<4>正直の頭に神は宿る

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<4>正直の頭に神は宿る

 忙しかった四月の疲れを取ろうと、目覚ましもかけずに眠っていたゴールデンウィーク初日、派手な水音で目が覚めた。  侑斗が草木の世話をするのは午前十時と決まっている。もうそんな時間なのかと携帯を確認すると、七時半を過ぎたばかりだった。  学生の分際でサラリーマンの休日を邪魔するとは。文句を言うため居間へ行くと、縁側の硝子戸が全開になっていた。 「侑斗ー?」  ホースを操っていた人影が振り向く。目が合った瞬間、欠伸が中途半端に止まってしまった。  淡い鳶色の髪に、白い肌。もしここが聖堂だったら、天使と勘違いしてしまっただろう。  それほど、目の前の青年は美しかった。 「おはよ。侑斗なら買い物行ったよ」  ホースを雑に片付けながら、天使が言う。 「…そう、ですか」  侑斗の草履を脱ぎ捨て、天使は勝手知ったる態度で居間の椅子に腰かけた。そこ俺の場所です、と言うのも憚られ、侑斗の席へ腰を下ろす。 ──いや、どちら様?  あまりに堂々とした振舞いに、問いかけるタイミングを見失ってしまった。 舞紘より数歳年上だろうか。名前くらい聞いてみようと口を開いた瞬間、玄関から侑斗の声が響いた。 「瀬名(せな)さん、水やりしたの?」 「したー。エゴの木、今年も良く咲いてるね」 「ちゃんとホースの水抜いてくれました?…舞紘、起きてたのか」  駅前のパン屋の袋を抱えた侑斗が、居間にそろった二人を見て目を丸くする。 「侑斗、飯」  瀬名と呼ばれた青年は、頬杖をつきながら欠伸交じりに言う。身だしなみが整っている二人を前に、寝起き姿でいることが恥ずかしくなり、こっそり席を立とうとした。 「君も一緒に食べよーよ」  子供の様な瞳で見つめられ、二度寝します、とは言えなかった。  私服に着替えて居間へ戻る。二人は台所で支度をしているらしく、会話が漏れ聞こえてきた。随分親しそうな雰囲気だ。  居心地の悪さを覚えながら待っていると、侑斗が三人分の食事をトレイに乗せて運んできた。卓上に置かれた皿を見て、あれ、と思う。朝はいつも和食だったのに、並べられていくのは洋食ばかりだ。 「侑斗のオムレツ、食べたかったんだよね」  どうやら瀬名のリクエストらしい。昨晩余らせた味噌汁に冷や飯を入れて食べたかったので、内心がっかりした。 「だからって朝からパシらせます?パンくらい自分で買ってきてくださいよ」  侑斗の小言など一向に気にせず、瀬名はクロワッサンをむしり始める。 「あ、まだ名乗ってなかった。瀬名玲(せなれい)です」  オムレツを運んでいたフォークを下し、「高椿舞紘です」と会釈をする。 「…高椿?」 「はい」 「聞いたことあるな。なんでだろ」  考え始める瀬名に、侑斗が何か言おうとする。 「一応、プロのスポーツ選手なんです。時々雑誌とかも出させてもらってたので、それでかもしれませんね」  割って入るように説明したのは、侑斗に嘘の片棒を担がせたくなかったからだ。 「へえ、そうだったんだ。華奢だし、日焼けもしてないし…なんの競技やってたの?」  瀬名の視線は手元のサラダに釘付けだ。もう少し反応が欲しかった舞紘は、袖をまくって細やかな力こぶを披露した。瀬名は変わらず興味を示さなかったが、何故か侑斗がじっと見てくる。 「走高跳です。筋肉は必要ですけど、細い方が有利なんですよ。日焼けは体質ですね。俺、雪国の生まれなんで」 「雪国」 「侑斗と地元が同じなんです」  何故かその瞬間、瀬名の眼差しの温度が一段下がった気がした。気のせいだろうかと侑斗の様子を伺うと、こちらもどこか不機嫌そうだ。 「もしかして、君がここに住み始めた子?」 「はい」 「侑斗とどの程度の知り合いなわけ?」 「高校が一緒で…」  言い終えるより先に、瀬名はフォークを皿に放り投げた。 「侑斗。お前、脳みそ溶けたのか?あほすぎるだろ」  急な暴言に固まる舞紘を余所に、侑斗は「俺の勝手でしょ」と応じる。  ──俺、なんかまずいこと言った?  場の空気の変わりようについていけない。高校の同級生、地元が一緒…どれも当たり障りない話題のはずだ。 