<4>正直の頭に神は宿る

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「これが正しい、って思ったことをすぐ行動に移せる…瞬発力っていうの?ハンパないなって思った。だから、侑斗は立派な人間だって俺は思う」  まさか、侑斗にこんな話をする日がくるとは思いもよらなかった。  舞紘は見栄や保身で出来た鎧を手放せない。でも、侑斗は纏わずに生きていける。この差は一体なんなのだろう?  侑斗は頬杖を解いて肩を竦める。 「正しいって言葉は違う気がするな。後々のことを考えられないだけだから」 「後々のことを考えて、嘘で誤魔化しまくる人間より余程良いと思う」  ちなみに、俺のことなんだけど──茶化そうとしたけれど、勇気がなくて言えなかった。 「嘘で誤魔化しちゃ駄目なのか?」  また予想外の発言が飛び出てきた。  舞紘は紙ナプキンで唇を拭ってから、慎重に口を開いた。 「駄目に決まってるだろ」 「なんで?」 「なんで、って…嘘つきは、泥棒の始まりって言うくらいだし」 「諺は諺だろ。嘘をつかない人間なんていないんだから」 「……じゃあ、侑斗は、嘘つかれても良いわけ?」 「お前の頭の中って、良いか悪いかの二択なんだな。真面目すぎって言われないか?」  頭に雷が落ちるほどの衝撃だった。  真面目──俺が? 「なんだよ。鳩が豆鉄砲を食ったみたいな顔して」 「いや、だってそんな…」  初めて言われた。  要領が良いとか、コツを掴むのが早いとか、人付き合いが上手いとか。そう評されることは多かったが、真面目だなんて、言われたことがない。  ──やばい。めっちゃ嬉しい。  今まで貰ったどんな褒め言葉より、侑斗からもらった「真面目すぎ」というスタンプが嬉しかった。 「何が良いか悪いかなんて、その時々の状況で変わることだし、どっちに判断がつかないことも山ほどあるだろ」  嘘だって同じだよ、と侑斗は続ける。 「良い嘘も、悪い嘘もある。俺、母親を癌で亡くしてるんだ。絶対治して家に帰るからねって何度も言ってくれてたけど、亡くなってから、その頃はもう余命宣告を受けてたって知った。母さんは俺に嘘をついてたけど、悪いことじゃないだろ」 「…それはそうだけど。でも」 「でも、なんだよ」 「…お前は嘘、つかねえじゃん」  耳が熱い。子供みたいな言葉が恥ずかしい。 本音を明かすのは、なんて体力がいるんだろう。走高跳の方が余程楽だ。 「お前はいっつも堂々として、周りなんて関係ないって態度で…なんか、そういうのって、ずるい」  もう駄目だ、限界だ。羞恥心が臨界点を突破した。胸元にかけていた紙エプロンを持ち上げて顔を隠したが、侑斗にはバレバレだろう。  じっと耐えていると、薄い白い幕越しに、侑斗の「んなことねーよ」という声が聞こえる。 「嘘くらい、俺だってつく」 「例えば?」  薄紙の奥から尋ねる。昨日なに食べたか聞かれて適当に誤魔化すとか、遅刻の言い訳とか、些細な話に決まっている。  だが、舞紘の声が小さかったのか、侑斗は答えなかった。顔の熱も引いた頃、紙エプロンを下げると、優しい瞳とぶつかる。  その途端、何故か再び熱が灯った。今度は顔ではなく、もっと深い、心の奥。 「さっきの話だけど」 「え、なに」 「お前が、彼女と仲直りして欲しいかって話」  ほんの数分前の話だというのに、すっかり忘れていた。 「どっちでも良い」 「……答えになってなくない?」 「ほら、また白黒つけようとしてる」  揶揄うように指を向けられる。瀬名と同じ、気さくな態度だ。目指していた物を得たはずなのに、どこか寂しい気持ちが拭えないのは何故だろう。 「舞紘がこうしたいって思った通りにするのが一番だよ。あの家でずっと暮らしたって良いし…他の場所に行ったって良い。俺達、もう、あの町にしか居場所がない高校生じゃないんだぜ」  その言葉に促されるように、広いカフェを見渡す。  昔だったら、どこかの店に入れば見知った顔と出くわした。けれど、ここに知り合いは一人もいない。  俺はどうしたいんだろう。どこで生きていきたいんだろう。  ふいに気付く。走高跳を失ってから、あんなに未来に目を向けるのが怖かったのに、今、不安を覚えないまま、これからのことを考えられている。 「そろそろ行くか」 「…あ、うん」  本当はもう少し侑斗と話していたかった。同じ家に住んでいるのに、引き留めたくなるなんて不思議だ。  店を出ると、煉瓦道に緑の木漏れ日が揺れていた。その光の中を侑斗は真っ直ぐ歩いていく。  その姿に、卒業式にも出ず、東京へ出た十八歳の侑斗の面影を見た気がした。  不安があっても、知らない道でも、侑斗はこうして歩き続けたのだろう。背筋を真っ直ぐ伸ばし、未来だけを見つめていたのだろう。  ──俺も、そうなれるかな。  侑斗を真似て、背筋を伸ばしてみる。陽の光が顔に当たって眩しいけれど、目を細めることはしなかった。
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