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西日を見つめていた学生服姿の侑斗と、目の前にいる今の侑斗が重なる。
起きていれば良かったな、と後悔した。もう少し何か話せていれば、仲良くなって、卒業式に誘い出せる関係になっていたかもしれない。
「…本当に俺のこと、嫌ってなかった?」
女々しいと思いながら、どうしても言葉を止められない。
「俺、卑怯なとこいっぱいあるよ。藤沢が、備品盗んだかなんて正直わかんなかったのに、巻き込まれたくなくて信じるふりして…小さな嘘だってついてた。…思う事あっただろ。うざいとか、バカみたいとか、恥ずかしいとか」
「ない」
侑斗の口ぶりにわずかでも嘘がにじんでいたら、確実に見抜くことが出来た。けれどはっきりとした物言いには寸分の狂いもなく、舞紘の自信のなさからくる穿ちを一瞬で否定していく。
「嘘をつくのは…自分を隠したり偽るのは、何か理由があるからだ。悲しいことがあったり、周りに受け入れられない本音だったり…その理由を知りもしないまま、嘘を暴こうとする方がよほどうざくてバカで恥知らずだ」
乱雑に髪を撫でられ、頭が揺れた拍子に涙が零れる。
「お前の見栄は誰かを傷つけるものじゃなかった。嘘も、誰かを貶めるものじゃなかった」
笑顔を見せて侑斗はパソコンへと向き合った。舞紘は目尻をごしごしと拭いてから、侑斗の背中にタックルをする。
「いてっ。なんだよ」
「なんでもねーよっ」
侑斗が笑ったのが背中越しに伝わる。
全部話さなきゃ。今を逃したら言えなくなる。
それなのに、シトラスの香りが鼻腔をついた瞬間、弱虫な自分が顔を出した。
──侑斗に、嫌われるのが怖い。
「…うわっ」
侑斗が背中をわずかに揺らし、バランスを失った舞紘は床に転がってしまう。
「動くなよ!」
抗議の意を込めて足をばたつかせるが、侑斗はモニターから目を逸らさない。
「…怒った?」
しつこくしすぎただろうか。寝そべったまま不安げに声をかけると、「怒ってない」と背中越しに返事がかえってくる。
舞紘は腹筋のみで起き上がると、再び侑斗の背中にもたれかかった。
「なあ、お前も銭湯行かない?」
「行かない」
「なんで。良いじゃん、裸の付き合いしよーよ」
そうしたら、打ち明けやすくなるかもしれない。でも、侑斗の裸を想像した瞬間、腹の奥がぞくりとざわめいた。
突如沸いた欲情を慌てて振り払う。こんな感覚に陥るなんて、どうかしてる。
初めて弱音を吐ける相手に出会ったから、依存してるだけだ。侑斗は男で、俺も男。妙な考えを起こすな。
「お前が暇だってことはよく分かったよ」
ファイルから取り出した紙を渡される。
「なにこれ」
「手伝ってもらった課題、教授が学外のコンペに推薦してくれたんだ。書けるとこ埋めておいて」
氏名などの基本的な情報なら舞紘でも書ける。別に暇ってわけじゃないし、と思いながら、頼まれごとが嬉しくて手を動かしていると、侑斗の携帯が鳴った。
画面に表示された名前を見て、侑斗は無言のまま携帯を手に部屋を出る。
扉が閉まるなり、ペンを放ってラグに寝転んだ。
──面白くねーの。
瀬名からだった。さっき別れたばかりなのに、そんなに用事があるものだろうか。
むしゃくしゃした気持ちを紛らわそうと、部屋の物色を始める。卓上には三角定規、ブラシ、大きさの異なる丸があいた奇妙な定規。本棚の分厚い建築の本を眺めていると、見覚えのある背表紙に気付いた。
「月陸じゃん」
陸上雑誌のバックナンバーだった。しかも、舞紘が取材を受けた号だ。
ユニフォーム姿の自分を穏やかな気持ちで見返せて安堵する。侑斗と暮らし始める前だったら、手に取る事なんて出来なかったはずだ。
しかし、何故侑斗がこの雑誌を持っているのだろう。
(…もしかして、瀬名さんの?)
初めて会った時、瀬名は舞紘のことを知っていた。この家には頻繁に出入りしていたようだし、瀬名の私物が侑斗の部屋に置かれているのかもしれない。
自分の家に置けよ、と毒づいて我に返る。そもそもここは瀬名の家だった。
なぜ侑斗はこの家に住むことになったのだろう。こんな便利な場所にあるなら、他に希望者だっていただろう。そこまで世話をしあうような仲なのだろうか。
化粧をしていた距離といい、同居している舞紘への態度と良い、あれじゃまるで──。
頁を捲る手が止まる。馬鹿げた妄想だと思いながら、苦笑いで雑誌を元の位置に戻した。
本当にどうかしてる。二人がまるで恋人同士みたいだ、だなんて。
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