アンフェアの零

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「は? なんだって?」  と聞き返さなかった自分、よくやった、と穂高は拳を握り締める。  一般人には到達し得ない絶望の淵にいるらしき彼を励まして、とりあえず二人、映画館を出た。  近所に出掛けて知られるのは上手くないし、字幕版がいいという彼の希望もあって(シネコンでは今や吹き替え版が主流だ)地元からは離れた館に来ている。おかげで土地勘がないが、ひとまず二人で手近なカフェに入った。  元々、地元や本拠地以外ではほとんどそれと気付かれない穂高だが、さらに今はすっかり『彼』のツレ、どころか影である。苦悩するイケメンは大変絵になる。カフェの店員さんとお客さんの何割かに振り返られていたが、それもいつものことだった。 「……大丈夫?」  念のため声を掛けてみるが、返事の代わりに彼はなんでもないと手を振った。まあ、確かにショックを受けているようではあるが、鑑賞直後よりはだいぶん目ヂカラも戻っている。  穂高は軽く息を吐いてから、さて、何から訊けば……4秒迷ってから、まずこれから始めた。 「アインシュタインに式を突っ返される、ってどういうこと?」  たしか、映画にもそういう場面があった、とは思う。水辺で主人公と白髪の老人が話しており、その老人こそが彼のアインシュタイン博士だという。  暫くの沈黙の後、 「……神はサイコロを振らない」  彼の低い声はそう聞こえた。 「えっ?」 「アインシュタイン博士の言葉、といえばそれだ。観測される現象が偶然や確率に支配されることもある、とした量子力学を批判したものだ」 「偶然? 確率?」  穂高の物理学の知識はせいぜい高校の授業までだ。それさえだいぶ怪しい。彼の話を色々と聞くうち、そこそこ詳しくなった部分もあるが、しょせん耳学問である。  ただそれでも、物理=もののことわり、世界は式で表せる、のだと思っていたのだが。  偶然に左右される〝世界〟があるということか? 「そうだな、物理とはつまり数式で、この世界は数式で出来ている、と考えるのが古典力学だ。原因があって結果がある、つまり因果律に従う世界」  穂高の思考を読んでか、彼はそう受けた。 「一方、古典力学と相対するものとして発生した量子力学は……大雑把に云えば、観測行為や、自然現象などの不確定要素を含む確率的な現象を説明するものだ。技術革新で、実際にこの地球上で観測できるものを増やした結果、」  我々は、古典力学では予測できない現象が、実際には観測されることに気付いた。
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