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