「…走高跳ね。あー、なんか思い出してきたわ」  不穏な言葉に、とびきりの笑みを向けた。 「陸上、興味あるんですか?」  走高跳はマイナーな競技だ。オリンピックの出場歴がある選手ならともかく、舞紘程度の選手の引退を取り上げるニュースサイトはなかった。  唯一、月陸だけは巻末コメントで触れてくれたが、スポーツ関係者ではない瀬名が読んでいるはずもない。 「そういえば、ISKコンペ、出してみようと思います」  場の空気を入れ替えるように侑斗が話し始める。 「この前まで出さないって言ってたじゃん」 「案が浮かんだんです」  やれどこの建物の柱がどうだの、木の種類がどうだの、興味のない会話が続きく。途中で席を立つのも気が引けて、愛想笑いと知ったかぶりで乗り切った。 「で、あの人誰?」  瀬名が帰った後、並んで食器を洗いながら尋ねると、予想を超えた返事がかえってきた。 「ここの家主」  危うく平皿を落としかけ、侑斗が「あぶねえな」と眉根を顰める。 「そーゆーのは早く言えよ!もっとちゃんと挨拶したのに!」  建物の印象で、家主は高齢なものと勝手に思い込んでいた舞紘である。 「別に平気だよ、あんま丁寧に接してると面倒くさがられるし。ちょっと癖ある人だから」  癖に関してはこの小一時間で十分理解した。 「なんで途中キレだしたの、あの人」 「気分屋だからな」 「俺が住むことは了承得てる?」 「当たり前だ。お前がいても驚いてなかっただろ?」  確かにその通りだ。それなのに、途中から態度が変わった。 「付き合い長いの?」 「東京来てからずっと世話になってる。バイト先も紹介してくれたし」 「へー。ああいう人とどこで知り合うわけ」  丁度洗剤の容器が空になって、侑斗は戸棚から詰め替え用の袋を取り出した。注ぎ口から粘度のある液体をゆっくりと垂らしていく間、妙に真剣な横顔を見せる。大雑把な舞紘には、その感性が良く分からない。 「瀬名さんて、プロダクトデザインの仕事してるんだ。家具とか、空間中心にデザインしてる」 「うん」  空になった詰め替え用の洗剤の袋を小さくまとめ、ごみ箱に放りながら侑斗が話を続ける。 「バイト先の社長と古い仲で、ああいう人が味方でいてくれると心強いんだ」 「へー…」  質問とはずれた答えに、曖昧な返事をかえす。ああいう失礼な人とどこで知り合うんですか、と改めて聞こうかと思ったが、それこそ失礼が過ぎる。 「あの人何歳?」 「三十二」 「え、見えない。せいぜい一、二個上かと思ってた」 「…瀬名さんのこと、随分訊くな、お前」 「そう?」  侑斗は時々、こうして真っ直ぐすぎるボールを投げてくる。品定めされているような気がして嫌だったこと、舞紘がいる間は家に入れないで欲しいと伝えるつもりでいたが、はっきり口にするのは気が引けた。  瀬名と侑斗は気安い関係のようだし、家主という立場もある。一方、舞紘はの現状は突然転がり込んだだけの同居人だ。  彼女と仲直りするまでの間だけという条件がある中、すでに一か月が経過していた。侑斗からせっつかれたことはないが、今強く出るのは悪手だ。 「お前、今日から連休だろ。どこか行くの」  洗い物を再開しながら侑斗が尋ねる。 「あー。どうしよっかな」  予定がある振りをするのは、友達がいない寂しい奴と思われたくないからだ。 「どうしよっかなって、なんだよ」 「デートの誘いに乗るか、断るかってこと」  そんな相手もいないが、見栄くらい張らせてほしい。華やかな大学生の侑斗くんには色々と予定があるのだろうし。 「デートって、彼女は?」  しまった、その設定を忘れてた。 「いや、だから彼女だよ」 「仲直りするのか」 「するなら、こんなふうに悩んだりしないって」  そろそろ出ていけと言われたらどうしよう。この家の居心地の良さに甘え、ここしばらくは物件のチェックすらしていないのだ。  反応を伺ったが、侑斗は洗い物が終わるまで黙っていた。 「悩んでるなら、買い出しに付き合ってくれないか」 「買い出しって?」  食材は充実している。侑斗は濡れた手を拭きながら言った。 「模型の材料の買い出しに付き合って欲しいんだ」
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