<6>A lie has no legs

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 洗面所で銭湯へ行く準備をしていると、玄関扉が開く音が聞こえた。やっと帰って来た、と安堵の息を漏らす。携帯を見ると、かれこれ二時間は経っていた。 「おかえり」  手を洗いに来た侑斗に、普段通りを装って笑顔を向ける。だが、侑斗は舞紘の顔を見るなり眉根を寄せた。 「…舞紘、泣いてたのか?」  指摘通り、先程までめそめそと泣いていた舞紘である。 「泣いてねーし」 「瀬名さんの言うことは気にしなくて良いから」  構える暇なく飛んできた直球は、舞紘への気遣いと優しさだけで作られていて、些細な見栄が恥ずかしくなる。  黙り込んでいる間に侑斗は出て行ってしまう。居間を覗くと、ラップのかかったカレー皿を冷蔵庫に仕舞っている。 「夕飯、もういいの?」 「いい。飯食うって気分でもなくなったし」  言いながら作業室へと向かう。 やはり瀬名といたのだ。大食漢の侑斗の食欲が失せるような話を延々としていたに違いない。  どう聞き出そうかと後ろをついて歩いていると、侑斗が振り返り、「銭湯?気を付けてな」と言う。 「…うん」  大人しく回れ右をし、玄関でサンダルを履いた。さっき侑斗が脱いだばかりのスニーカーが目に入る。  違うだろ、ときちんと揃えられたスニーカーに独り言ちる。  お前は俺にきくことがあるだろ。いきなり、「瀬名さんのことは気にするな」じゃなくて、ちゃんと否定させてほしい。お前を利用しているわけじゃないって。 「舞紘?」  ノックもせず作業部屋に入ると、パソコンに向き合っていた侑斗が驚いたように顔を上げる。 「…あのさ」  籐籠を床に置き、侑斗の前に座り込む。 「なんか、手伝う事ない?」 「え?」 「また…どっか模型出すとか」  侑斗の瞳は、凪の様に静かだ。それに比べて、舞紘の心はさざ波にすら耐えられないちんけな小舟そのものだった。些細な飛沫にあおられ、今にも転覆しそうなほど揺れている。 「夕飯の片付けしてくれただろ」 「そういうことじゃなくて」 「利用したって良いんだ」  侑斗の言葉に息を飲む。 「お前が俺を利用したって構わない。ここに住んでいたい限り、一緒に暮らそう」  笑い飛ばさなきゃ。利用したことなんて一度もないって言い切ろう。侑斗はそれ以上踏み込んでこない、この話はそれで終わり。  あとは適当なタイミングで彼女と別れたことにして、実業団も引退したと報告するのだ。そしてまた、暮らしていけば良い。 ──本当にそれで良いのか?  侑斗に対して嘘をつくことは、正しいだろうか。  泣いていたことを黙っていてくれた。今も、いつ追い出したって良い俺に、これからも一緒に住もうと言ってくれる。  そんな人間に嘘をついたら、俺は本当に、自分が嫌いになってしまう。 「…怒んねぇの?」  嘘は円滑なコミュニケーションに必要だ、なんてのは言い訳で、本当は誰かと正面から向き合うのが怖いだけだ。大して価値のない人間とジャッジされるのが怖くて、自分を取り繕おうと些細な嘘を重ね続けた。  瀬名は舞紘の狡さを見抜いていた。それを明らかにされて腹を立て、また嘘をついたら、俺は本当に自分が許せなくなってしまう。  せめて一つくらい、本当の心を打ち明けたい。 「瀬名さんの言う通り、俺、お前を利用してたよ。…住む家がなくて、でも、高い金払って、気に入らない家住みたくないから、お前が同居持ちかけた時、渡りに舟だって思った。お前が俺と住むのは、何か理由があるんだって言い訳して…だから構わないだろうって、心の中でえらそうにふんぞり返ってた」 「理由?」 「高校の時、お前…俺のこと、嫌ってたじゃんか。なのに、いきなり一緒に住もうって言うし…お前も隠したい事とか、言いたくないことがあって、嘘ついてるんだって思った。俺と一緒に住めば嘘が嘘じゃなくなるっていうか…なにかメリットがあるんだ、ならお互い様だって偉そうに考えてた」  沈黙は長かった。舞紘は言い訳もせず、ただ黙って侑斗の言葉を待った。 「…誤解だ」 「ん?」 「俺、お前のこと嫌ってなんかなかった」 「──は?」  ぽかんと口を開ける。侑斗は唇をわずかにとがらせ、すっかり拗ねた表情で頬杖をついていた。 「いや、だって…お前かなり素っ気なかっただろ。俺にだけつんけんしてたし」  しどろもどろに言い返すと、侑斗は前髪をかきあげながら苦い表情を浮かべる。 「それは……そうかもしれねぇけど」 「実果子から色々吹き込まれてるのかなとか、女子にチヤホヤされて天狗になってるの見透かしてるんだと思って」 「実果子から話は聞いてたけど関係ねぇよ。女子とのことは…てか、嫌ってる奴と一緒に帰ったりしないだろ」  実果子もそんなことを言っていた。だが、舞紘には一向に思い出せる気配はない。 「悪い。俺、覚えてなくて」 「実果子がコンビニで当たりくじ引いたんだよ。景品を持ち帰りたいから、俺の自転車を貸せって言いだしたんだ」 「…あ。パンダおばけ!」 「そう」  当時実果子がはまっていたキャラクターだ。そういえば、舞紘もくじに協力してお菓子を買っていた覚えがある。  キャラクターの姿を思い出したのを引き金に、徐々に記憶が蘇ってくる。  そうだ。高三の五月、定期考査前。部活は休みに入っていた。
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