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<6>A lie has no legs
六月、舞紘は株主総会の準備でにわかに慌ただしい日々を過ごしていた。実果子は司会に抜擢され、どことなく緊張した雰囲気を漂わせている。気づまりしているのか、珍しく「社食でランチしよう」と誘われた。
二人で窓際の席を陣取り、気楽なランチタイムが始まった。
「仕事、ヤバい感じなの?」
和風ハンバーグを口に運びながら、実果子は「まあね」と憂鬱そうに呟く。
「先輩と合わなくて」
「前に話してた人?」
「そ。村辺さんって言うんだけど、知ってる?」
「たまに話しかけられる」
舞紘達の二期上の先輩だ。小型犬を彷彿とさせる外見で、仕事が早いと評判の女性だった。
「あんま悪い噂聞かないけど」
「男の扱いは上手いからね」
したたかな反面、感情のアップダウンが激しくてうんざりしているという話だった。
塩むすびを頬張りながら愚痴を聞いていると、抑えた声で「噂になってるわよ」と言われた。
「なにが」
「あんたに彼女が出来たんじゃないかって」
「え?なんで」
「それ」
細い指が示したのは、舞紘が広げている弁当だった。
「ずっと社食でラーメンすすってたあんたが、急に弁当持参しはじめたら、そりゃそういう話も出るわよ」
「なるほどー」
「で、いるの?っていうか、同棲してる相手がそうなんでしょ」
なんだか懐かしい会話だな、と思った。高校時代も、実果子は周囲の女子に頼まれ、舞紘の恋愛事情を探らされていたのだ。
今も実果子の周りにいる誰かが舞紘に好意を持っていて、詮索するよう仕向けられているのだろう。実果子自身は舞紘の恋愛に一切興味がないから、わざわざ質問してくるはずもない。
侑斗にも同じようなことをしてたのかな、と考える。高校時代、侑斗はとにかくモテていて、数か月ごとに付き合う相手が変わっていた。
「一緒に住んでる人が作ってくれたのはその通りだけど、付き合ってはいない」
「はあ?」
そうやってすぐに顔に出すから、相手に胸の内を読まれて利用されるのだ。実果子の星の巡りといえばそれまでだが、大概進歩がない。
「ヒモ以下になりさがったわけ」
「ちゃんと生活費は分けてますー」
「同棲するとき付き合おうって言えばよかったじゃない」
侑斗に「付き合おう」と言う姿を思い浮かべ、ないない、と胸の内で否定する。
──まあ、侑斗みたいな奴と付き合ったら楽しそうだけど。
口数は多くないし、自分の時間、一緒に過ごす時間を絶妙なバランスで分けてくれる。他人同士で住んでいるとは思えないほど、侑斗といると居心地が良いのだ。
実果子はまだ追及したりない様子だったが、舞紘がこれ以上話すつもりがないと察して話題を変えて来た。
「あんた、侑斗と連絡とってる?」
「あー、うん」
今まさに、LINEで弁当の御礼を送っているところだ。
侑斗は最近、夜遅くまで学校のアトリエに籠っている。外に出る時間も惜しいと弁当を持参していて、舞紘もそのおこぼれに預かっているのだ。
「侑斗って今何してるの?」
「今?授業中だと思うけど」
「…授業?あいつ、学校通ってるの?」
「うん。大学生」
「どこの大学?」
勿論知っているが、教えて良いものか迷った。実果子は今の侑斗に関する情報をほとんど知らないようだ。
「なんで俺に聞くんだよ。お前の方が詳しいだろ」
「それはそうだけど」
昔から、侑斗のことで華を持たせると、実果子は途端に得意げな顔になる。上手く風向きを変えられたようだ。
──こいつら、仲直りする気ないのか?
侑斗と暮らしていることは伏せた方が良さそうだなと思った。家に乗り込まれでもしたら厄介だ。
「そっか。でも、ちょっと安心した。あいつも将来のことちゃんと考えてるんだ」
「お前、この話家族とかにするなよ。本人、あんまり話題にされたくなさそうだったし」
「分かってるわよ。あんたに言われるまでもないわ」
事情はすべて把握済み、とでもいわんばかりの態度に、若干の後ろめたさを覚えながら尋ねる。
「お前、侑斗の家族と会ったことあるんだよな」
「あるわよ。お隣さんだもん」
「侑斗って、家族と仲悪いの?」
「うーん…」
ブロッコリーを箸先で転がしながら、実果子は苦い表情を浮かべた。
「侑斗の家って、お母さんを早くに亡くしてるのよ。だから家族っていってもお父さんだけなんだけど…簡単に言うと、頭が固い人かなあ」
「ふうん」
「おばさん、亡くなる前も入退院繰り返してて、侑斗をうちで預かることも多かったの。侑斗の家って工務店でしょ、もうガチガチに男社会なのよね。侑斗とあたしで一緒にお菓子作ったりすると、男にそんなことさせるなって怒って、食べずにゴミ箱に捨てちゃったりしてた」
「ひでぇな」
「でしょ?まあそんな感じの人だからさ…ぶつかるよね、侑斗とは。お母さんが亡くなった後は結構怒鳴り声とかも聞こえてたし。侑斗も侑斗で、頑固だから」
「別に頑固だって良いだろ。侑斗は悪くねーよ」
「……どうかな」
社食の窓を、梅雨らしい薄灰色の空を映した雨がしとしとと濡らしていく。珍しく歯切れの悪い物言いが気になり、「なんかあったの」と尋ねた。
「別に」
「いや、あるだろ絶対」
「うっさい。あんただって、舞希さんの話ほじくられたくないでしょ?」
急に姉の話を振られ言葉に詰まった。他人の家庭の事情に首を突っ込むな、と言いたいのだろう。
「っていうか、あんたと侑斗ってなに話すの?」
「あー…高校の時の思い出話とか?」
泣いている姿を、枝葉の影から見守られていたこととか。
「ふーん…」
実果子はあまり心がこもっていない声音で「なんか意外」と言う。
「侑斗とあんたって、性格真逆だし、あわないと思ってた」
「真逆っていうほどか?」
「百八十度違うでしょ。侑斗は口数は少ないし自分に真っ直ぐ、何でも自分一人の力で乗り切ろうとするけど、あんたはお喋りで嘘つきまくり、自分が頑張るんじゃなくて、周りを利用する方法を考えるもの」
「おい」
さすがに言いすぎではないだろうか。だが、実果子は舞紘の抗議など聞こえていないように思案に耽る。
「まあでも…それなら、一緒に帰ったりもしないか」
全く心当たりがない話に、実果子の顔を見返す。
「…一緒に帰るって、俺と侑斗が?」
「他に誰がいるのよ。あたしが侑斗の自転車を借りて、あんたたち二人はバスで帰ったでしょ」
実果子が断言するのだから、きっとそんなこともあったのだろう。だが、舞紘はどうしても思い出せなかった。
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