<4>正直の頭に神は宿る

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 高校一年の秋のことだ。部活終わり、隣のクラスの藤沢を見かけた。  いつも騒がしい藤沢だが、妙に暗い顔をしていた。体調でも悪いのかと声をかけようとしたが、水沢は急に走り出し、タイミングを逃してしまった。  科学の実験班が何度か同じになった程度で、特段親しいわけでもない。それ以上気に留めることもなく歩いていると、部活棟の影からガラの悪い声が聞こえ始めた。 「これだけ?」 「もうちょっとあんだろ、家に」 「こ、これだけです」  藤沢の震える声に、あ、これはまずいやつだと気付く。  物陰から顔を覗かせると、数名の上級生が藤沢を取り囲んでいた。  ──退部した奴らじゃん。  数か月前、野球部で暴力行為があった。被害者は藤沢を含めた一年生数名で、騒ぎを起こした二年生は退部させられたのだ。  やり取りを見るに、二年生は藤沢に金を要求し、藤沢は彼等が求める額を用意しなかったらしい。 「高椿くん、どうしたの」 「うわっ」  いつの間にか、隣のクラスの女子が背後に立っていた。画板を下げた侑斗も傍にいる。  声を上げてしまったが、二年生たちは気付かなかったようだ。小声で状況を説明しようとしたが、侑斗が察する方が先だった。 「藤沢、絡まれてんのか」 「……多分」  侑斗から声をかけられるのは初めてで、柄にもなく緊張してしまった。 「あの連中、一年じゃないよな」  だが、侑斗はごく自然に話しかけてくる。普段は滅多なことじゃ目も合わないのに、どういう風の吹き回しなのだろう。 「野球部辞めさせられた人達だと思う。噂になってじゃない」 「ああ、なんか実果子が言ってたな」  実果子の名が出た途端、女子の顔が不快そうに顰められる。そう言えばこの二人、付き合ってるんだっけ。  二年の笑い声が上がった。殴る素振りをして、藤沢を怯えさせているようだ。  途端、侑斗は軽蔑するような眼差しを浮かべた。そのまま歩き出そうとする腕を慌てて捕まえる。 「おい待て、何するつもりだ」 「止めるんだよ」 「スマホで撮影して、先生に見せた方が良くない?」  彼女も、侑斗の背中に抱き着いて止める。今の状況を楽しんでいるように見えるのは、舞紘の気のせいではないだろう。 「今手元にねえよ。お前、持ってんの?」  彼女は首を横に振った。舞紘の携帯も、部室のロッカーの中だ。 「じゃあさ、取って来てくれない?」  舞紘の提案に、彼女は唇を尖らせた。 「アヤが?」  あんたが行きなさいよ、と思われているのは重々承知だが、あえて気付かないふりをした。 「ここにいたら危ないかもだし」  ね、と優しく微笑みかけると、まんざらでもなさそうな笑みを残して立ち去って行った。 「あいつ、戻って来るか分からねーぞ」  追い払う口実だったと、侑斗には伝わっていないようだった。 「まあ、それはそれとして。あの子の前で、実果子の名前出さない方が良いぞ」 「なんで」 「嫉妬だよ。今だってあいつ、クラスの女子にやっかまれてるだろ」  イケメンの幼馴染というポジションは、なかなかに立ち回りが難しい。利用されるのはまだ良い方で、悪役に仕立て上げられる可能性だってあるのだ。 「実果子はそういう所不器用なんだから、お前が上手く距離を取ってやらないと」 「…今、そういう話してる場合か?」  侑斗はため息をつくと、画板を差し出してきた。 「これ、アヤに渡しといて」 「渡すって…」 「俺一人で行ってくる」  また、不快な笑い声が広がった。藤沢は頭を守る様にうずくまっている。怪我をさせられるのも時間の問題だった。 「…それは、どうかな」  侑斗の眉が僅かに寄せられる。その気迫に押され、掌の内側に汗が滲んだ。 「藤沢たち、被害者ってことになってるけど…野球部の備品パクって、売りさばいてたって話もある。二年生が殴ったのは、そのこと知ったからだって」 「だから、放っておけって?」 「……そういう言い方されると、困る」  格好のつく言葉で保身するのは容易い。でも、何故だか、侑斗にはすべて見透かされてしまう気がして言えなかった。 「俺はお前みたいに、あれこれ考えるのは得意じゃないんだ。実果子とはただの幼馴染だから普通に話す。殴られそうになってる奴がいるなら止めたい。それだけだよ」  侑斗の声に迷いはなかった。それが余計、情けなさを煽る。  舞紘自身、噂を信じ切っているわけではなかった。面倒毎に巻き込まれたくないから、都合の良い噂を信じる振りをしているだけだ。 「じゃ、それよろしくな」  侑斗は舞紘に応援を頼まなかった。お前なんか当てにしてない、と言われたように感じて、無言のまま反対方向に背を向ける。  ──お前みたいに、あれこれ考えるの得意じゃないんだ。  嫌味じゃないと分かっている。ただ、舞紘の性格を見抜いて、ありのままの事実を述べただけ。  それなのに、涙がこみ上げてくるのは何故だろう。 「藤沢、先生が探してたぞー」  呑気さを装った侑斗の声に、画板の重みがずしんと増した。
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